episode8 異世界召喚
卍フリスビーとWR250X、DR-Z400SMが迫る。ぐんぐん迫る。
もう逃げられないか。
あそこまであからさまに危害を加えようとした以上、つかまったらただではすむまい。
「なんでこんなことに」
悪いことは、そりゃ確かにスピード違反を楽しんでいるけれども、それは山奥の細道にかぎり、他では安全運転を心がけている。こうして大勢の人間から睨まれ追いかけられ、しかも下手すりゃ事故るような仕打ちを受けるいわれはないはずだ。
あまりの不条理に泣きたい思いだった。
どうなってしまうんだ、という不安が盛り上がりアクセルを握る手もゆるくなる。
そのときだった。
葉っぱが三枚、目の前を舞った。
それは編隊飛行で風に乗りヘルメットの横を風に吹かれて風に流されてゆく。
女は舌打ちし、スノボを停める要領で卍フリスビーを蹴りあげるように葉っぱに向けた。
葉っぱは卍フリスビーをひらりとかわして後ろに回りこむ。女は振り向き葉っぱを黒いレンズ越しに睨んだ。目は見開かれて、色違いの瞳は燃えるように輝いていた。
「しつこいやつらだね、イスレ、マウリーン、イオム!」
女は叫んだ。葉っぱに叫んだ。
すると、三枚の葉っぱは強い光を放ち、なんと人へと姿を変えた。女は忌々しそうに卍フリスビーを止めて、三枚の葉っぱだった三人の人間をサングラス越しに見据えた。
女がとまった。よせばいいのに、なにごとだと気になってヒロシも止まってしまい、振り向いた。で、その視線の先にいる三人。
「……。ああー」
声にならない声で叫んでしまった。なんと三人は松江一家ではないか!
しかも、服装はロールプレイングゲームの白魔術師のような格好で、ますます本格的なことに木の杖までもって。
しかも宙に浮いている!
「観念しろ! リレントレス・クルーエル!」
と豊は叫び。寿子は咄嗟に振り向き迫ると杖を振りかざすや、
「えい!」
と叫ぶと、DR-Z400SMとWR250Xは動きを止めた。春人はヒロシが停まったの見て、
「とまっちゃだめ! 逃げて!」
と無重力にいるようにすうっと一ッ飛びし杖を構えてヒロシをかばう。
(一体なにがどうなっているんだ)
わけがわからない。
女はサングラス越しに松江一家とヒロシをねめまわす。一瞬驚いたようだが、すぐに不敵な笑みを浮かべる。
「イスレにマウリーンにイオム……。あんたらもしつこいね、わざわざこの世界まで来て」「当たり前よ。リレントレス・クルーエル、あなた放っておいたら悪さするでしょう」
豊と寿子は女を、リレントレス・クルーエルと呼んだ。それが女の名前らしい。では松江一家は?
女、リレントレス・クルーエルはイスレにマウリーンにイオムと言った、ということは、それが三人の本当の名前?
それにこの世界とか言うが、それはどういうことだ。
春人は、いやイオムはヒロシを見つめ。
「早く逃げて、逃げて!」
と叫んだ。
「お、おお」
その必死な叫びに背中を押されて、ヒロシはアクセルを開けようとした。それを見逃すリレントレス・クルーエルではなかった。一旦しゃがみこむ姿勢を見せると瞬時に伸び上がるように飛んだ。卍フリスビーとともに。
「いかん」
豊、イスレは杖をかかげると、その先から稲妻がほとばしった。しかし、リレントレス・クルーエルは咄嗟によけた。それから、まるで燕の急降下のごとく逃げるヒロシを追った。
「危ない!」
寿子、マウリーンはイオムとともにリレントレス・クルーエルを追った。イスレはリレントレス・クルーエルの手が光るのを見て、
「いかん!」
と叫んだ。
「マウリーン、イオム、ヒロシ君を守れ!」
言われなくてもそうしている。ふたりもリレントレス・クルーエルの右手が紫色に光るのを見逃さなかった。
「やめて! お兄ちゃんには手を出さないで!」
イオムは血を吐きそうなほど叫んで飛行速度を上げて、ヒロシの背中をかばった。が、リレントレス・クルーエルはにやりと笑う。マウリーンは必死の思いで杖をかかげたが、それよりも早くリレントレス・クルーエルの右手は早く動き、紫の光は一筋の光となって射出され、イオムとヒロシを刺し貫いた。
「な、なんだ!」
目の前が突然暗くなった。走っている最中に。
パニックを起こしたヒロシは真っ暗闇の中、急ブレーキをかけた。しかし手応えがなく、まるで宙ぶらりんでいるみたいだ。
「しまった……」
イスレはうめく。リレントレス・クルーエルが光を放つや、イオムとヒロシは瞬時に空に融けるように姿を消していった。
それにともない、リレントレス・クルーエルも不敵な笑みを浮かべて自らも紫色の光に包まれて、姿を消した。
「あなた!」
「うむ……」
「リレントレス・クルーエルは、ヒロシ君をエヴァン・ラニンに……」
「そのようだ……」
イスレとマウリーンは苦虫を噛み潰したような顔でうなずき合うと、自分たちも紫の光を発して、姿を消した。
あとには、コウジのDR-Z400SMとハジメのWR250Xが残された。ふたりは、どうして会社をさぼってバイクに乗っているのか、自分でもわからず、ぽかんとしていた。
ブレーキを強く握りしめ、強く踏みつけて、そのままの姿勢でとまっている。
目は硬く閉ざされている。
そのことに気づき、ゆっくりと、目を開けてみれば。
どこまでも広がる青空。その青空を駆け巡る雲、鳥、竜。
「?!?!」
今自分はなにを見たのだ。目を凝らしてもっとよく見ようとしてヘルメットを脱いで、周囲を見回す。
「お兄ちゃん!」
春人、イオムの声が耳に響く。
驚いた拍子にD-トラッカーに跨る身体はバランスを崩し、あやうく立ちゴケしそうになり、どうにかふんばる。
スタンドを立てて、バイクを降りて、改めて周囲を見回す。
足元には、白魔術師のような姿の春人。小さな身体で木の杖を握りしめて、ぱっと見愛嬌があり、ショタ趣味のお姉さんにお持ち帰りされそうだ。
「なんだこりゃあ」
ヒロシは素っ頓狂な声で、ただ驚くばかり。イオムがいても、なかなか意識できない。
自分はなだらかな草原の丘陵地帯にいた。
四方に草原が広がるなかこんもりと山が盛り上がっていて、そのてっぺんに大きな大樹が一本そびえ立っていた。
ふと、向こう側の景色に見えるものが不思議で思わず歩いてゆく。
「あ、危ないよ」
とイオムはジャケットの横っ腹の部分を引っ張りながらついてゆく。
歩みを止めて、景色を眺めて、魂が抜かれたような衝撃を受けて立ちすくむ。イオムはうんしょとジャケットの横っ腹部分を引っ張ってヒロシを少し後ろに引き戻す。
いま自分が立っている草原は、空に浮かんでいる。頭上はもちろん、崖下とおもっていた眼下にも、青空が広がっていた。