第百二話 西本願寺
1
「もう師走ですわね」
山南が低い声で言うと、土方が顔を上げた。
「ああ・・」
新選組が京に登ってから、まもなく2回目の正月が来る。
「早いものですわ、あっというまに2年」
山南は落ちてくる前髪をかき上げる。
「顔ぶれも、随分変わって・・」
「ああ・・」
「それで・・どうするんですの?新しい屯所は」
壬生村の空き家に片っ端から隊士が分営しているが、それでも屯所はギュウギュウ詰めの状態である。
「西本願寺・・」
土方がつぶやいた。
山南が眉をひそめる。
「西本願寺?ですが、あそこは・・」
「広さも場所も・・造りも申し分ねぇだろう」
土方の言葉に、山南が珍しく険しい顔をする。
「あの寺は・・勤王派に力添えをして、長州の毛利家ともつながってますわ」
「だからさ」
土方が薄笑いを浮かべる。
「新選組の屯所になりゃあ、そんなことも出来なくなるだろう。坊主どもも・・浪士を匿ったりエサを与えたりしなくなる」
「・・・」
山南は言葉を飲み込んだ。
山南は北辰一刀流を修めた時、水戸学も学んでいる。
勤王の志を根底に持っているのだ。
新選組の屯所になることを、西本願寺の住職が歓迎するとはとうてい思えない。
そうなれば力づくの説得を行使することになるだろう。
信仰心が篤いわけではないが、寺院に強引な真似をするのは避けたい。
「わたしは・・得策とは思えません」
2
「これは上(幕府)の考えでもあるんだ」
土方が言った。
「西本願寺の坊主どもは・・この前の戦の時に長州の残党を匿って落ち延びさせている」
「・・・」
「そう簡単に"うん"とは言うまいがな」
土方は腕を組んだ。
「・・できれば、急ぎてぇ」
「土方さん?」
山南が怪訝な顔をすると、土方が困った顔をする。
「前川荘司がな、奉行所に願い出た。"屋敷を返還して欲しい"って」
前川荘司は、新選組の宿舎として屋敷を提供している壬生村の郷士である。
奉行所・所司代からの公職を担う本家の要請で、壬生の自邸を明け渡して本家に移り住んでいた。
「なるほど・・前川の本家(油小路六角)は、先だっての火事で被害を受けましたからね」
山南の声が低く落ちる。
「まあ・・年明けは寺も忙しいだろう。如月に入りゃあ、落ち着く。そしたら・・本格的に交渉だ」
土方がすでに決定したことのように言い放つ。
「・・わたしは反対です」
山南は低い声で言った。
「・・・」
土方は無言で山南を見返した。
「サンナンさん・・」
土方がユックリと口を開く。
「この話は・・もう決まったことなんだ」
山南が目を開く。
「わたしは・・聞いてません」
3
土方が低い声で続ける。
「こないだ・・近藤さんと伊東さんが公用方と話して決めてきた。新選組の屯所は・・西本願寺に移す」
「・・・」
山南は口を半ば開きかけたが、言葉が出なかった。
「もともと、オレが言い出したことだがな・・」
土方は、山南の目を真っ直ぐに見た。
「サンナンさんに言やぁ、反対されると思ってな。悪いが・・黙って話を進めた」
山南は怒りをこらえて、静かに目を伏せる。
「新選組は・・総長不在の席で、そんな重要な話が決められるワケですわね」
「・・・」
土方は黙ったままだ。
「分かりました。決まったことなら・・アレコレ言ってもしょうがないでしょう」
山南が静かに立ち上がる。
「お話それだけなら・・失礼します」
そう言って部屋から出て行った。
山南がいなくなった後、土方は昔のことを思い出していた。
新選組が、まだ壬生浪士組という名前だった頃。
将軍警護のため大坂滞在中、呉服問屋の岩城升屋に不逞浪士が押し入った。
土方は山南と2人で駆けつけて、数人の浪士相手に斬り合いをした。
激しい戦闘の中・・刀を折られ左腕を血で染めながら、奮闘する山南の姿を思い出す。
あの時・・山南は剣を振るう片腕を失ったのだ。
一緒にいた土方も・・複数人の浪士を相手にしていて、助けることが出来なかった。
あれからだ・・山南が変わったのは。
いつも何を考えているのか読めない表情を浮かべ、誰にも心の奥を見せることが無くなった。
試衛館にいた頃は、温厚だが・・開けっ広げな性格だった。
土方自身も・・あれ以降、多勢に無勢で立ち向かうことを徹底して避けるようになった。
「もう・・戻れねぇやな」
土方がひとりつぶやく。