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「ある意味怖い話」部分

「ある意味怖い話」部分投稿。これで完結です。

 ……これで復讐は完了、自分で言うのもなんだけど、実にシンプルかつ鮮やかな、この上なく小気味いい手法だったよね、などと改めて自画自賛していた、その時。

 思いもかけない力が急に体に加えられ、私は驚愕に目を見開いた。

 見ると、ぶよぶよして妙になま白い、大きな手が、ぎゅっと私の袖口をつかんでいる。

 線路に向かって一直線につんのめった犯人の青デブ男、なんとかバランスを取り戻そうと左右に大きく腕を開いていたのだが、その右手がたまたま私の体をかすり……わらにもすがる思いで、そこにあったもの――私の袖を、握りしめたらしい。

 とっさのことでなすすべもなく、私は怒濤のような男の勢いに巻き込まれ、死が口を開けて待っている線路に向けて、フラメンコのようなステップを踊る。

「ちょっ!助け――」

 体勢を崩しながら、すぐ後ろに立つ女子校生に向かって手を伸ばし、助けを求める。

 が、女子校生は、スマホをじっと見つめたまま、わずかに体をひねり、伸ばした私の手をかわした。

 そんな、どうして!?

 私は大きく目を見開き、必死でかかとに力を込めてふんばり、助けを求めてなおも手を伸ばした。

 だが、列に並ぶ顔見知りの他人達は、皆一様に無表情のまま、わずかに顔をそむけ、うつむき、半身になって、そのまま、固まっている。

 伸ばした手はむなしく宙をつかむばかりで……足は、ついに青デブ男の圧力に負け、地面を離れる。

 そこで、はじめて声が出た。

 ああああああああああああっ――――

 絶望と恐怖とが入り混じった声。

 しなやかで強く生きるのを標榜し、実践してきた私――井村悠香とは一生無縁のはずだった、魂の千切れる声。

 電車の轟音にも警笛にもかき消されることなく、長く尾を引いたその声が、ふっと聞こえなくなり……私は、なにも分からなくなった。


 飛び込み!男と女!え、事故?心中?分からん、とにかく連絡!早く!警察にも……!

 駅員達の困惑し、走り回る様子を冷ややかに眺めながら、私――長浜美里は、おもむろにスマホを耳に当てた。

「……あ、課長。おはようございます、長浜です。今、目の前で事故が起きまして。はい、電車。人身事故です。それで、電車動きそうにないんで、今日は…………は?あ、いえ。でも…………はい。そうですか。でも、それだとだいぶ着くの遅くなると思いますが…………はい、そうですか。…………はい、分かりました。では、また後で」

 通話ボタンを切った瞬間顔をゆがめ、小さく舌打ちする。

 全くあのハゲ課長ときたら、本当に気が利かない!重大事故に遭ったこんな時ぐらい、休みくれたっていいのに、とにかく出勤しろ、書類を出せ、報告しろ、仕事を進めろって!ああ、むかつく!

 ふうふうと何度か荒い鼻息を吐き出したところで、はあああ、と深いため息をつき、でもまあ、遅刻を心配せずにゆっくり会社に行ける分だけ、今日はまだマシか、となんとか考えを切り替える。

 そうなのだ。

 名もない中小ブラック企業のくせに――いや、だからこそか?――うちの会社は「時間厳守は社会人の常識」をモットーにかかげ、たとえ一分一秒であっても遅刻は厳禁、常習者は解雇もあり得ると社員を脅しつけている。そのせいで、毎日遅刻の恐怖に怯えつつ通勤している自分にとって、悠々と始業時間に遅れていけること自体、なんともありがたいことなのだ。

 そこまで遅刻が心配なら、少しだけ早起きして一本早い電車に乗ればいいのになんて、したり顔で忠告する人もいる。だけど、早めに出勤したところで、新聞読んでふんぞり返ってる課長にお茶出しするぐらいしか、どうせやることはない。それなのにわざわざ早めに出勤する意味が分からないし、それに第一、こちらは夜中、いろいろとやることがあるのだ。その時間を削って早起きするなんて、人生の無駄遣いにしかならない。

 時間ぎりぎりまで寝て、ぎりぎり間に合う電車に飛び乗り、なるべく会社での滞在時間を短くして――テキトーメイクのぶすくれ顔でその時間をやり過ごして――限界まで自分の時間を増やす。それこそ、人として正しい生き方ではないか。

 そんなふうに強く思っているからこそ、私は、なにを言われようとも始業時間ぎりぎり間に合うこの電車の3両目2番扉に乗り続けてきた。終点U駅手前にある乗換駅J駅で、その扉が開いた瞬間飛び出し、目の前の階段を駆け下りて地下通路を早足で通過、再び階段をのぼれば、S駅行きの特急電車にどうにか滑り込むことが出来るからだ。そしてそこから15分、また電車に揺られ、N駅到着と同時に飛び出せば、10時の始業時間直前に会社の事務所――決してオフィスではない――に駆け込み、タイムカードに打刻できるのである。

 それでどうにか始業時間に間に合ってきたのだ。なら、それでいいではないか。遅刻さえしなければいいのなら、それで十分、現に、同じ駅から乗り合わせる人たちの多くが、同じようにJ駅で走り、乗り換え、N駅でも走って通勤しているのだから……。

 ところが、今年の四月になって、この「ルーチン」の歯車が狂いはじめた。

 理由は分かっている。朝のこのクソ忙しい時間に、にへらにへらと薄笑いを浮かべた女が、電車待ちの列の先頭に並ぶようになったからだ。

 この女、一挙一動全てがとろくさい。そのくせ、妙に尊大だ。到着した電車にゆっくりした足取りで乗り込むのはまだどうにか許せるとして、扉横の手すりにつかまり、その体で扉半分をおおいかくすような位置に立ちやがる。しかも、自分は終点のU駅で下りるからなのか、J駅で停車し、扉が開いても、なかなかその位置からどこうとしない。押しのけようにも妙に力があって踏ん張るものだからそれも難しく、「構内疾走乗り換え組」がいよいよ殺気だってきたところで、ようやくのろのろ場所を空ける。しかもこの女、なにを勘違いしているのか、自分の脇をすり抜けるようにして、次々目の前の階段に向かってダッシュしていく私たちを、あきれたような、哀れんでいるような目で見ながら、うっすら笑って見送るのだ。

 このとてつもなくムカつく女のせいで、4月以降、ぎりぎり乗り換えが間に合わず、既に3回、会社に遅刻してしまっている。さすがにこれ以上の遅刻はヤバい。

 それもこれも、全てあの女のせいだ――と、イライラを募らせていたのは、どうやら私だけではなかったらしい。

 その日、私の斜め後ろに立つデブのおっさんが、肩からかけたでかい鞄を女の背中にそっと押し当て、電車の到着するタイミングに合わせて押し出すのを、私はしっかりと見ていた。

 お前迷惑なんだよ、先頭で電車に乗り込み、扉を塞ぐな、時間に余裕があるなら一番最後に乗り込め。

 そんな意味のこもった、忠告としての行動だったのだと思う。

 現に、最後まで強く押し出すこともなく、女はたたらを踏んだだけでぎりぎり踏みとどまった。

 それで、いかに自分が迷惑かを理解して、行動を改めればいいのに、この女、次の週の月曜にも、また同じように、いかにも傲慢な顔で、列の先頭に立ちやがった。

 懲りもせず、繰り返しやがって!

 電車を待つ人たち全員のイライラが高まり、そして、デブのおっさんは、先週と同じく、鞄を女の背中にあてがった。

 そして……事故は起こった。

 おとなしく押されていれば大事にはならなかったのに、女がおっさんの鞄の肩ベルトを思い切り引っ張ったせいで、二人ともつんのめり、ホームへと落ちていったのだ。

 その直前、女は背後に立っていた自分たちに向かい、「助けてもらえるのが当然」といわんばかりに手を伸ばしてきた。

 けれど、一体誰が、その手をつかむ?

 下手につかんで巻き込まれ、自分まで線路に転がり落ちたら目も当てられない。それに、今まであれだけ自分たちを見下すような態度を取っていたのに、ピンチになった途端助けを求めるって、そんな甘い考えで生きていけると思ってる?巻き込まれたデブのおっさんは気の毒だけど、あのおっさん、一人で二人分のスペースを取っていたし、やっぱり動きがとろくて、J駅ダッシュの時ものすごく邪魔だ。女と二人、まとめていなくなってくれれば、これほど助かることはない……。

 はっきり口に出してそう言いはしない。けれど、あの時列に並んでいたほぼ全員が、あの瞬間、同じことを考えてのだと思う。そして……顔をそむけたのだ。

 電車が動くまで、まだ後1時間ぐらいはかかるか。構内のカフェは混んでそうだし、外に出て、ゆっくりコーヒーでも飲もうかな。

 目の前で繰り広げられている「惨劇の後始末」にはなるべく目を向けぬよう心がけつつ、人の輪から離れると、私は久々に晴れ晴れとした気持ちで、ゆっくり改札へと歩き始めた。


「O駅のプラットホーム、上り電車3両目2番扉の乗り口は、飛び込み自殺が多い。よくないモノがとりついていて、電車が来た時に先頭に並んでいる人間を引っ張り、線路に落とすかららしい」

 こういった都市伝説は、人の「かすかな負の思い」から生まれるのかもしれない。 


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