第十話 山崎
1
その後、アカギシンと名乗るタイムトラベラーは現れず、行くところがない薫と環は新選組の屯所で過ごしていた。
あれ以降、薫は屯所の賄いの手伝いを、環は医療班の手伝いをすることが増えた。
環は薫に感心している。
男心を掴むには胃袋を掴めとは良く言ったものだ。
あの後、出張から戻った近藤と山南と土方に、永倉に言われて薫が作ったのはチャーハンとマーボー豆腐もどきだった。
マーボー豆腐は、やはり環に食べさせたくて作ってみたのだ。
材料は藤堂が用意してくれたが、ひき肉が無かった。
豚も鶏も牛肉も手に入れることが出来るようだが細かいひき状で売られていない。
薫はほんの少量の豚を出来るだけ細かく刻んで、生姜を多めに入れて肉の臭みが出ないようにした。
マーボー豆腐は薄味で油も少なくしたので、あんかけ豆腐に近い。
和風アレンジの中華料理は3人の口に合ったようだった。
薫が作ったと聞くと土方はかなり渋い顔をしたが、最後は、まぁいいだろうと言うことになった。
「軟禁状態のやつが、毒入れたりすることぁ出来ねぇだろうしな」
しぶしぶと言った風情で、薫が台所に出入りすることを許した。
環が木下の怪我を手当したことを聞いたので強いことも言えない。
(まぁ、あんな色気もねぇ童みてぇなのがうろついたところで問題は起きねぇだろうが)
土方が近藤に頼んだ、薫と環の制服は戻されてきたが、どこの国の服装にもあてはまらない。
基本的な作りは洋装と同じだが、デザインがまるで違うし、ついているパーツがこの時代に無いものがあった。
(いってぇ何者なんだ、あの娘)
しかし新選組の副長として忙殺されている土方は、このことにかまけている暇はない。
「副長」
土方の部屋の前に低い影があった。
「山崎か、入れ」
入ってきたのは、細身で長身、端正な顔立ちの男だ。
「どうだ?」
「やはり枡屋が古高の自宅です。過激派のたまり場で武器やら弾薬やら倉庫にため込んでいます」
「古高俊太郎か、大物だ。やつを取り逃がしたら目も当てらんねぇ」
「はい」
山崎は低い声で答えた。
「いま島田さんが枡屋の前で張っています」
「連日ご苦労だな、監察も大変だろう」
「職務ですからなんでもありません」
「もう時間は置かれねぇ。連中が動くより先にこっちから仕掛けるぞ」
「分かりました」
2
山崎烝(ヤマザキススム)は若いが、すでに監察方の責任者で医療班にも属している。
器用で機転が利いて腕も立つので、近藤や土方に可愛がられていた。
酒も飲まず女遊びもせず、黙々と職務をこなすだけの毎日を送っているが、ストイックというよりも興味の先が違うだけのようである。
「エレキテル欲しいなぁ、ムリだけど」
山崎は平賀源内の発明品を集めるのに凝っている。
監察という仕事柄、決まった時間に屯所に戻ることができないが、日中時間がある時には暇をみつけて芝居見物したり絵を観て回ったりしている。
剣客集団の新選組の中に、山崎の趣味を理解する者はいない。
温和な性格でいいやつだが、変わり者で酒の付き合いが悪い。
それが山崎のイメージだった。
医療班が怪我人や病人を見回る時間に山崎が合流すると、そこに見知らぬ若い娘の姿がある。
背が高く男ものの稽古着を着ているが、山崎には一目で娘だと分かった。
(ふぅん、これが例の娘か)
沖田に捕縛されて連れて来られた身元の知れない娘が、刀傷を受けた木下を手当したことは近藤と山南から聞いている。
視線を感じた環が振り向くと、環を見ていた山崎と目があった。
「オレは医療班の責任者で山崎ってモンだ」
「雨宮環です」
娘は少し驚いたようだが、冷静な声で名乗った。
(肝が据わってるタチらしいな)
山崎は分析するのがクセだ。
「あんたが木下の怪我の手当したんだってな。どこで医術を覚えた?」
「医術なんてありません。ただ父が医者で、家が病院だったんで見よう見まねです」
謙遜ではなく環は淡々と事実を述べた。
「へぇ、オレの生家も医者だ。奇遇だな」
山崎の声に親近感がある。
環の目に利発そうな輝きをみつけて嬉しくなっている。
(この娘は利口者だな)
「あんたがやったっていう血止めの方法を教えてくれないか?」
相手が誰であっても礼儀を持って接するのは山崎の長所である。
3
環が説明した止血方法を聞いて、山崎は環の知識の出所に関心を持った。
圧迫止血方はこの時代でも行われていたことだが、環の知識には正確な裏付けがあった。
この時代、刀傷で深手を負うと、血を止めるために用いられたのは焼灼止血法(傷口を焼ゴテなどで焼いて皮膚をくっつける)や縫合手術である。
どちらも野戦病院なみの野蛮さで、麻酔がないため患者には激痛が伴った。
なかには出血よりも痛みでショック死する者もいる。
侍に必要なのは運と体力だったかもしれない。
環は山崎について怪我人と病人の手当をすることになったが、山崎が監察の仕事で不在がちのため、環が手当することが増えていった。
山崎の温和な性格は環に安心感を与えたが、同時に風変りな印象も与えた。
「山崎さんって良い人だけど、ちょっとオタクっぽいんだよね」
環が薫に言った。
「へぇ、けっこうかっこいいのに」
「うん、まぁキモチ悪くないオタクかな」
「ひどいね、それも」
オタクと呼ばれる男子が聞いたら怒りそうな会話である。
「でも・・いつまでこうしてなきゃいけないんだろう」
環がつぶやいた。
「アカギシンっていう人あれっきり現れないし。まさか未来に帰っちゃったのかな」
「違うと思う。あの時鳥居の門開かなかったじゃない。開くはずの時間に」
「もう・・いつ元の時代に戻れるのか、予測できないってことだよね」
こうしている間にも鳥居の門は開いているのかもしれない。
それとももう開くことはないのか。
2人は屯所の生活に少しずつ馴染みながらも、この一点が頭から離れない。
「アカギって人あたしたちを元に戻すために来てた。あの人も未来に戻れなくなったら仲間が探しに来るんじゃないの?」
それは残された唯一の頼みの綱だった。
「とにかくここにいる限り元に戻れない。なんとかアカギシンを探し出さないと」
「自由に出歩けるようになれればいんだけどな」
外に出られるようになる。
それが2人の目下の目的となった。