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「本当にあったかもしれない」部分

遅くなりましたが、第六作の「本当にあったかもしれない」部分投稿。

「ある意味怖い」部分は、来週投稿予定。


 「O駅のプラットホーム、上り電車3両目2番扉の乗り口は、飛び込み自殺が多い。よくないモノがとりついていて、電車が来た時に先頭に並んでいる人間を引っ張り、線路に落とすかららしい」

 そんな噂を耳にしたのは、高校1年生の時だったろうか。

 受験を乗り越え、さまざまな中学から集まった、ほとんど顔見知りのいないクラス。入学式やオリエンテーションを終え、数人の「この先仲良しグループになるかもしれない」カタマリが、徐々にできつつあった頃。まだ本当に「仲良し」になったわけではなく、いわば仲良しの「お試し期間」のような感じだから、お弁当タイムや放課後の話題も、真剣な恋バナとか、将来の目標とかいった「マジな話」はNG。アイドルグループの誰推しだとか、どんなアニメが好きだとか、お弁当のおかずはなにが好きだとかを話しながら、お互い相手がどんな人間か、見定めようとする、そんな時期。通学時間はどれくらいだとか、家の最寄り駅はどこかといったたわいない話の最中、「自分はO駅から電車通学してる。急行は止まらず、普通に乗らなきゃなんで時間がかかる」なんてことを口にしたところ、輪の中の誰かが食いつき、「ねえねえ、じゃあさ、こんな話知ってる?」と目を輝かせ、その噂話を披露したのである。

 え、なにそれこわい、ヤバいって、とりつかれたら助からないじゃん、とりつかれなくても見るだけで怖いって、どうする見えたら、やだやめてよ、血みどろの若い女の人とか、それならいいけど、どうする、血みどろのむさいおっさんだったら……

 ひとしきりきゃあきゃあ騒いだところで、昼休み終了のチャイムが鳴り……それで話は強制終了。以後、「そういえば」と蒸し返されることもなく、日々のキラキラした、忙しい生活を送る中、怒濤のような記憶の波に押し流されて、いつの間にか、そんな話をしたことすらも、脳裏からすっかり消え去っていた。

 それがなぜ、10年近くも時を経た今頃になって、急に思いだしたかと言えば、つい先日、この私――井村悠香自身が、まさにその「噂の現場」で、ひやりとする経験をしたから。

 それは、六月最終週の、月曜日のことだった。

 土日をジムでの運動とショッピング、岩盤浴に費やし、すっかりリフレッシュした気分で迎えた週明けの朝。

 いつものように私は、口元にうっすら微笑をたたえながら、電車待ちの列の先頭に立ち、スマホを眺めていた。

 周囲の人たちは、皆おしなべて、これから長い刑期を務めなければならない囚人か、そうでなければ激しい雨の中草原で立ち尽くしている馬のような表情を浮かべている。そんな中、自分一人がほほえんでいるのは、さぞ目立っているんだろうな、と自覚している。

 けれども、皆に合わせた表情を作るつもりは毛頭ない。

 なにごとも最初が肝心。これから金曜日までの5日間、気分よくはつらつと仕事するには、月曜日の出勤前のこの時刻、心に余裕のある、しなやかな自分でいることが、なにより大切なのだ。

 そういう自分を演出するため、今朝も午前五時には起床し、軽くストレッチをして体をほぐした後、ゆっくり朝食を食べ、きちんとメイクを施してから、いつもの電車の一本前の電車に間に合うよう、家を出てきている。

 おかげで、急ぐことなく電車に乗り込み、車内のお気に入りの場所をキープできる、列の先頭という位置を、今日も確保できているのだ。

 刻限より30分余裕をもって目的地に到着できるようにすること。慌てて用意することのないよう、十分余裕をもって準備をすること。その二つを考慮に入れて、起床時間を決めること。そうしたちょっとした努力さえ怠らなければ、毎日を心地よく過ごすことができる。それが分かっていながら、欲望に負け、ぎりぎりの時間にあせって行動し、不機嫌でいらついてばかりの人間に合わせた顔をするなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 むしろ、周りの人間こそが、私のようにきちんとした計画性のある毎日を送るようにすればいい。

 そこはかとない優越感と共に、そんなことをぼんやり思い巡らしていると、やかましいアナウンスがホームに響き渡り、いつものように、電車がかなりの速度ですべり込んでくる。

 その時だった。

 ふと背中になにかが押し当てられたような感覚がしたかと思うと、圧力が急激に、耐えきれないほどに高まり、私は、突進してくる電車の真ん前めがけて体を押し出されていた。

 いつもの「行動前にあらかじめ準備をして備える」習慣に従い、スマホを閉じてまっすぐ立っていたこと、ジムで鍛えた反射神経と足腰のおかげで、とっさに一歩前に足を踏み出し、それ以上からだが前に泳がないよう踏ん張れたことで、どうにか最悪の事態は免れることができた。けれど、電車が轟音と共に走って行ったのは、踏み出した右足のわずか数センチ向こう。ほんのわずかでも反応が遅れていたら、私は巨大な鋼鉄の車輪に巻き込まれ、踏みにじられ、いくつもの細断された肉片となって、周囲一面を血で汚していたに違いない。

 高々と響く警笛の音でようやく我に返ると同時に、あやうく悲惨な死を迎えるところだった恐怖と、辛くもその死をまぬがれた安心とが同時に心に殺到する。アドレナリンが一気に噴き出したのか、ものすごい勢いで拍動する心臓をなんとか落ち着かせようと、しばらくその場に立ち止まり、何度も大きく息をつく。

 電車を下りていく人たちは、そんな私に不審そうな視線を投げかけることすらせず、直前を歩く者についてぞろぞろとホームを歩き去って行く。乗り込む人も同様に無関心な様子で扉の中に歩を進めるが、中に数人、数瞬前の私に起こりかけたできごとを目撃したのか、不審そうな視線やややや気遣わしげな視線をちらりと向ける者も混じる(かといって、私に駆けより「大丈夫?」などと声をかけることもなく、皆足をとどめず電車に乗り込んでいくのだけど)。

 やがて、ゆっくり扉が閉まると、ホームに私一人を残し、電車はゆっくりと動き去った。

 駅員のややおざなりな「大丈夫ですか?」に申し訳なさそうな笑顔で答え、続く――こちらはかなり気持ちのこもった――不注意をいさめる言葉に頭を下げなどしてやり過ごす。間もなくやってきた次の電車に乗り込み、いつもの、右側扉の脇に手すりをつかんで立ったところで、ようやく先ほどの出来事を、ある程度落ち着いて思い出せるようになった。

 ……あの後、ショックを落ち着かせようとぜいはあ息をつきながら、電車に乗り込む人たちを脇で見るともなく見てたけど、別段様子のおかしい人はいなかった。いつも同じ通勤電車に乗り合わせる、うっすら顔見知りな、月曜の朝からもう疲れ切った表情を浮かべた人たちが、処理場に連れて行かれる肉牛さながら、のろのろと歩いていただけ……

 いつもの癖で、扉の窓から流れる光景を見るともなく眺めつつ、私は、さらに深く、考えに沈んでいく。

 ……逆恨みとか、思わぬことで知らないうちに、ってことがあるから、絶対、とは言えないけど、今まで他人から恨みを買うようなことをした覚えはない。もししてたとしても、それだけ印象の残ることをした相手なんだから、きっと見覚えがあるはず。なのに、そんな感じの人は誰もいなかった……

 いつもと同じ、他人同士がつかの間至近距離で寄せ集まった、月曜日の通勤風景。そのごくありふれた日常の中で、不意に自分だけが、その日常から振り落とされ、命すらも落としそうになった。

 なぜ?だれが?どうして?それとも、押されたように感じたのは、私の気のせいだったの!?でも確かに……

 そこでふと、自分が今、「どこ」にいるのか気がついた。

 U駅行き上り電車3両目二番扉の前。

 ということは……自分が立っていたのは、O駅上り電車3両目二番扉の乗り口。

 そこまで考えた途端、鮮やかに高校時代の記憶がよみがえった。


 O駅のプラットホーム、上り電車3両目2番扉の乗り口には、よくないモノがとりついていて、電車が来た時に先頭に並んでいる人間を引っ張り、線路に落とす。


 自分がまさにその、「よくないモノ」の新たな犠牲者となるところだったのかもしれない、と思い当たり、私は、改めて慄然とする思いを味わい……思わず身震いしたのだった。


 とはいえ。

 その慄然とする思いをずっと引きずり、呪われちゃった、どうしよう、なんて途方に暮れるほど、今の私は素直でも世間知らずでもない。

 ひとたび慄然とする思いが通過した後、ふつふつと胸の奥から湧き上がってきたのは、場所に染みついた呪い?ばかばかしい、そんなもの、あるわけないじゃない!という強い思いと、激しい怒りの念だった。

 大学での四年間や、就職してからの2年ほどの間に、霊体験はとってもレアで、そうそう経験できるものではないこと、その代わり、世の中には悪事を悪事とも思わず、平気な顔で残忍なことを行ってしまえる人がかなりの数いて、結構な割合で遭遇してしまうということを、私はしみじみ理解していた。その「この世の基本原理」に照らし合わせて考えると、今回の「殺人未遂」は、列に並んでいる見知らぬ誰かが、その邪悪な悪意をたまたま先頭に立っていた私にぶつけたもので、凶行の後も一切表情を変えず、素知らぬふりをしていただけというのが、もっともあり得そうだ。

 いたずら半分?ストレス発散?冗談じゃない!それで殺されかけちゃ、命がいくつあったって足んないじゃん!

 普通の女の子なら、たいした理由もなく誰かの悪意の標的にされたことに恐怖を覚え、電車を一本ずらしたり、思い切って引っ越してしまったりといった対策を取るのかもしれない。だけど、私――井村悠香は、強くしなやかに生きることをモットーとし、実践してきた女だ。そういった「消極的」対策を取ることで自分を弱い女におとしめたりはしない。

 悪意?上等じゃない。みだりに人に悪意を向けるとどういうことになるか、思い知らせてやるよ!

 そう思い決めた私は、どうやって相手を特定し、手ひどいしっぺ返しを喰らわせてやるか、早速計画を練りはじめたのだった。


 一週間後。

 いよいよ決行のその日、私は、いつもより気合いの入ったメイクを施した上、優雅に颯爽とプラットホームを歩き、電車待ちの列へと並んだ。

 そして、いつもの通り、到着した電車をやり過ごし、乗り込む予定の電車を待つ最前列に陣取る。

 すぐさま、なんとなく見覚えのある面々が、私の後に並び、2列縦隊ができあがる。

 その様子を肩越しにスマホのカメラで確認しながら、私はごうごうと闘志が燃え上がっていくのを感じていた。

 この中の誰かが、いたずら半分に私を押して、殺しかけた。その償い、絶対にさせてやるから!

 この一週間というもの、電車の時間を大幅にずらし、いつもより30分早く通勤していた。犯人はきっと、自分の「嫌がらせ」が効果を発揮し、私が怖じ気づいて逃げ出した、とホクホクしていたに違いない。

 そこへ、再び私が姿を現した。それも、犯人の嫌がらせなんか毛ほども気にしていない、といわんばかり、いつも通りの笑顔をたたえて、いつも通りに列の先頭に立っている。

 傲慢でプライドの高い犯人は、私のこの姿を見て、激しく自尊心を傷つけられているに違いない。ちきしょう、せっかく追い払ってやったのに、またのこのこ舞い戻ってきやがった、あれだけの目にあわせてやったってのに、まだ懲りてねえのか、この間は手加減してやったが、今度はそうはいかねえ、思い切り押して、電車の真ん前に落としてやる……きっと、そんなことを思っているはず。

 分かってるよ、こっちはそれを待ってるんだ。さあ、早くやってみろ……。

 と、そこへ、ホームの梁に据え付けられたスピーカから、間もなく電車が到着いたします、危ないですから、黄色の線まで下がってお待ちください、といういつものアナウンスが、かまびすしく響いた。

 同時に、この間と同じ、わずかな圧力を背中に感じる。

 はっと思ってスマホの角度を変え、確認すると、すぐ後ろに立つ乗客の陰から突き出された大きな鞄が、私の背中にそっと押しつけられているのが見えた。

 人の影に隠れて、正体が分からないようにしてる!どこまで卑怯なヤツなの!

 ますます燃えさかる闘志と怒りを気取られないよう、つとめて体をリラックスさせながら、押し当てられた鞄に意識を集中し、「その時」を待ちかまえる。

 間もなく、轟音で激しく空気を押しやりながら電車がすべるように目の前に迫り……押し当てられた鞄の圧力が、不意に強くなった。

 今!

 ダンスで鍛えたフットワークでくるりと体を回し、押し当てられていた鞄の肩かけベルトをひっつかむと、体重をかけ、思い切り引っ張る。

 と、身を縮め、私の次に立った女子校生の陰に隠れていた――隠れ切れていなかったけど――大柄な、青ぶとりしたメガネの男性が、驚愕の表情を浮かべ、体を泳がせ、つんのめってくる。

 私は勝利の笑みを浮かべつつ、手にした肩掛けベルトをもう一度、さらに強くぐいと引っ張り、手を離した。

 つんのめった男の「ああ……」という弱々しい悲鳴と、先ほどのアナウンスに倍してけたたましい警笛が、同時に響く。

 その両方を心地よく聞きながら、私はさらりと髪をかき上げつつ、なにごともなかったかのようにスマホを閉じ、しゃっきり背筋を伸ばしたのだった。



 

 

 

 

  

 




 

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