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3 狼の里

 狐の里は国の南方、対して狼の里は北方に位置している。二人を乗せたゆっくりと進む牛車が狼の里へ辿り着いたのは、月が天上で輝く夜遅くのことであった。日の出前に出立(しゅったつ)し、大牛の体力を考えて要所要所で休息を入れつつも、なるべく早く到着できるよう調整したつもりだった。が、結局予定通りの時間帯となり、日はどっぷりと沈んでしまった。

 山吹は牛車の物見窓からちらりと外を伺った。そして狼の里の入口に立つ門番の姿に目を見張る。彼ら狼の獣人が、書籍に図解され描かれていた通りの容姿だったからだ。狐族よりも幾ばくか体格が良い武装した獣人が二人。それは里の入口という”要”を守る屈強な兵士故なのか、それとも書籍の情報通り、大きな体は狼人の特徴なのかは現時点では不明だ。だが書物の通り頭上には三角耳と、狐族には劣るが毛のふんわり蓄えられた尾っぽが生え、山吹たちを乗せた牛車を警戒し、ぴんと張っていた。

 ぴたり、と門の前に寄せられた牛車から芥子は降りる。芥子も芥子で緊張しているだろうに、態度には微塵も出さずに堂々と門番の前へと進み、狼の里から狐の里の長の元へ届いた「仮婚姻の届」を渡した。これがあれば里の中へ通してもらえる、入里届に値するようなものらしい。届を渡された門番は、それが本物であるかどうか丁寧に確認し、筆跡や押印の跡を入念に見分していた。

 数分の間一人きりで牛車の中待機していた山吹であったが、どうやら届が正式なものである確認が取れたらしい。牛車の戸を開けた芥子の手を取って、山吹は慎重に車から降りる。大牛に合図すると、牛車は狐の里へと引き返しにのっそのっそと歩いて行った。迎えの牛車は一週間後に来てくれることになっている。尻尾を振りながらのんきに間道を歩いていく大牛の背中を見送りながら、山吹は芥子に手を引かれたまま、狼の里の門前にやってきた馬車に乗り継いだ。なんだったら一日中閉じ込められていたのだから、馬車には乗らず、初めての他里を歩いてみたい好奇心に山吹は駆られた。だが自分の立場を考えれば、それは叶わないことは重々承知しているため、黙って馬車に揺られたのだった。

 そうして目まぐるしい展開とへまを踏まぬように頭の中を必死に回転させていた山吹は、狼の里の中をじっくり見ることもできず、気が付けばあれよあれよと次期里長の住む館へと案内された。そこでようやく自分が、予想以上に緊張していることに、山吹は自覚した。


(しっかりしろ)


 自分を叱咤するように、山吹は自身に言い聞かせた。長い着物を引きずらないように姿勢を正し、廊下を歩く。最奥の部屋の扉の前に山吹と芥子が二人して立ち、案内人が部屋に向かって声をかけ、戸を開く。さあ来たぞと山吹はごくりと生唾を飲み込んだ。

 さて、山吹が見た室内の光景は、ある意味山吹の予想を裏切るものであった。一週間「次期里長の嫁」としての見極め期間が設けられているのだ。てっきり、初見の挨拶では大広間のような場所に遠され、狼族のお偉いがたがずらりと立ち並ぶ中で、じろじろと値踏みされながらのご挨拶となると思っていたのだ。だからこそ下手な真似は踏めない、礼儀作法も頭に叩きこみ、どんな隙も見せないようにと気を張っていたのだ。

 だが、室内を目にした瞬間、その先入観は払しょくされた。案内された部屋は、大広間のような客人をもてなす場所ではなく、いわゆる執務室のような一角であることが瞬時に理解できた。両壁には天井高くまでみっちりと本が詰まった本棚がはめ込まれており、最奥には年季の入った大きな机がどっしりと構えている。その机の上には山ほど書類が積みあがっており、いかに執務室の主が仕事に追われているかを象徴していた。そこに、大きなはめ込み窓を背にして、一人の獣人が座っていた。月夜の光を背後に受けているため、入口からでは彼の人の表情は山吹から伺うことはできない。彼の獣人は立ち上がり、山吹が最敬礼を示そうと膝を就こうとしたのを手で制した。


「――いや、必要ない。その召し物では随分と大変だろう。どうぞ、こちらに腰かけてくれ」

「……ありがとうございます」


 山吹は手で示された長椅子に腰かける。芥子は山吹の背後に立ち、従者としての立ち位置を示した。着席を促した男は対面に置かれた椅子にそっと腰かける。山吹は不躾にならない程度に、目の前の男の外見を観察した。

 狐の里の衣類とどこか似ているのに、けれど絶妙に異なる衣服である。袖や裾は、狐の里で男性が着用している衣類よりも長く、ふんだんに空気を含んでいるかのようにふわりとしていて軽やかだ。そのため、衣類が揺れるたびにふわりふわりと波打った。けれど着用しているであろう肌着が透けて見えることはないことから、この軽やかな布地は生地が薄いわけではなさそうだ。だとすれば大層な機織りの工夫によるものだろうと山吹は感嘆した。それに白を基調とし、端へいくほどに薄鼠色が濃くなっていく見事なグラデーションの施された染色は、一流の技術が必要だろう。更には狐の里では女性が着用するような衣服にしか誂えられない、細やかな蔦模様の刺繍が裾に丁寧に縫われていた。

 頭上には、門やここに至るまでに連れてきてくれてきた者たちと同じ三角耳が覗いている。彼の毛並みは青色に少し墨を垂らしたような色合いだ。そして同じ色合いの尻尾が衣服の後ろからゆらりと存在感を示している。髪の毛は銀色に毛並みの青を溶かしたような美しい色合いで、鎖骨のあたりまで伸びた髪の毛は山吹と同じ直毛であるにも関わらず、まるで彼が着用している衣類のように、重さを感じさせず軽やかだ。更に目を惹くのはその(かんばせ)。男は、さして異性の外見に興味のない山吹でさえ「おや」と息を飲むほど美しかった。切れ長の瞳に、それを強調するかのような長いまつげが揺れている。白粉を叩かれた山吹なんかよりも、よほど天然ものの色白さと、健康的な薄桃色の唇を持っていた。山吹はますます混乱した。こんな美丈夫、国内のどんな女性も放っておかないだろうし、引く手あまただろう。なぜ他種族婚姻に拘っているのだろうか。

 だが、そんな疑問もおくびにも出さず、山吹はひたすら好印象を抱かせるために口角を上げ、微笑むに務めた。目の前の青年はゆっくりと、口を開く。


「ようこそ狐の里の嫁候補殿。私がこの里の次期里長候補、名を青藍(せいらん)と申す」


 心地の良い低音と、山吹に対して一切の警戒心を抱かせない柔らかな声音。どうして執務室で顔合わせをしているのか未だ意図は不明だが、粗末な扱いを受けているわけではないようだ。むしろ、到着して早々の山吹が、多数の狼たちといきなり挨拶を交わすことへ疲労を抱かないよう、配慮されているようにも感じとれた。

 その計らいがなんであれ、今は素直に受けるべき、と判断した山吹はくっと腹に力を込めて気合を入れた。


「はじめまして。狐の里より参りました。山吹、と申します。今回はこのようなご機会頂けたこと、誠に感謝いたします。後ろの者は従者の芥子。此度は我ら二人、一週間滞在させていただきたく」

「ああ。構わない。もっと大所帯で来るかと思っていたのだが、気を使ってくれたのだな。こちらこそ感謝する」


 まさか。ケチな里長の嫌がらせだ。とは口が裂けても言えない。

 山吹はよりいっそう目を細めて誤魔化すように笑みを深くした。


「――っ」

(ん……?)


 一瞬、青藍は山吹を見て息を飲んだ。

 きっと注視していなければ気づかなかったであろう程、細やかな視線の揺れ。静かな水面(みなも)に小石が投げ込まれた程度の波紋。けれど確かなさざ波。いまの山吹の仕草において何が気になったのだろうか。だが山吹は問い詰めるすべもなく、ただ黙って見つめ返すのみである。

 山吹の不安をよそに、室内の静寂は一拍で消え失せた。動揺なんて存在しなかったように上手く誤魔化した青藍は、ぱん、と小さく手拍子を打った。


「今宵はもう遅い。明日から一週間、気楽に過ごしてもらえばと思う。持て成しに不満があればぜひ忌憚なく言ってくれて構わない」

「恐れ入ります」


 山吹は深々と頭を下げた。到着して早々、相手方の思惑を追求したり、たった今乱れた青藍の感情に探りを入れるほど、事を()くつもりは山吹にはない。


胡桃(くるみ)。案内を頼む」

「畏まりました」


 青藍は自身の後ろに控えていた、女人に合図した。彼女は木の肌のような柔らかな茶色の髪の毛を頭上でお団子結びにしている。同系色の狼耳は青藍のものよりも一回り小さいが、華やかで人の目を惹く顔立ちは目の前の青藍を連想させるため、彼女は青藍と血縁関係にあるのかもしれない。もしそうであるならば追々紹介してもらえるだろうか、と山吹は考えながら椅子から立ち上がり、今一度腰から深く頭を下げた。


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