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第17章 私は、婚活をやめた ——静かに幕を下ろした戦場で『幸せ』の定義を書き換える

私は婚活をやめた

7年間たくさんの男性に会ってきた。お付き合いもした。

でも結局駄目だった。

頑張ることに、もう先がなかった。限界じゃなくて、“終点” だった。

これ以上婚活を続けることは私にとってマイナスでしかないと思うようになった。


婚活を続けている間、ずっと婚活仲間たちが私を励まし続けてくれた。

「大丈夫、結婚できるよ」

「次はきっといい男性に巡り合えるよ」

でもそれを言われることがつらくなってきてしまった。励ましてくれた仲間には感謝しているが、私はもうがんばれそうになかった。

「大丈夫、結婚してなくたって充分幸せになれるよ。」と言われてみたくなった。そういう自分になりたいと思った。


◆孤独の正体:「結婚しないと不幸」は妄想だった

婚活をしていた時は

「将来のことが不安で孤独のまま死んでいくのが怖い」と思っていた。

それが原動力になっていたと思う。

だからこそ

「婚活を辞めてしまったら孤独のまま生きて死ぬだけだ」という妄想に囚われてしまい、焦って必死で婚活をし続けた。

ずっと自分なりに婚活を頑張り続けてきたからこそ「頑張らない=ダメな自分」みたいな感覚が染みついてしまったのかもしれない。

頑張るのをやめたら、そこからズルズル落ちていくようなイメージが浮かんでしまって「頑張らない」時間を作ったら、これまでの頑張ってきた実績や強さが消えてしまうんじゃないかと怖かった。

でも「頑張らない自分を許す」って「できない自分を許す」ことじゃなくて「頑張りすぎた自分を労う」ことなんじゃないかって思えるようになった。


まわりに信頼できる人がいるということにフォーカスしたら「孤独」という不安は解消できると感じるようになった。

私の周りにはたくさん信用できる人がいると、今、確かに感じている。

死ぬときはひとりかもしれないけど、きっと私の葬式で泣いてくれる人はたくさんいるだろう。

どんなに落ち込んで孤独を感じても、鏡の前に立てば、私の顔は大好きな父と母の顔に似ていて、決して孤独ではないと感じるし、肌は綺麗をキープできている。悩んだら相談に乗ってくれる友人が居て、すぐに飲みに行ってくれる親友が居る。

好きなものを好き、嫌なものは嫌と表現していい。こんな幸せはない。

無いものを数えて病む必要なんてなかった。

本当にバカ。


孤独は怖いものだと思ってた。

ひとりでごはんを食べる夜。帰っても誰もいない部屋。鳴らないスマホ。

でも、誰かといるときの方が、もっと寂しいと感じることもあるんだって気が付いてしまった。気を使いながら笑って、心のどこかで傷つきながら、隣にいるのに全然満たされない。

ひとりで過ごす時間は、確かに静かだけど、心を削るような沈黙じゃなかった。それは、自分とちゃんと向き合える、安心できる静けさだった。

「ひとり」は、決して「孤独」じゃない。


本当の孤独って、ちゃんと自分を見てもらえないことなんだ。


結婚することで得られるものもあるけれど、結婚しないからこそ守れる時間や自由もある。私はもう「結婚していない」ということに、自分の価値を落とされることをやめた。


◆「私は成長した」

婚活をするのはお金がかかる。

洋服代、美容代、交通費、参加費、食事代、入会金、月間費、セミナー代など様々な費用が発生する。

婚活を継続させると言うことはそれだけ時間とコストを費やすことでもある。もっと経済的に困窮していたら結婚をしたいと思う余裕すらないだろう。婚活ができるというだけである程度恵まれた部類なんだと思う。

それでも私がこんなに結婚がしたかったのは「両親がとても仲がいい」からだと思う。父は会社員で母は私が小学生のときからパートをしていた。あまり裕福な家庭ではなかったかもしれないけど、流行りのゲームや漫画は買ってもらえたし、習い事にも行かせてもらえた。両親は高卒だったけど、姉が大学に進学したいと言えばお金を出して大学に通わせた。たぶん高卒で社会に出たときの厳しさを知っていたからだと思う。私は大学に行く理由を見出すことができなかったから高卒のまま就職したけれど、両親は特に反対はしなかった。それぞれがやりたいようにやればいいというのが2人の教育方針だったんだと思うし、私なら高卒で社会に出ても歯を食いしばってなんとかするだろうと思われていたのかもしれない。

父と母からは「人に迷惑をかけたときはきちんと謝りなさい、助けてもらったらお礼を言いなさい、困ったときは人に頼りなさい」ということくらいしか教わっていない。

何かをして否定されたこともない。

ただ「やりたいことや欲しいものがあるなら、その理由をきちんと説明しなさい。」と怒られた。


何の苦労もしないまま私は大人になった。

私が人生で唯一うまくいかなかったのが「婚活」だった。

それ以外のことは、少しずつでも努力すれば結果につながった。

でも婚活だけはダメだった。


婚活に一生懸命だったときは毎日結婚結婚結婚結婚……と自分のことを追い込んでいた。 丸1日家にいる暇があったら出会いの場に繰り出さないと運命の人に出会えない!と焦っていた。


婚活は私にとって「逃避」だったのかもしれない。

結婚に向けた前向きな行動をすることで、自分は輝かしい未来に近づいていると思い込んでいた。そのための努力だから頑張れた。


婚活は恥ずかしいことじゃない。

パートナーが居ないということをまわりに知られるのが恥ずかしいのだ。

独身である自分、結婚ができない自分を証明する行為こそが「婚活」。

だからこそ「婚活をしている」なんて恥ずかしくて言えないのだ。

恥ずかしいのは婚活じゃない、私自身だ。


私がミツルと付き合っていたとき、

「元嫁の方がまだ良かった、あいつは俺の言うことをきいていた」

「お前は全然わかってない、頭がおかしいんだよ」

「だからお前は結婚できないんだ、俺は結婚していたからそれがわかる」

「だからお前は今まで独身だったんだよ」

「全部お前のせいなんだよ」

繰り返しそう言われ続けた。

言い返すと余計ひどく乱暴な言葉で怒られた。

ずっと自分を否定され続けると「その通りかもしれない」と思ってしまう自分がいた。

ミツルはバツイチで私は未婚というだけで「結婚している方が優秀だ。」と主張し、上下関係をつくり自分の支配下で私を洗脳しようとした。


私はダメな人間でそんな私と付き合ってくれる彼に感謝しなければいけない。今までの恋人は全員、私がダメな女だから結婚してくれなかったんだ。

彼だけがダメな私をちゃんと叱ってくれる、私を見てくれているのは彼だけだ。そう思い込まされた。


「結婚できないってことはあなたに問題があるってことでしょ」

「お前がダメ女だから変な男が寄ってくるんだ」

「世の中同レベルの相手としか出会えないようになっている。あなたのレベルが低いから理想の人に出会えないだけなんじゃない? 高望みなんだよ」

「そういう男を好きになるお前が悪い」

「だから全部お前が悪い」

どれだけ傷ついたか分からない。

こうした言葉は、加害者の行為や社会の歪みから目を逸らさせ、傷つけられた側に責任を押し付ける。結果として、被害者は二重に傷つけられる。被害そのものに加え、『自分が悪いのではないか』という罪悪感まで背負わされてしまうからだ。


私には相談に乗ってくれる友人が居たから、その環境自体がおかしいということに気が付くことができて、今は普通に生活できるまで回復した。

それでもミツルと行った場所やミツルに似た風貌の男性に、外出先でたまたま遭遇すると、目の前が真っ暗になって息が苦しくなる。

少しでも落ち込むようなできごとがあったとき、気が付いたら「私がダメなんだ、私が全部悪いんだ」と無意識につぶやいているときがある。

あのときの思考の癖は簡単には治らないみたいだ。

それに私はもう数々の男に騙されて裏切られてきたから、もうあまり男性を信用できない。元々社交的なので間口は広いけどその先が砂時計の真ん中の細い部分くらい狭くなってしまった。好きになれる男性はきっと居るけれど、心の底から信頼できる男性を見つけられるとは思えない。


でも振り返ると、これまで私は「男に騙された」「裏切られた」と思ってきたけど、それだけじゃない。 私が勝手に「この人ならきっとこうしてくれる」と期待し、「これが普通だ」と思い込んでいたことが、私が傷つく原因だった。


私はようやく、自分を大事にできるようになった。

自分の感情に気付いて、無視せずに認めてあげられるようになった。

「嫌なことは嫌」と言っていいんだと思えるようになった。

私は結婚相手を見つけることはできなかったけど、婚活をしている間、ちゃんと前に進んでいたと思う。人を観察する力、自分の気持ちを言葉にする力、そして、自分を見失わない力。感情を表に出して人前で泣くこともできるようになっていて、泣いた私を慰めてくれる大切な友人とも出会えた。

婚活を通して、私は誰かに選ばれるために生きるんじゃなく、自分で自分の人生を選び取ることの大切さを知ったんだ。


◆私を縛っていたもの

小さい頃、誰もが買ってもらったランドセル。

私がランドセルを買ってもらった時代は、女の子は赤で男の子は紺と決められていた。女の子が男の子の色を買うのは「いじめられる原因になるからやめなさい。」と言われた。

好きな色を選んでいじめられてしまうことの方が間違っているのに、なぜか選択の自由を奪われるのは弱い立場の人間だった。

しかし今は赤、青、緑、紫、黄、茶などたくさんの種類の中から自分の好きな色のランドセルを選べる時代だ。それだけ今の時代を生きる子供たちは私たちとは全く違う世界を生きているんだと思わされる。

たしかに女の子の色と男の子の色という教え方をされて育ってきた親世代からしたら信じられないことで、できれば自分が思う無難な色を選んでほしい気持ちは充分に理解できる。自分たちだって本当は当時違う色が欲しかったかもしれないが、結果的に与えられた色のランドセルを6年間使用していて特に大きな問題もなく平和に過ごすことができたのだから、その経験から考えれば「好きな色」を選ばせることよりも「自分が経験した一番安心できる無難な色」を選ばせたくなるのは自然なことだと思う。でもそれは私もそういう時代を生きていたから理解できるだけのことだ。

「女の子らしい色、男の子らしい色にしなさい」

「その色を選ぶなんておかしいからやめなさい」

「そんな色にしたら変わった子だと思われるよ」

「みんなと同じ色にしなさい」

そうやって好きな色を選んでいい環境に居る子供たちから選択の自由を奪ってしまうことは “モラハラ” なのではないかと私は思う。


だが、これからは「ランドセルの色を自由に選ぶことを許された人たち」の時代になる。

「結婚しないという選択をした」だけで、それを良いとか悪いとか評価することも比較することもなく、自分が良いと思ったものを自由に選択することが当たり前という価値観を持った大人がこれからどんどん増えていくと思う。


「結婚していない人には問題がある」のではなくて

「結婚していない人には問題があると、他人を評価する人に問題がある」という時代がきっと来る。

むしろもうそういう時代だというのに、自分が育った時代の価値観で自分自身を縛り付けてしまってはいないだろうか。


結婚しない自分を責め続けて、

自分で自分に “モラハラ” をしていたんじゃないだろうか。


自分の信じてきた価値観を捨てることは簡単ではないが、今の自分にとって都合がいい価値観を選択して「時代が変わったせい」にしてみるのも悪くないと私は思う。

幸せの象徴が結婚だったときの呪縛から解き放たれないと、本当の意味で幸せになれない。 婚活の前に、自分は何をしているときが幸せなんだろうって敏感になっていれば、変な男に引っかからなくて済んだ気がする。

「結婚できない私には価値がない」――この言葉は、他人が私に言ったものじゃなく、私自身が自分に浴びせていたものだった。

自分に課していた “呪い” を解いたとき、初めて息ができた気がした。

ランドセルの色を「女の子は赤、男の子は紺」と決めつけられていた時代みたいに「女は結婚すべき」と無意識に思い込まされていただけだった。

でも、もう私は自由だ。誰にも縛られない。


◆今、ここにある幸せ

7年間必死で婚活をして「もうここまでやってダメなら仕方ないし、私には結婚する才能がなかったってことだ」と思ったら、逆にとても気持ちが軽くなった。

「孤独のまま死んでいく」なんて妄想はしなくなった。

「婚活を辞めてしまうということは幸せな未来を掴むのをあきらめるのと同じことだ」と思っていたのに「婚活を辞めたら、幸せな未来しか想像できなくなった」。気持ちが軽やかで毎日が充実した。

明日は何をしよう、来週は何をしようといつもワクワクしている私がいる。


それは婚活中に、結婚した後の未来を想像し、将来資金や住宅購入に関する知識、女性の身体のこと、美容、アンチエイジング、メンタルケアなど自分が自信をもって健やかに生きていくために必要な知識を学んできたからこそ得られた安心感のおかげかもしれない。

婚活をきっかけに、行ったことのない場所や新しいコミュニティに参加する勇気や初対面の人とのコミュニケーション力も鍛えられた。

身体の若さはもう衰えてきているが、気持ちの若さは維持できているので、今後の長い人生でも、新しいことへの挑戦やいろんな人とのコミュニケーションを楽しむことができるという自信がある。

自分を大切にするって言うと難しいけど「今を大切にする」ならできる気がしてきた。

いつも「ここで我慢すれば報われるはず」と思って未来に期待して今を犠牲にしていた。そしたらどんどん苦しくなって重くなって動けなくなって今も未来も台無しになった。


私は今、結婚はしていないけれど、ちゃんと幸せに生きている。

もちろん、誰かと支え合いながら生きていく人生も素敵だと思う。

そういう人生を諦めたわけじゃない。

結婚をしなくていいとは思ってない。

でも、誰かが居なければ幸せになれないという考えからは解放された。


もし今あなたが「結婚しないと幸せになれない」と思って苦しんでいるのだとしたら、どうか知っていてほしい。

誰かと結ばれていなくても、誰にも選ばれなくても、あなたがあなたを選んで生きていくことは、ちゃんと尊くて、ちゃんと幸せなんだよって。


今までは「みんなみたいに結婚しなきゃ」と思ってたけど、婚活をやめて解放されたら「みんなと違う私めっちゃ尊い」くらい自信が持てた。

そして、あなたにも、結婚しても、結婚しなかったとしても、

そう思える日が来ることを心から願っている。

「今を大切にする」ことが未来を明るくするんだ。


◆「私は、私でよかった」

結婚ばかりに目を向けていたから気が付かなかったけれど、私の人生は今までもずっと充実していて明るいものだった。私にとって婚活は、なにも見えない万華鏡をずっと覗きこんでクルクル動かすことに夢中になって、いつかキラキラ光り出すことを信じているだけの無駄な時間だったのかもしれない。

婚活をしているときの私は、自分で自分を小さな筒の中に閉じ込めて、暗くて狭いトンネルの中にいると思い込んでしまっていた。

入口も出口も見えないくらい真っ暗なことが不安で、ひとりで歩くことが怖くて、このトンネルの先には本当に出口があるのだろうか、もしかしたら出口なんてないのかもしれないと疑った。なぜトンネルの中に居るのか、本当に出口を求めて歩いていたのか、トンネルを抜けた先の目的地はどこなのか、何もわからないままただ真っ暗なトンネルの中でもがき続けていた。

はじめはただキラキラしたものが見たかった、ただそれだけのはずだったのに。


でも、なにも見えない万華鏡をのぞき込むのをやめて、パッと顔を上げた時、自分は真っ暗なトンネルの中にいたのではなくてキラキラ光る広い世界の中にいたことに気が付くことができた。


私が本当に欲しかったのは、結婚というステータスではなく、

「私という存在を丸ごと認めてくれる誰か」だった。

でもその “誰か” は、他人ではなく、実は自分自身だったのだ。


婚活中もずっと私のことを見てくれる人を探し続けていた。

スペックもステータスもなんでもいいから「ずっと隣に君が居て欲しい」と言ってくれる人を探していた。結婚がしたいだけで私のことを見てくれない人、子供が欲しいだけで私のことを見てくれない人、そんな人は私の人生にいらない。それなら結婚する理由がない。結婚なんてしなくていい。そんな結婚ならしたくない。

でも結婚していない自分を認めてもらうのは難しかった。

それは私が「結婚したそうにしているから」だ。

周りのみんなに気を使わせてしまっているから「絶対結婚できるよ!」なんて言われてしまうのだ。私が結婚しようがしなかろうが、笑って暮らしているだけで、みんな私を認めてくれていたのに。

「結婚」に縛られていた私はそれにずっと気が付くことができなかった。


婚活をやめてからは、そういうすべての渦の中から解放された。

もう「結婚しないの?」と人から言われても、黙ってうつむくだけの私ではなくなった。

「今はしなくてもいいかな!でも明日になったらしたくなるかもしれませんけどね!」

そうやって笑えるようになった。

婚活をしていたときは毎日毎日結婚がしたいと思っていたし、結婚したいと思っていないと結婚はできないものだと勝手に思い込んでいたけれど、今日私がしたいことに集中して、未来のことは未来の自分に考えてもらうことにしたらとても楽になった。

今がこんなに充実しているんだから、きっと私の未来はとても明るい。

もう真っ暗なトンネルの中を歩く必要はなくて、ずっと日の当たる場所で風を受けながら一歩一歩進むたびに変わる景色と、そのときの自分の感情を楽しむことができる。

自分で後悔しないと思えるところまで、婚活をやり切ったからこそ、そう感じられるんだと思う。


私は、今の私となら、結婚してもいいかもしれない。


自分のことが大好きになったら、世間一般の結婚というステータスが無くてもいいと思えた。

大好きな自分を悲しい気持ちにさせる男となんて関わりたくない。

あのときの私は、ただ、愛されたかっただけだった。

恋愛や結婚は、誰かに認めてもらうための手段ではない。自分を否定する相手を無理に信じ続けることを「我慢」や「努力」と呼んではいけないのだ。


他人からの承認のために自分の人生を使うのはもう終わりにしよう。


男や女というカテゴリーの前に、私という一人の人間だ。

学歴も年収もそうだが、誰かの上に立っているという承認欲求が満たされないと生きられないような人達が決めたヒエラルキーに縛られず、自分が自分らしく、自分が理想とする人生を歩んで行くことが人生において大事な価値観だろう。

そのひとつの手段として「結婚」を選ぶ人が居れば、そうでない人も居て、どちらも尊重される社会が望ましいはずだ。

これ以上つまらないことにこだわって、自分を責め続けるのはやめよう。

だって、こんな私を励まし、笑わせ、また会いたいと思わせてくれる友人や家族に、そんな私を見せるのは失礼だから。


私は独身で、ひとりかもしれない。

けれど、私は誰かのために生きられる。

結婚しているかどうかに左右されるものではなく、私が日々を笑って幸せに過ごすことこそが、私を支えてくれる優しい人たちへの恩返しであり、感謝を伝える方法だと知った。

だから今日も、胸を張って生きよう。

私を大切に思ってくれる人たちのために。

そして何より、自分のために。

——私も。あなたも。


【連載目次】

第1章 恋愛という名の予習

第2章 婚活パーティーという戦場

第3章 経験しか信じない男 コウイチ

第4章 婚活オンラインサロンでの学び

第5章 合コンという社交場の裏側

第6章 完全無欠の遊び人 タケル

第7章 マッチングアプリという“カタログ恋愛”

第8章 個人主催パーティーの甘い罠

第9章 SNS婚活の“自由”と“偏見”

第10章 ミツルの洗脳

第11章 結婚相談所という最後の砦

第12章 『婚活うつ』という終着駅

第13章 独身偽装男 リョウスケ

第14章 結婚しなければ、という呪い 『婚活依存症』

第15章 ギャンブル借金浮気男 マコト

第16章 自称婚活中の男 マサヤ

第17章 私は、婚活をやめた

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