悪役令嬢物を自己啓発本とした伯爵令嬢のその後〜愛と正義と真実は疑ってかかれ!〜
今回も、異世界ものによく出てくるあるあるを、色々とぶち込んでみました。テイストを少し変えて。
作者の作品には珍しく、かなり明るい話です。
ざまぁも、微、微…
コメディーというタグを入れようかと悩んだのですが、これまで一度もコメディーを書いたことがなかったので、そんなのコメディーではない!と批判されるのが怖くて入れませんでした。
お笑いのセンスもないし。
でも、楽しんでもらえたら嬉しいです。
「馬鹿ですの?」
明るい栗色のサラサラした髪に水色の瞳。
愛らしいお人形のような風貌のご令嬢のこのひと言で、ざわついていた教室が静まり返った。
「恋人連れで婚約破棄宣言というものは、卒業式にやるものだと相場が決まっていると思っていたのですが、入学式当日にするのが、新しいトレンドですの?
私、辺境の田舎者で、一週間前に王都に出てきたばかりなので知りませんでしたわ」
「いや、そんな馬鹿らしいことは流行ってないよ」
そう答えたのは、今日初めて会った同じクラスの鮮やかな赤毛の男子生徒だった。
「やっぱりそうですか。教えていただきありがとうございます」
そう赤毛の生徒に頭を下げてから、顔を上げて目の前の男女に目を向けた。
「ええと、お尋ねしますが、そもそもあなた方は誰ですの?」
令嬢の問いにみんなは唖然とした。
「えっ? あの人、婚約者じゃないの?」
「だってあの人、今、婚約破棄だと言ったわよね?」
誰かと訊ねられた貴族令息と思われる男子生徒の方は真っ赤になった。
その隣にくっついていたご令嬢は大きく目と口を開けていた。
「ふざけているのか!
僕はランディー=ホーランドだ。君の婚約者だ、ラルラ=バーディング!」
「まあ、どうして私の名前とクラスをご存じなの?」
「婚約者だからだ」
「そう言われましても、お会いしたことはありませんよね? お名前も初めてお聞きしましたし。
どうして私がラルラ=バーディングだとわかったのですか?」
「新入生代表として登壇したじゃないか!
それで顔がわかった。
それに代表になれたくらいだから頭がいいはずだ。だから一クラスだと思った」
「まあ! つまり私が代表でなかったら、どうやって今日婚約破棄とやらをするつもりだったのですか?」
「いや、どうしても今日というわけじゃなかった。分かり次第やろうと思っていただけだ」
「なるほど。
ちなみにあなたは何クラスですの?」
「五クラスだ」
「まあ、遠い所をわざわざありがとうございます。
それでは早めにご自分のクラスへお戻りになった方がよろしいのではなくて?
もうすぐ先生がいらっしゃると思うので」
クスッと笑い声が沸き起こった。
クラスは入学前に行われたクラス分け試験の結果で振り分けられていた。
つまり五クラスとは一番下であり、教室は違う建物なのだ。
「くそっ! とにかく、婚約解消したからな!」
「はい、よくわかりませんけれど了承いたしました。
そちらのご令嬢、ご心配はいりませんわ。私はお二人には関わるつもりなど、ま〜ったくありませんから」
「負け惜しみですか! 彼と私は真実の愛で結ばれているのですから、絶対に別れませんからね。
あなたにどんなに虐められ、邪魔をされても!」
「ですから、そんなご心配はいりませんわ。私はそれほど暇人ではないので」
ラルラは平然と微笑みながら、二人の背にそう声をかけた。
教室の中は沈黙に包まれた。
一体あれはなんだったのだろうと、みんな頭を捻っていた。
そのみんなの疑問を先ほどの赤毛で濃紺の瞳の生徒が代表してラルラに質問した。
「俺はサイラス=ジョグス。
君は、もしかしてバーディング伯爵令嬢か?」
「はい。あなたはジョグス侯爵家のご令息でしょうか?
父がいつもお世話になっております」
ラルラの父親は王城の文官で、ジョグス侯爵の部下だということを彼女は知っていた。
あの天然ボケの父を部下に持って、侯爵様はさぞかしご苦労されているに違いない。ラルラは深々と頭を下げた。
「ねぇ、プライベートな質問を公衆の面前でするのは申し訳ないのだが、みんな気になって仕方ないと思うので訊ねるよ。
さっきの彼、つまりランディーのこと、本当に知らないの?」
「はい。ジョグス様はご存じなのですか?」
「ああ。同じ侯爵家の息子だし、幼なじみとまではいかないが、まあ顔なじみだな。
それに、バーディング伯爵令嬢と婚約したという話を聞いていたんだが」
「まあ!」
ここでようやくラルラは驚いた顔をした。
そして、少し逡巡した後で、ため息を漏らしながら呟くようにこう言った。
「また父がやらかしたのですね。
父は人に頼まれると断われない質なのです。
おそらく、ホーランド侯爵から縁談を申し込まれて断われなかったのですね」
「つまり、君自身が知らないうちに婚約が成されたということかい?」
「ええ。私だけでなく領地にいる母も知らないと思います。でも、正式な婚約はまだ成立していないはずですわ。
ジョグス様なら我が父のことを耳にしていらっしゃるでしょう?
父は事務仕事が得意で、文官としてはそれなりに優秀だと聞いております。
そのために、畏れ多くも宰相閣下にも目をかけていただいているらしいのですが、それ以外はからきし駄目な人間なのです。
ですからそれを心配した閣下が、しっかり者として有名な女官だった私の母親と結び付けたのです。
子爵令嬢だった母に拒否権などありませんでしたわ。
ですが、母はそれを受け入れる際にいくつか条件を出しましたの。父との未来がよっぽど不安だったのでしょうね。
その中の一つが、今後生まれてくる子供に関することでしたの。
親権は両親が共に持ち、子供の結婚に関して親は強制せず、本人の意思に任せる。
父親だろうが結婚相手を勝手に選ぶ権限はない。このことを公正証書にして役所に提出していましたの。
普通あり得ない話ですが、それを認めてもらえないなら、白い結婚とさせてもらいますと宣言したらしいのです」
「宰相閣下と伯爵はよくそれを受け入れたね。親権を父母がそれぞれ持つなんて信じられない。前代未聞だよ」
黒髪に黒い瞳をした、まるで騎士のように立派な体格をした生徒が難しい顔をして言うと、周りの生徒達も頷いた。
「私の母は、現王妃殿下が王太子妃殿下だった当時にお付きの女官でしたの。
そして、妃殿下が進められていた女性と子供の権利と保全を守るための法案、その骨子案作りをお手伝いをしておりました。
その妃殿下の懐刀を奪うことになったので、母の要求を認めざるを得なかったようなのです」
「すごい両親だな。宰相と王妃殿下にそこまで必要とされているなんて」
「侮っては駄目だと家に戻ったら親に話さないと」
「こりゃあ、絶対にホーランド侯爵が強引に進めた縁談だな」
「今、あそこ、傾きかけているみたいだしな。何でも株の投資に失敗したらしいぞ」
ラルラは冷静に周囲の情報や反応をしっかりと頭に入れていた。
「君は彼を知らなかった。ということは、この婚約は君の意思を無視して伯爵が勝手に決めたことだから、そもそも成立していなかったというわけか」
「はい。その通りです。まあ、ホーランド侯爵令息には大変申し訳ないのですが」
「いや、君が申し訳なく思う必要なんてないだろう。
誰かが言っていたが、その縁談、絶対にあっちのゴリ押しだろうからな。
まあランディー本人はそれを知らなかったかもしれないが」
サイラスの言葉を聞いて金髪に緑色の瞳をした一人のご令嬢がこう言った。
「これが小説ならば、父親から
『相手のご令嬢がお前に一目惚れしたらしくて婚約して欲しいと申し込まれた。
しがない伯爵家の娘ではあるが、身分としてはまあまあだろう』
とでも言われていたのかもしれませんわね。
しがないだなんて、失礼なことを言ってごめんなさいね。言葉の綾ですから」
「分かっておりますわ」
ラルラは気分を害する風でもなく頷いた。
すると今度は銀髪に青い瞳の別のご令嬢が言った。
「そんな分かりやすい嘘を真に受けて、あの人はこう思ったのじゃないかしら。
『自分のような高貴で都会的な人間に一目惚れするのはわかる。
しかし、たかだか辺境の田舎者の伯爵令嬢ごときが、結婚を申し込んでくるとは、身の程知らずだ。
私には美人でしかもおしゃれなカトレアという最高の恋人がいるというのに、その仲を割って入ろうとするなんて、許せることではない』
とか思っていたんじゃないかしら。
あっ、たかだか辺境の田舎者だなんて、ごめんなさい。
あなたは田舎育ちだなんてとても思えないほど、洗練されているわ。それにとても可愛らしいし。
これはあくまでも彼がそう思ったのではないかという推測ですわ」
「もちろん、承知しておりますわ。むしろ、褒めていただいて嬉しく思います。
ホーランド侯爵令息の恋人の名前も教えてもらえましたし」
「彼女はカトレア=ループル。伯爵令嬢よ。
ホーランド侯爵令息の幼なじみですわ。
二人がとーっても仲が良いことはよく知られていますわ」
「そうそう。彼女、子供のころ体が弱くて、彼がいつも守ってあげていたそうよ」
「それじゃあ、あの方にとって幼なじみの恋人は、まさになによりも大切な存在ですわね。
そんな人と結婚したら、お飾りの妻間違いなしね」
「しかもバーディング伯爵令嬢はかなり優秀なご様子だから、お仕事もせずに愛を語らうだけのお二人の分まで、ただ馬車馬のように働かされる未来が見えるようですわ」
「ええ〜! そんな結婚生活は地獄だわ。私なら絶対に嫌よ。
バーディング伯爵令嬢、こんな婚約から逃げ切ってくださいませ。微力ながらお手伝いいたしますわ。
遅ればせながらですが、私はマーガレット=モントスですわ」
「まあ。モントス公爵令嬢のマーガレット様にそう言っていただけるなんて、本当に心強いですわ。ありがとうございます」
金髪に緑色の瞳をした一人のご令嬢にラルラは深々に頭を下げた。
すると、次々とご令嬢方が協力すると申し出てくれた。
さすが公爵令嬢の影響力は大きい、とラルラは心の中で感心した。
このわずかな時間にラルラはこのクラスの女子とは全員挨拶を交わし、名前を覚えた。
ちなみに銀髪に青い瞳のご令嬢はエリザベス=ララリウム辺境伯令嬢であり、ラルラ同様辺境出身のご令嬢だった。
ただし母親が侯爵家出身ということで、とても都会的でお洒落なご令嬢だったので、彼女を見習わなければと思った。
「それにしても、あのお二人は幼なじみでしたのね。
それではさぞかし私を疎ましく思っていらっしゃることでしょう。
私、知らないうちに真実の愛を引き裂く悪役令嬢になるところだったのですね。怖いですわ!」
ラルラは巷で人気の小説を思い出して身震いした。
「それに、私が教科書を破ったとか、筆記具を壊したとか、ドレスを汚したとか、ランチを床に落としたとか、そんな噂が流れて、それが侍女長のマリーナさんの耳に入ったら、私、どんなお仕置きをされるかわからないわ!」
「お仕置き?」
ご令嬢方が頭を捻ると、ラルラは真っ青な顔でこう答えた。
「我が家のベテランの使用人達は、父をあんなお人好しの世間知らずにしてしまったという、深い悔恨の念を抱いているのです。
というのも、父は十代半ばで両親を亡くし、家令や執事、侍女長に育てられたようなものなのです。
しかも皆で可哀想だと猫可愛がりした結果、悪には染まりませんでしたが、反対に純粋無垢過ぎる、貴族として、いいえ、人として生きて行けるのか!
と心配になるような大人になってしまったのです。
それでも頭が良かったので役人としては重宝されるようになったのですが、これでは社交や領地経営(主に取り引き先とのやり取り)など無理だということが丸わかりで。
そこで宰相閣下が、しっかり領地経営並びに家を守れる女性を妻にしなければと、私の母に白羽の矢を立てたのです。
先ほども申しました通り、母はこの結婚を受け入れる際にいくつか条件を出しました。
その最たるものが、使用人の意識改革でして、我が母が婚約中に年上の使用人達をスパルタで厳しく鍛え直しましたの……
母が領地にいて父が王都で暮らす、別居結婚になるわけですから、母が父を見張る訳にもいかないからと。
ええ。それはもう、彼らをまるで別人のような『鉄の心を持つ使用人』に変貌させたらしいのです。
私はそれ以前の姿を知らないので、彼らが昔は優しげな人間だったというのがとても信じられないのですが。
おそらく父は登城しているときに、ホーランド侯爵に話を持ち掛けられたので断り切れなかったのだと思いますわ」
「つまり、君はその『鉄の心を持つ使用人』に育てられたということか。
清く、正しく、美しくあれ!と?」
サイラスの問いにラルラは首を横に振った。
「そうではありません。むしろ逆ですわ。
『愛と正義と真実などという言葉は疑ってかかれ!
そんな生ぬるいものがこの世にあってたまるか!
もしそんな言葉を使う者がいたら、そいつは詐欺師だと思え!
大切な人やものを守りたいなら、そんな薄っぺらで聞こえが良い上辺だけの言葉を信じるな! 騙されるな! 嵌められるな!』
と事あるごとに言われ続けましたわ。しかも山のような啓発本と共に」
その啓発本が、いわゆる「ざまぁ本」と呼ばれる巷で流行っていた軽〜い本だったとはとても口には出せなかったが。
すると、黒髪に黒い瞳の男子生徒が、ラルラに同情するような目を向けてこう言い募った。
「大丈夫だよ。俺達は君が悪役令嬢のような真似をするなんて信じない。
さっきの彼女がもし、君に何かされたなんて触れ回っても」
「というより、いつも誰かがバーディング伯爵令嬢の側についているようにすれば、いいのではないかしら?
そうすればやっていないと証明できるでしょ」
「それに加えて、ループル伯爵令嬢の方にも誰か側にいるようにすれば、そもそもそんな一人芝居ができなくなるのではないかしら?
五組に友人がいるので頼んでみますわ」
「まあ、それはいいアイデアだわ。
ループル伯爵令嬢もホーランド侯爵令息とばかり一緒にいるのは、決して良いことではありませんもの。
真実の愛とやらを貫きたいのなら、親に認められるような令嬢にならないといけませんものね」
「それならついでにランディーの方も鍛えてやろうぜ。
あいつがしっかりすれば、なにも無理矢理政略結婚させられずに済むだろうし。
こうなったら、我が一組のみんなで、バーディング伯爵令嬢の悪役令嬢化を防ぎ、真実の愛で結ばれている二人を本当に結ばせてやろうぜ!
将来のためのきっといい社会勉強になると思うぜ。
俺があいつの勉強面をフォローするから、マーナーは体力面を頼む」
サイラスがそう言うと、黒髪に黒い瞳の男子生徒が頷いた。
何でも彼はマックハイド騎士団長の息子の伯爵令息らしい。
サイラスの号令にみんな乗り乗りに頷いたので、ラルラは改めてクラスメイトに頭を下げた。
「本当に皆様ありがとうございます。
これでどうやら悪役令嬢にならなくてすみそうですわ。
この諸悪の根源はホーランド侯爵だとは思います。
ですが、そもそも正確な情報を最初に与えなかった我が父にも問題があったのだと思うので、令息には少しだけ申し訳なく思っておりましたの」
「正確な情報とは、伯爵には決定権がないということ?」
「ええ。それとあと一つ。そもそも私は嫡女なのであちらへは嫁げないという事実です」
「「「えっ?」」」
みんなはまたもや唖然とした。
そしてバーディング伯爵のその天然ぶりがどんなものか、実感し、本当に役人として大丈夫なのか?と不安になった。
ただし、本当に仕事に関してはかなり優秀で、彼の作った経済対策で何度も国難を乗り切ってきた。
しかしプライベートのことになると、信じられないくらい無能になるのだ。
書類ならば完璧に仕上げられるのに、会話となると言葉足らずで、いつも相手に言い負かされてしまうのだ。
「両親は政略というか、強制されて結婚したのですが、結婚後父は母を溺愛するようになりましたの。
そして宰相にどんなに妨害されようとも、なぜか休暇だけはしっかりともぎ取って領地に帰っていたのです。
その結果、私の下に弟二人と妹が一人おりますわ。
それで、ホーランド侯爵はてっきり弟が後継者になると思い込んでいたのでしょう。
ですが、上の弟は騎士団に入るから領地経営する気がなく、下の弟は植物の研究者になりたいと言うので、私が婿を取ることに決まっているのです。
ちなみにまだ五歳の末の妹はお花屋さんになりたいようですわ」
「ホーランド侯爵、もっと情報収集しろよ!
そんなだから株に失敗したんだろうな」
クラス全員がそう思ったのだった。
そしてその後、予定より少し遅れてやって来た教師は、すでに自己紹介をすませ、すっかり意気投合している生徒達を見て、驚いて目を瞬かせたのだった。
✽✽✽✽✽✽✽
あっという間に三年が過ぎ、ラルラ達は卒業の日を迎えた。
この年の卒業生は奇跡の学年と呼ばれていた。なにしろ中途退学者が一人も出なかったのだから。そんなことは、創立以来なかった快挙らしい。
もちろんいざこざはそれなりに起きていたが、生徒達の力でそれを解決してきた。
身分差や貧富の差は変えられなかったが、それでもそこに友情は芽生えた。
入学当初のクラス分けも次第に意味をなくし、どのクラスも大して学力差がなくなった。
ただしそれでも一クラスだけは群を抜いて優秀だったので、三年間入れ替わりが一切なかったが。
王城並び各役所の官吏試験合格者数は過去最高となった。正騎士合格者数も群を抜いていた。
なんと入学時に五クラスだったあのランディー=ホーランドまで、二級官吏試験に合格し、卒業後は役所勤めをすることになった。
幼なじみで恋人のカトレア=ループルと結婚するために、友人達の協力を受けて必死に努力した結果だ。
そのカトレアも、やはり友人達のアドバイスで生活習慣を見直し、食事を改善し、適度な運動を続けるうちに次第に健康体になった。
そして侯爵夫人となるために家政学や経営学を真剣に学び、結婚を許されていた。
まあ、二人は知らないが、侯爵が認めたのは宰相から半ば強制されたからだったのだが。
三年前ホーランド侯爵は、宰相からの恨みを買ったのだ。
というのも、侯爵がバーディング伯爵家と無理やりに縁を結ぼうとした件が原因で、伯爵が腑抜けの役立たずになってしまったからだ。
そのせいで王城は一時てんやわんやになったのだ。
なぜバーディング伯爵が腑抜けになったのかというと、彼が娘の婚約を勝手に決めたことを知った妻が激怒したからだ。
それは当たり前のことだった。結婚時の契約を違反。
領地から飛んできた妻から離縁すると言い出された伯爵は、その場で卒倒した。
夫人に離縁されたら領地を守るために伯爵は職を辞することになる。上司であり財務大臣であったジョグス侯爵や、宰相は頭を抱えた。
二人は王妃に頭を下げて夫人に口添えをしてもらえるように懇願した。このままでは国の経済が回らなくなると。
被害者である娘のラルラの取り成しもあり、夫人はどうにか離縁だけは思い留まった。
しかし自分の娘も守れないような男は、どうせ領民も守れない。そんな領主ならばいらないと、夫人は夫が領地の屋敷に立ち入ることを禁じた。
当主が門前で土下座をして泣きながら頼み込んでも、『鉄の心を持つ使用人』達が立ちはだかり、決して中へ入れてくれなかったのだ。
それから三年、伯爵は未だに自分の領地の屋敷に入れていなかった。
そんなバーディング伯爵が、今日は娘の卒業式に嬉し泣きしながら参加していた。
しかも本来なら来賓席に座るべき地位になっていたにも関わらず、父兄席に座っていた。
なぜなら、そこでなら愛妻の隣にいられるからだった。
「財務大臣、感動して泣いているね」
「ええ。でもあれは娘の卒業に感動して泣いているわけじゃなく、ようやく妻の顔を見られたからですわ」
「夫人はようやく許す気になったのかな?」
「半年前、私達の婚約が決まった時点で許していたとは思うのですけれどね。
サイラス様には本当に感謝しています。
『これからは自分が側で伯爵を支え、しっかり見張ります。
ですからその権利を与えてください』
と言ってくださったから、ようやく母も安心して、父を許せる気になったみたいですから。
サイラス様みたいな立派な息子が近くにいてくれるのなら、あの夫もどうにかなるかもと」
「いや、婿として義父を支えるのは当然でしょ」
「いえいえ、本来、親が子を守るべきなのですよ。
それなのに父ったら、全く的外れの手紙を書いてきたらしいのですよ。
『サイラス君がいずれお父上のジョグス侯爵のような立派な宰相になれるように、自分がしっかりとフォローするから、二人の結婚を許してあげて欲しい』
だなんて。
でもまあ、ようやく娘のためにそんな心意気を持てるようになったのならと、少しだけ父を見直すことができたみたいなのですけれどね」
ラルラはクスッと笑った。
一年ほど前に件の宰相が引退し、それまで財務大臣だったサイラスの父であるジョグス侯爵が新たに宰相となったのだ。
そして、ラルラの父であるバーディング伯爵が自動的に繰り上がって、なんと財務大臣になったのだ。
誰がどう考えても、心配なのはサイラスではなく父だとラルラは思った。
そんなきつい言葉を吐きながらも、優しい眼差しで両親を見つめるその愛らしい顔を、サイラスはじっと見つめた。
そして学園に入学してからの三年間を思い返していた。
新入生代表が自分ではないと知ったとき、彼はひどく驚いた。
次男とはいえサイラスは名門侯爵家の息子であり、幼い頃から神童と呼ばれていた。
学問や武道において、同世代の者に負けたことなどなかったからだ。
一体誰が試験で自分を負かしたのかと思っていたら、壇上に現れたのはまるでお人形のようにふんわりと愛らしく可愛い令嬢だった。
明るい栗色のサラサラした髪に水色の瞳。
しかし、そのお人形のようなご令嬢は、突然の婚約破棄宣言にも全く動じることなく、冷静に対処していった。
しかも自分の家の恥まで平気で明かして。
彼女の父親はちょっとした有名人だったので、いまさら隠してしょうがないと開き直っていた。
上手に周りを味方にしていたその手腕にサイラスは脱帽し、まあ、その日のうちに彼女に好意を持ってしまったのだ。
サイラスとラルラは三年間同じクラスだった。しかも彼らは生徒会役員に選ばれたので、ほとんど一緒に行動していた。
だから彼女が口では
「愛と正義と真実などという言葉は疑ってかかれ!
聞こえが良い上辺だけの言葉を信じるな! 騙されるな! 嵌められるな!」
をモットーにしているといいつつ、誰に対しても親身に接している姿を見てきた。
あの因縁の仲であるカトレア=ループル伯爵令嬢を立派な淑女に仕上げたのも、ラルラだったと言ってともいいくらいなのだから。
あの二人は、今ではラルラの信奉者になっていた。
これからの自分の人生は彼女と共にありたい。そう思った彼は、半年前に彼女にこう告げた。
「俺は次男なので、良い婿入り先を探している。俺ならば、君の父親を上手くフォローしていけると思う。
君にとっても悪くない話だと思うが、どうだろうか? 一度考えてみてはくれないだろうか」
ラルラは全く驚くこともなく彼を見上げると、いつもの微笑みを浮かべたままでこう訊ねた。
「私のことを好きでいらっしゃるのかしら?」
「嫌いではない」
「いつから私との婚約を考え始めたのでしょうか?」
「入学式の日に、君が嫡女で婿取りだと知ったときかな。いい婿入り先が見つかったと」
「ぷっ!」
ラルラは珍しく笑いを堪らえられずに吹き出した。
(私が婚約破棄され、我が家の恥を散々曝したあの日のうちに、婚約を考えたっていうの?
それではまるで、私に一目惚れしたと言っているようなものじゃないの。
いくら私が婿取りだと分かったからといっても、名門侯爵家の令息なのだから、いくらでも良いご縁があったはずなのだから。
まあ、あの場でいち早く救いの手を差し伸べてくれた貴方に、私だって好感を持ったのだけれど)
ラルラはちゃんと分かっていた。
なぜサイラスが、わざわざそんな捻くれたような物言いで告白してきたのかを。
出逢ったあの日、愛と正義と真実などという言葉を安易に使う人間は信用しない。そう自分が言ったからだと。
でも、彼女は母親とは違い、二年半ずっと彼の側にいて、彼の表と裏の顔をたくさん知っていた。
それゆえに、今さら無駄に返事を引き延ばす必要などなかった。
それこそどこかに潜んでいるかもしれない悪役令嬢に、もし彼を奪われたりでもしたら大変だ。
だからラルラは、サイラスに向かってこう言った。
「これまでに貴方について考える時間はたくさんあったので、もうこれ以上必要ありませんわ。
婚約のお話、謹んでお受けしますわ」
ラルラが頬を染めてそう返事をすると、サイラスは一瞬ポカンとした後で、笑顔を炸裂させた。
そして歓喜の雄叫びを上げなから彼女を抱き締めて、まるで踊るようにくるくると回ったのだった。
サイラスがそんなことを回想していたら、クイクイとラルラからローブを引っ張られた。
「サイラス様、間もなく出番ですわね。
私は緊張してドキドキしているのに、貴方はずいぶんと余裕があるみたい。さすがは首席卒業者ですわ」
「それは皮肉かい?」
「まさか! 本当に尊敬していますのよ。さすが私の婚約者様だと」
上気した顔でそう言われれば、その言葉を疑いようがなかったので、サイラスは嬉しそうに微笑んだ。
この三年、二人は切磋琢磨してきた。そして毎回試験ではトップ争いをしてきたのだ。
それゆえに、どちらが卒業生代表になってもおかしくはなかった。そこで、学園側は最後の試験で決めることにしたのだ。
その結果……
もしかしたら、自分に花を持たせるために彼女がトップの座を譲ってくれたのかも……とサイラスは考えた。
しかしラルラは
「私がそんな失礼で無礼な真似をするわけがないでしょう。
万が一そんなことをして、あの『鉄の心を持つ使用人』達に知られたら、それこそただでは済まないわ」
と言ってから、ブルッ!と身震いしたのだった。
しかし、実のところ彼女は、試験中にふと卒業生の代表者だけが身に着けられる、白いマント姿のサイラスを思い浮かべてしまったのだ。
しわ一つない真っ白なマントに、あの鮮やかな赤い髪が映えた様はさぞかし素敵なことだろう。
そして暫しうっとりしていたせいで、大幅に時間をロスしてしまったのだ。
しかし、ラルラはその事実を、心の奥深くにそっとしまい込んだのだった。
学園を卒業して半年後、ラルラはサイラスと結婚した。
サイラスは結婚後、義父を支えつつ、その有能さを早くもいかんなく発揮していた。
しかし、彼は新人でありながらどんなに周りが忙しがっていようとも、自分の仕事が終わるとすぐ様休暇を取って、妻の住む領地へと向かった。
しかも、時々義父の休暇分までぶん取って。
義父は当然休みを譲るなんて嫌だと主張したのだが
「義母上は、半年後にはラルラに領地経営を任せてタウンハウスに来られるのですよ。
だから少しくらい休暇を譲ってくれてもいいじゃないですか!
俺達は新婚なんですよ!」
そう婿に言われて泣きながら譲ったのだ。
しかし、自分の押しの弱さに、義父であるバーディング伯爵はその後とても悔やむことになった。
なぜなら、その後娘が妊娠したことで、妻は娘の出産を終えるまで領地残ることになったからだった。




