episode4 挨拶
これ以上にない、というくらい飛ばした。
振り切れた、それとも追ってこなかったのか。女はいない。
が、走っている間の記憶がない。でも何度もミラーを覗いたことは覚えている。
気がつけば、帰りにいつも寄っているコンビニの駐車場にいた。
「ふう」
大きく息を吐き、ヘルメットを脱ぐ。
じと、っと顔の肌が汗で湿っているのが、風にさらされ涼しく感じる。
右のミラーにヘルメットをかけ。グローブを脱ぎ、ヘルメットに突っ込みシールドを閉めて挟む。
喉が渇いていた。
コンビニに入り、ドリンクコーナーにゆく。
ドリンクコーナーには、様々なエナジードリンクがあった。
青地に赤い牛が描かれた赤牛王。
メタリックシルバーの地にゴールドの星が描かれたメタル・スター。
黒地に緑色の怪物の手がピースサインをしているのが描かれた怪物飲料。
黒地に白墨の墨痕鮮やかな行書体の力強い筆遣いでふとぶとと、容赦なく注入、と描かれた容赦なく注入ドリンク。
などなど……。
ヒロシはエナジードリンクが好物だった。
その中で怪物飲料が好きなのでそれを手に取り、危うくそのままタブをあけようとして、はっとして慌ててレジにもってゆき支払いを済ませ、外に出てD-トラッカーのシートにもたれかけて買った怪物飲料を飲んだ。
冷たい炭酸ドリンクが喉をすべってゆく。
「ふう」
と大きく息を吐いた。
と、ふとコンビニの自動ドアが開いて黒い影が動いた、と思ったら。
「……!」
あの女が出てきた。右手には「容赦なく注入」ドリンクを持っている。
それからさらに、絶句。
女の後ろに、男が三人ついてくる。それらは、ヒロシのバイク仲間だった。
みんなにこにこして、女の後ろを着いてゆく。手にはそれぞれ、赤牛王やメタル・スターなどのエナジードリンクを持っている。
「あぅ」
声をかけようとしたが、できなかった。
様子がおかしい。仲間たちはヒロシに目もくれず、愛想笑いを浮かべて女のご機嫌うかがいばかりしている。
が、女は。
黒いサングラスのレンズが、ヒロシを映し出す。
にこりと微笑み、空いた左手の親指と人差し指と小指を立てて、ヒロシにハローと言いたげに見せつけた。
ヒロシは嬉しくない。けったくそ悪くなって、さっさと怪物飲料を飲み干して、さっさとバイク走らせてコンビニを後にした。
陽はまだ高いが、走る気が失せて家に戻った。
松江一家はもう引越し作業が終わってか、家の前にはトラックがなく、作業する一家三人の姿は見かけられない。
(あれ、もう終わった?)
引越しの荷物の運び出しは半日で終わるものだろうか。と思ったが、よその家のことをああだこうだと考える気力は今はなく、駐車場に滑り込むとさっさと自分の部屋にゆき、さっさとヘルメットとバンダナとグローブを机において、ジャケットを脱いでベッドに飛び込み、そのまま寝た。
晩方、母親にたたき起こされて、晩飯にしようかというとき。
インターホンが鳴った。
母親に出ろと言われてめんどくさいながらも出れば、松江一家だった。
「こんばんは、松江です。ああ、今朝はどうも」
豊が愛想よく挨拶をする。
その隣には奥さんの寿子。その間には春人。
「ああ、どうも、わざわざご親切に……。ちょっと待ってください」
と、母親と父親を呼び、一家それぞれが自己紹介をした。
松江一家は転勤で隣の県から引っ越してきた、という。
「これからよろしくお願いします」
「いーえ、こちらこそ」
両親は愛想よく松江一家にお辞儀を返している。春人は、ヒロシをじっと見つめていた。
「僕おっきくなったら、お兄ちゃんみたいにバイク乗るんだ!」
などと、元気よく宣言する。ヒロシは驚き、両家の両親は大笑いだ。
「え、ああ、そうなんだ。がんばれよ」
「うん!」
春人は満面の笑みで、力強くうなづいた。その笑顔のうちに、颯爽と風となって走るバイクのイメージが描かれているのは、容易に想像できた。