epsode1 出会い
梅雨が明け、初夏の日差しがまぶしい日曜の朝。
八末家の隣の家に、若い夫婦と十歳の男の子の家族が引っ越してきた。
トラックから家財をせっせと運び出す様を見て、白いTシャツもまぶしい八末家の長男、八末広は、
「こんにちは、隣の八末です! 引越しの作業、手伝いますよ!」
と進んで手伝いを買って出た。
屈託ない笑顔の、活発な十七歳のヒロシを見て、
「ああ、お構いなく。気持ちだけで十分ですよ」
Tシャツににジーパンで作業する、普通の三十路サラリーマン男性なご主人の松江豊は荷物を運びながら、ヒロシの好意に感謝しつつ、丁重に断りを入れた。
「え、でも、大変でしょう?」
「いえいえ、本当にお構いなく」
おしとやかなアラサー女性って感じの奥さん、寿子も、好意に感謝しつつ、丁重に断ってくる。が、そのそばでちょろちょろする男の子、春人はヒロシをぱっちりした目で見つめると、
「じゃあさ、僕と遊んでよ!」
とひょこひょこよってくる。
「こら、余計なことしないでお手伝いしなさい」
「そうよ、いい子だから。お兄ちゃんに迷惑をかけちゃだめ」
(別に迷惑じゃないけどなあ……)
余計なでしゃばりをしちゃったか、とヒロシはなんとなくばつが悪い。
「ああ、あとでご挨拶にうかがいますから。そのときに改めて」
豊は苦笑しながら言った。春人はちょっと、しゅんとして寿子のそばまでゆき、渡された自分の漫画本を運ぶ。
ヒロシは春人の背中を微笑ましく見つめて、
「どうも、お邪魔しました。すいません」
とその場を後にする、と。
「ばいばいお兄ちゃん、またね」
と春人は手を振り、ヒロシも応えて手を振った。
「あー、やんわり断られちゃったよ、はずかしー」
いつもそうだ。お人よしのでしゃばりな性格のため、恥ずかしい思いをすることは一度や二度ではなかった。で、今日もそうだった。
家に戻ったヒロシは二階の自分の部屋にゆく。
高校二年生の男子の部屋らしく、よく読む漫画やライトノベルや、GTといったプレステのソフトが散らばっていた。
机の上には、勉強のための筆記用具でなく、手の甲部分にガードのある分厚い手袋と黒いヘルメットと赤いバンダナと、鍵が無造作に置かれている。それに目をやると、椅子にかけてあるジャケットを手に取り身にまとう。
そのジャケットは、背中に十字のマークのあるイエローコーンのライダーズジャケットだった。
「うしっ」
びしっと襟をととのえると、まずバンダナを手に取り首に巻いた。それから、黒いヘルメットの中に手袋をつめこみ、鍵を手に取り、たたた、と階段を駆け下り、玄関の靴箱から太いエルフライディングシューズを出して履き、庭に出る。
庭にある駐車場の片隅に、ライムグリーンのオートバイがあった。オフロードバイクにオンロードタイヤを履かせたモタードというカテゴリのバイクだ。
Kawasaki D-Tracker。
ヒロシはこぼれる笑顔でD-トラッカーにキーをさし、セルスイッチを押した。
きゅるる、どぅるるぅん、とD-トラッカーは目覚めの息吹をあげた。
両手でハンドルを握りしめ、右ハンドルのアクセルをひねれば、D-トラッカーは、いよう、と呼びかけるように少し咆えた。
「ま、今日も元気いっぱい走ってきましょうかね」
ヘルメットを被り、手袋=グローブをはめ、ぽそっとつぶやくと、左手で黒っぽいスモークシールドを閉じる。このスモークシールドは直射日光や紫外線からライダーの目を守るバイクのサングラスとしたものだ。
景色は一瞬にして影がかかったように見える。このスモークシールドを閉じると、やる気が出てわくわくする。
左手でクラッチを握り、左足でギアを一速に入れ、アクセルを開け、さあ、いくか、と駐車場を出ようとした。
そのとき、
「かっこいい!」
春人だ。ひょっこり壁から顔を出して、にこにことヒロシとD-トラッカーを見つめていた。
ヒロシの家で何か音がしたので、なんだろと思って来てみたら、仮面ライダーがいた!
春人は嬉しそうにD-トラッカーのもとまでひょこひょこと歩み寄る。
「あ、こら、危ないぞ」
幸い走り出す前だったからよかったが、もしタイミングが悪くてぶつかったら、と思うとぞっとする。
「ねえねえ、お兄ちゃんでしょ、かっこいいねえ~」
春人はにこにこして、今にもヒロシの足にしがみつきそうな近さまでよってきて、穴があきそうなほど、D-トラッカーとライダーズスタイルで決めたヒロシを見つめていた。
子供が近くにいては、危なくてスタートできない。
「こめんよ、オレこれからでかけるんだ。危ないから離れて、おうちに帰りなよ」
と言うも、聞こえていないのか聞いていないのか、春人はまじまじとD-トラッカーとヒロシを見つめていた。
(まいったなあ)
一旦バイクを降りてこの子を家に送ろうか、と思ったとき、
「すいません、うちの子が迷惑をかけて」
とお母さんの寿子が平謝りしつつ、春人の手をとり、しきりに頭を下げて引っ張ってゆく。
「ああ、いいですよ。怒らないであげてください」
「すいません、すいません」
お母さんは子供の手を引きながらお辞儀をして、家に戻っていった。それを見届けると、
「ふう」
と大きく息を吐いて、気を取り直し、注意深く駐車場を出て、D-トラッカーのアクセルをひねりいい音させて街を駆け抜けていった。