【コミカライズ】嫌われ姫ですが王家の影(のちのヒーロー)が離れてくれません
――オルフェ王国第三王女シルフェリア。
彼女は国民の血税からなる富を食いつぶし、王族としての責務を果たさず、身分が下のものを見下し、国民全てから嫌われていた。
彼女は家臣にそそのかされ国王を毒殺しようとした罪で王家の影により命を奪われる。
白銀の髪にアイスブルーの瞳をした美しさだけが取り柄の嫌われ姫の末路。誰にも悲しまれることなく彼女は生涯を終える。
――それがシルフェリア姫の運命だ。
……私はもちろんその最期から逃れたい。
……でも手遅れよねぇ。どう考えても。
ここまでの日々を振り返る。シルフェリアは、何も知らない深窓の姫だった。
欲しいと願ったものは何でも与えられ、我が儘放題自由に生きてきたのだ。
すでに第一王女と第二王女は他国との繋がりのために結婚し、この国にはいない。
つまり、全ての未婚女性の中でシルフェリアの地位が一番高いのだ。国王も王妃も末の姫である彼女に甘く、彼女を諫めてくれる人は周りに誰もいなかった。
……ただでさえ、民衆の力が増してきたこの王国で、シルフェリアは嫌われすぎている。
……少しだけ、気の毒に思う。
本当に心から彼女を案じてくれる人はおらず、わがまま放題、贅沢三昧を悪いことと知らず、最期には利用され罪を着せられて、シルフェリアはわずか18才で命を失ったのだ。
ヒーローが旅立つための、ほんの少しのスパイス。それが第三王女シルフェリアの役回りだ。
「アルフェルト!」
「は……。おそばに控えております」
……やっぱり、今日も私の行動を監視していたのね。私は予想通りの行動に短いため息をついた。
天井から音もなく降りてきた彼は、この物語の主人公。現在は、私の王家の影を務めるアルフェルトだ。
……圧倒的に顔が良い!!
私は思わずアルフェルトの顔を凝視した。
小説では、彼の美貌は王国一で月も霞んでしまうなんて表現されていたけれど、王国一の美貌舐めてた!!
こんな美貌の王家の影をそばに置いて、よく恋に落ちなかったわねシルフェリア!!
「シルフェリア様?」
「はっ!」
アルフェルトが怪訝そうな顔をしている。
いつも無表情な彼がこんな顔をするなんて珍しい。それほど、私の行動がいつもと違うのだろう。
「失礼したわ」
「いいえ、俺のほうこそ……。非礼をお許しください」
「ええ」
……もちろんシルフェリアの周囲は格好いい人たちがあふれていたのだろうけど。私は王家の影に恋心を抱かなかった彼女を密かに尊敬した。
記憶を取り戻す前は、どう行動していたかを思い出しつつ、いつものわがままを装って願いを口にする。
「アルフェルト、私欲しいものがあるの」
「は……」
またわがままか、という幻聴が聞こえてきそうだけど、現時点ではアルフェルトが私の命に逆らうことはない。けれどそれも、あと少しの話だ。
「とりあえず、ここに書いてあるものを集めてきて」
「……こんなもの、いったい何に使うのです」
アルフェルトが不信感をあらわにする。
それはそうだろう。ドレスや宝石にしか興味がなかったシルフェリアが欲しがるものとはかけ離れている。
……でも、ここは押し通す以外にない。
「あなたに質問する権利はないわ。できるの、できないの?」
「……王家の影ですから、できないことなどありません」
アルフェルトに渡した紙には、魔法薬の材料が書いてある。小説の中で、ヒロインがアルフェルトの隷属の首輪を外すために作った魔法薬だ。
私にヒーローになる予定のアルフェルトを巻き込むのは忍びないし、殺されたくないし。
私はなぜか窓から出て行ったアルフェルトをそっと見送り、ため息をついたのだった。
王家の影を解任され自由の身になった彼は、このあとヒロインと出会い小説のメインヒーローになる。
影のあるヒーローをこよなく愛す私は、夢中になってその小説を読んだ。
アルフェルト。名字を持たない彼は、王家の影という裏の世界から飛び出して魔法薬を作るのを得意とする薬師のヒロインとともに大陸を旅し、やがて英雄と呼ばれる存在へと成長していく。
小説のストーリーを思い出しながら彼を待つ。
とはいっても、お願いした材料はどれも入手困難なものばかり。ヒロインは研究のためたまたま持っていたけれど、いざ集めようとしてすぐ集められるものではない。
――しかし、それからわずか30分後。
「おまたせしました」
「ほとんど待ってないけれど!?」
アルフェルトは、材料を全て揃えて再び窓から戻ってきた。
早くて2、3日。長くて1週間はかかると思っていたのに、あり得ないほど早く手に入ってしまった材料を前に固まる。
……まって、材料が集まるまでの間に覚悟を決めようと思っていたのに早すぎる!!
「……火竜の心臓に、銀の花の花弁、七色の果実の種、以上お確かめください」
「なんでなんでこんなに早く集めてこれるのよ。ましてや火竜の心臓どうやって手に入れたのよ!?」
ヒロインが火竜の心臓を持っていたのは、直前に亡くなった彼女の師匠から譲り受けたからなのだ。
「――王家の影ですので」
絶対、王家の影関係ない! と思いながら確認する。
小説で読んだだけで実物を見たことはないけれど、おそらく材料は全部本物だ。
……物語では心臓は乾燥して粉末になっていたけど、アルフェルトが持ってきた火竜の心臓が生々しい。まるで今、狩ってきたようだわ。まさかね、まさか……。
「ひっ、今動いた!?」
「まさか」
「そ、そうよね!?」
アルフェルトが私を見つめている。
完全に無表情なままの彼から、その考えを読み取る事なんてできやしない。
「……しかし、無表情でも格好いい」
「何か仰いましたか」
「いいえ、何も」
もうすでに、私が今までの行動を咎められるまで時間なんて残されていない。
父王を毒殺しようとしたという罪を着せられて、最終的にはアルフェルトが王家を裏切った私の息の根を止めるのだ。
――王家の影は、首にはめた隷属の首輪に従い命をかけて王族を守る使命を持っている。それと同時に陛下と国に仇をなす王族の命を狩ることが彼らの役目なのだ。
「……あと少しだけ私に付き合ってくれる?」
「何を仰るのですか……。王家の影は、最後まで主と共にいる宿命です」
「そうね。あなたって本当に真面目だから」
決定的な出来事で、父王に命じられなければ私を裏切ったりしないだろう。
チラリと視線を向ければ、黒い武骨な首輪が目に入る。
そう、裏切れないのだ。
そこから魔法薬の作成に取りかかった。
けれど、私は自分の不器用さを甘く見ていた。
「何がしたいのですか」
「この種をすりつぶすの」
「乳鉢の外に8割方こぼれていますよ」
アルフェルトが私の手に手を添えた。
「ひゃっ!?」
「動かないでください。こうやって動かすんです」
「なんでできるのよ!?」
「王家の影ですから」
アルフェルトが手を添えれば、残りの種はこぼれることなく全て微粒子になった。
「次は何をするのです」
「これを火竜の心臓の煮汁で溶かして、そのあと花弁を加えてから濾過するのよ」
「はあ、濾過ですか……」
魔法薬を作るのに魔法は必要ない。
魔力がこもった材料を正しい手順で混ぜれば完成する。
「ほとんど、こぼれていますね」
「うう……」
残念なことにシルフェリアは、とても不器用らしい。もちろん、すべてを使用人たちがしてくれたのだ。服だって自分で着替えた経験がない。
もちろん、記憶を取り戻したものの、私自身もそれほど器用な方ではない。
……ごめんなさい。それほどどころか、前世も最高に不器用でした!!
――結局、魔法薬がほとんどアルフェルト作になったのは言うまでもない。
「ふう、これで1週間寝かせれば完成ね!」
「見たことも聞いたこともないレシピでした」
「魔法薬に造詣があるの? さすがね」
「……何の効果があるのですか」
「出来上がってのお楽しみよ」
あと1週間でアルフェルトは自由の身になる。
この魔法薬には、水竜の力を使って掛けられた隷属魔法を無効化する力がある。
彼は自由を欲していたから、首輪が外れれば物語の開始より少し早いけれどこの王国を去るだろう。
……ちょっと予定より早い解放だからヒロインと出会えると良いけど……。でも私も命は惜しいの。
アルフェルトを自由にしたあと、私も市井に逃れる予定だ。私だけ逃げたなら、アルフェルトはその責を負われるだろうし、それ以前に彼から逃げ切れる気がしない。
そんなことを思いながら、漉した煮汁を瓶に詰める。ほぼ、こぼれかけたのを見かねてアルフェルトが再び手を貸してくれる。
しかも汚れた手は、ハンカチで丁寧に拭いてくれた。至れり尽くせりだ。
「そろそろ寝るわ」
「は」
「……今まで聞いたことなかったけど、あなたはどこで寝ているの?」
「屋根裏です」
「え〜!?」
いつも天井から音もなく現れるのに、どうして気にしなかったのだろう。
「ちゃんとした寝場所はあるの?」
「完全に寝たら、役目が果たせません」
「……ブラック、王家の影ブラック!!」
驚いた私は、掛け布団一式をアルフェルトに押し付けた。
「あの、これは」
「せめてこれで暖まって!」
「いや、しかし……」
「これは命令よ!」
「……かしこまりました」
ふわり、とアルフェルトは掛け布団一式を抱えて天井に消えた。どういう仕組みになっているのか、1週間しかないけれど聞くことはできるだろうか。
私はそんなことを思いながら、薄いブランケットにくるまって眠りについたのだった。
* * *
翌日私は風邪を引いてしまった。
そのせいで私の寝具を確認しなかったと、侍女の一人が責めを負うことになりかけたのには焦った。
「まって!! 掛け布団の柄が気に入らなくて夜中に捨ててしまったの!!」
「シルフェリア、しかし」
父は困った顔をした。周囲の人たちは、私のわがままさに呆れた顔を隠しきれていない。
それでも王族がしたことは全て正しい。だから、私が問題を起こせばほかの誰かが責を負うのだ。
「……今からピンクの薔薇の柄の掛け布団を手に入れてきて!」
侍女に命令する。侍女は泣きながら部屋を飛び出していった。
「アルフェルト」
「は」
「あの侍女が速やかに布団を手に入れられるように手配して」
「……は」
アルフェルトは音もなく消えていった。
しばらくして、侍女は布団を抱えて戻ってきた。
「あら、良い柄じゃない。ふふ、気に入ったわ」
私は彼女に笑顔でブローチを押しつけた。
これで解決だろう。くしゃみを一つするだけで、10人もの王宮医師が駆けつけるのには閉口したけれど、それからは細心の注意を払って過ごした。
* * *
そして1週間が経った。真夜中、棚から魔法薬が入った瓶を取り出す。
瓶の中で、魔法薬はまるで炎を閉じ込めて燃えているかのように怪しく輝いている。
……小説の記述通り。私はニッコリと微笑んだ。
「アルフェルト」
「は」
アルフェルトは、やはり天井から現れた。
「そこから動かないでね?」
私はアルフェルトが私の命に逆らえないことを良いことに、瓶の中身を思いっきり首元にかけた。
「……っ!?」
すると首輪をオレンジ色の炎が包み込み、カチャンッという小さな音がした。
ポロリととれた隷属の首輪が床に落ちた。
「……本日であなたを王家の影から解任します」
「は、なんで……」
「これから先の人生、自由に生きて。その代わり私のことは見逃してね?」
「……シルフェリア様?」
なぜか、アルフェルトは傷ついたような表情で私を見つめた。
そのことに気が付かないまま、私は別室に行ってお忍び用の服へと着がえる。
部屋に戻ると、アルフェルトはまだ去っていなかった。
「どうしたの? あなたなら追っ手もまけるはず。隣国にでも逃げれば……きゃ!?」
次の瞬間、なぜか横抱きにされていた。
「シルフェリア様もここから去るのですか?」
「ええ、そうよ。だからあなたは早く」
「一緒に逃げませんか?」
「へ?」
予想外すぎる言葉に、呆然とアルフェルトを見つめるしかできない。
アルフェルトは、なぜか微笑んだ。
……うっ、美麗すぎて心臓が止まる!?
そんな私の心中なんて知らず、アルフェルトはなぜか私の頬に手を置いた。本当に心臓が止まりそうだ。
「変わってしまったあなたが気になってしかたがないんです」
「え、ええ!?」
まって、それは死を覚悟して最期の戦いに臨もうとしたときにヒロインに言う台詞!? と思った瞬間、アルフェルトは窓枠に足を掛けると軽々と跳躍した。私は口を押さえてかろうじて悲鳴を呑み込む。
――こうして嫌われ者の姫と王家の影は闇夜へと消えていったのだった。
* * *
そこからの旅は挫折の連続だった。
そしてアルフェルトは、とても面倒見が良かった。
「……どうして、私の分まであるの」
「秘密です」
なぜかアルフェルトは、私と自分の偽造の身分証を持っていた。用意周到すぎて怖い。
「どうして、夫婦という設定なの」
「それが一番疑われにくいからでしょうね」
「でしょうねって」
「不服ですか? ルフェ」
「るふぇ!? いきなり愛称!?」
「……本名というわけに、いかないでしょう」
「そ、それもそうね」
そんなふうに、新婚の妻を見るみたいに愛しげに笑うのは反則だ。
もちろんそんな表情は、職を探して新天地を目指す若夫婦を偽装するためだとわかっている。
それでも心臓に悪い。
「しかし、先ほどのはどういうことですか」
「えっ?」
「この馬車に乗る対価として、聖金貨を渡そうとしたでしょう?」
「……」
シルフェリアが持っていたお金がそれしかなかったのだ。硬貨だからそれほどの価値はないと思ったのに……。
「まさか、貨幣の価値を知らない?」
「……うっ」
「はあ。その聖金貨1枚で卵が何個買えるとお思いですか?」
この感じだと、だいぶ価値が高い硬貨のようだ。
卵はこの世界では高級品のようだから……。
「100個、くらい?」
「それは小金貨の価値です。聖金貨なら1万個は買えるでしょうね」
「ひえぇ……」
卵一つが高級で100円だとすると聖金貨1枚で100万円程度の価値があるということだ。
硬貨1枚しか持ってないの? 姫なのに? と思ったけれど、想像以上の価値だった。
「……はあ、そこからか」
「ごめんなさい。やっぱり私を置いていくべきかと」
「貨幣の価値も知らないくせに、野垂れ死にたいのですか」
「ぴえ」
城の外に出ると、寡黙だと思っていたアルフェルトは案外毒舌だった。
あわあわしながら、それでも丁寧に貨幣の価値について説明してくれるアルフェルトの言葉に耳を傾ける。
「なるほど、つまりこの荷馬車に乗せてもらうのは一人が銀貨1枚。色をつけるなら一割というなら2人分で銀貨と小銀貨各2枚を渡せば良いのね」
「少し説明すれば、計算はなんなく出来るのか……」
もちろん、前世の知識を使うまでなくそのくらいの計算はできる。それに私は、そろばんが得意だったからもっと難しい計算も暗算でできるのだ。
「ふふん」
「調子狂うな」
「え? 何か言った?」
「いいえ、何も。ほら、明日は早いですよ。早く寝てください」
「はぁい」
アルフェルトが、毛布をしっかり巻いてくれる。この毛布、どこから出したのだろう。こんなに巻いてくるのは、逃げないようにだろうか……。
「よく寝られるな。寝首をかかれるとか思わないのか」
「うーん。……お肉食べたい」
「寝言? はは、子どもか」
翌朝、眠り込んでアルフェルトにひと晩中膝枕してもらっていたことに気がつき、心臓が再び止まりかけるのは言うまでもない。
* * *
「いらっしゃいませ!」
「おー、今日も元気だね。ルフェちゃん」
「ええ、もちろん。体調が悪くても、こちらの『ゲンキニナール』を飲めばすぐに復活ですよ」
「確かにルフェちゃんの作る魔法薬は効くからねえ」
「毎度ありがとうございまーす!」
そしてあれから3週間、ルフェと名乗っている私は、王国のはずれ、隣国との境の街で小さな魔法薬店を営んでいる。
驚くべきことに、隣国の境の街に着くやいなやアルフェルトは偽造の身分証を駆使して一軒家を借りてしまった。
――私が風邪を引くから、という理由で。
そこで私は、小説の知識を使い魔法薬を作り売り始めた。
「……ふぅ。この調子なら自分で稼いだお金で今年の冬を越せそうね」
生活は楽ではない。けれど、王宮でいつ殺されるか恐れながら暮らす日々よりもずっとましだ。
……それでも、もうすぐ王宮を出て3週間が過ぎる。
棚にチラリと目を向ける。そこにはアルフェルトにまだ話していない効果を持つ魔法薬が隠してある。
小説では、アルフェルトはシルフェリアを国王の命により殺して、一瞬隷属魔法が解けたすきに逃げ出した。そして、追っ手が来たのは3週間後のことだ。
――小説とは違う流れだ。でも、今日で城を出てちょうど3週間経つ。
来客を告げるベルが鳴り、私は身構える。
そして、扉が開き現れたのがアルフェルトであるとわかるとホッと息を吐いた。
今日も彼はたくさんの材料を抱え、なぜか私の元へと帰ってきた。
「……アルフェルト、おかえりなさい」
「ただいま帰りました。ルフェ」
金色の瞳を細めた彼は、この街で一番、いや王国で一番の美貌を持つ。
けれど、この街の人たちが彼の美貌を認識することはない。
一度聞いてみたけれど『王家の影ですので、これくらい当然です』のひと言で片付けられてしまった。
どれだけ万能なんだ、王家の影……。
目の前に積みあげられた魔法薬の素材。
あの小説には、細かく魔法薬の材料と作成方法が記載されていた。繰り返し読んだ私の頭の中には、作中のレシピが全て入っている。
アルフェルトは手に入りにくい薬草でも、高位モンスターの素材でも、希少な鉱石でもいとも簡単に手に入れてくる。
そして、それに疑問を呈する私にいつも『王家の影ですので』と答えるのだ。
けれど、彼はただの王家の影ではないのだから、どれだけ万能だとしても納得するほかないだろう。
そう、彼はただの王家の影ではなく、小説のヒーローになる人だ。
小説では、王族に解任された王家の影は、同じ王家の影から消されてしまうはずだった。
しかし彼はそれら全てを返り討ちにし、自由を手に入れるのだ。そして逃亡の途中で小説のヒロインと出会い隷属の首輪から完全に解放される。
……シナリオ通りになるように彼を自由にしたあとに、自分も断罪される前にそっと姿を消そうと思ったのに、どうしてこうなったのだろう。
今私は、アルフェルトと若夫婦であると偽り、隣国との国境の街で小さな魔法薬店を営んでいる。
「なんでぇ!?!?!?」
未だに納得いかない。私の混乱はもっともだと思う。
アルフェルトは私と夫婦であると名乗り、戦火に追われた若夫婦のふりをしてこの街にいとも簡単に紛れ込んでしまった。
偽造されているとはいえ完璧な身分証(しかも夫婦の)、人好きのする笑顔、気さくな好青年。あなたそんなキャラでしたっけ? という顔をする私に、彼が答えるのは決まり文句だ。
「だって俺は」
「王家の影ですから?」
「よくわかっておられる。良い子ですね」
本来であればアルフェルトは、逃亡途中に出会ったヒロインと恋に落ちて、暗闇の世界から明るい世界へと活躍の場を変えるのだ。
それなのに、どうして私とのんびり魔法薬店を営む若夫婦のふりをしているのだろうか。完全に物語がスローライフに変わってしまっている。
「あの、アルフェルトにはなすべきことがあるのでは?」
「はい? なすべきこともなにも、あなたに王家の影を解任されてしまったではありませんか」
それは事実なので口をつぐむしかない。
「私なんかと一緒にいても良いことがないわ」
「あなた、貨幣の価値すら知らなかったのに、どうして一人で生きていけると思うのですか?」
「ぐぅ……」
それについては言い訳させてほしい。
小説では貨幣価値が語られていなかったし、シルフェリアの記憶の中にお金を自分で払うという概念が存在しなかったのだ。
「教えてもらえばすぐに理解できたわ……」
「そうですね。そのあとも魔法薬を作るにあたり複雑な計算を暗算で出来ることにはとても驚かされました。どこで習ったのでしょうか」
「……っ、それは」
そろばんが得意でした!!
という叫びは呑み込む。
「聖金貨の価値どころか、貨幣の価値をこれっぽっちも知らなかったのには驚きましたが」
初日に説明を受けたから今ならわかる。聖金貨は土地や建物を買うときに使うものだ。荷馬車に乗せてもらうお礼に出したら相手がお釣りに困ってしまう。
「……そんな私となぜ一緒にいるのです?」
「あなたのことが気になるからかな」
そこまでこの国、そして姫である私への復讐心を捨てられないのかとため息をつく。
それにしては、アルフェルトが親切すぎるのが謎ではある。
「……そっとしておいてくれれば良いものを」
「……聖金貨の価値を教えて差し上げたのに、道端の病人に渡そうとするし目が離せない……」
「それは」
困ってそうだったから、これだけあれば当分困らないだろうと渡そうとしたけれど『そんな大金持っていたら盗んだと疑われるか奪われて殺されるだろう!?』とアルフェルトに烈火のごとく怒られてしまった。
平和な国の感覚が抜けていなかった上に、姫として生きてきた記憶しかない私は、あまりにこの世界に無知だったのだ。今は反省している。
病人はアルフェルトが大銀貨を数枚握らせたところ、とても喜んでいた。
「誰にでも手を差し伸べ、仕事を与えても嫌がらず黙々とこなし、掃除洗濯まで完璧だ。それで、なぜ料理と魔法薬作りではあんなに不器用なのか不思議なほどに」
「……えっと、アルフェルトの作るごはん美味しいですし、掃除洗濯くらいはですね」
「ハンカチすら洗ったことなかったはずです」
それはそうだろう。でも前世の記憶を取り戻したのだから、私の半分は庶民なのだ。
半分は世間知らずなお姫様で、半分は違う世界の庶民。
――結果として私は、この世界のことを何も知らない。
「……魔法薬のレシピはどこで」
「……それは、言っても信じてもらえないわ」
「それは、話してみなければわからないでしょう」
「……そうね。そうかもしれないわね」
前世の記憶があることを話してしまおうか、本気で迷ったそのときアルフェルトの表情が険しくなった。
「暖炉の奥に抜け道があります。火は消してありますから、中に入って抜け出してください」
「……追っ手が来たの?」
「姫を連れ出した王家の影を始末しに来たのでしょう。あなたは逃げたければ隣国に逃げ込めば良いでしょうし、捕まったとしても俺に連れ去られたと言えば城で今までのように暮らせるでしょう」
「――あなたは」
「……」
なぜかアルフェルトは私に微笑みかけた。
その表情から諦めを感じてしまった私は、ギリリと奥歯を食いしばった。
「や、です……」
「は? 何を言って……。相手は王家の影です。王国でも精鋭中の精鋭ですよ? しかもこの足音、複数だ。俺が戦って勝てるとは限らない。今すぐに」
「嫌です!」
私は店の奥に駆け込んで棚を開けた。
王家の影を撃退するだけではダメだ。きっとすぐに追っ手が来てしまう。
せめて、アルフェルトだけでも逃がさなくてはと私は必死だった。
「……これだわ」
「ルフェ! 早く逃げ……」
取り出したのは記憶を消してしまう魔法薬だ。
この魔法薬を浴びると、1カ月程度の記憶が消えてしまう。
薬師の少女と元王家の影の物語。そこには珍しい素材とともに詳しいレシピが書かれていた。
……小説序盤でアルフェルトは、この薬を浴びてヒロインとの出会いを忘れてしまうのだ。そしてヒロインは彼の記憶を取り戻すために新たに魔法薬を作り上げる。
剣がぶつかり合う音がする。私は思いっきり瓶を投げつけた。
アルフェルトにもかかってしまえば良い。
そうすれば、この1カ月のことをアルフェルトは忘れてしまう。
アルフェルトの記憶には、記憶を取り戻す前の傲慢なシルフェリアだけが残るだろう。
「この先は、ヒロインとともに平和のために戦うあなたのこと、陰からそっと応援しています」
「ルフェ!?」
バタバタと追っ手が倒れていく。
目覚めたときには、王家からの指令を忘れていることだろう。
これでしばらくは時間が稼げるはずだ。
立ったままのアルフェルトに近づく。
確かに魔法薬を浴びていたはず。立ったまま気を失っているのだろうか。
「――知らなかったんですか」
「は?」
「王家の影たる者、同じ人間に魔法薬を2回もかけられるようなヘマはしないのですよ」
「えっ、王家の影万能」
「はは、それにしても本当にあなたは誰なんだ」
「え……」
アルフェルトは『何』ではなく『誰』と言った。
「……私は」
次の瞬間、抱き上げられていた。
まっすぐに金色の瞳が私のアイスブルーの瞳をのぞき込んでいる。
「さて、彼らには王都に帰って貰いましょうか」
「……アルフェルト」
「さあ、隣国へ行きましょう? それとも大陸全土を旅しましょうか?」
「えっ、でも私はあなたが憎む王家の」
アルフェルトは、亡国出身だ。
幼い頃にこの国の捕虜となり王家の影になった。だから、この国と王家に憎しみを持っていたはず。
「なぜそのことを知っているのです? 王家の影の情報は主にも秘匿されているはずなのに」
「ふぇ?」
「……でも、あなたを見ていて、あなた自身を恨む気持ちは消えてしまった」
「え? あの!?」
「あなたは純真で、無垢で、可愛らしすぎる」
「へっ、あの、褒めすぎです!?」
「褒めていません。世間知らずだと言っているんですよ。手を離したらすぐに酷い目に遭いそうで……良心が咎める」
それはつまり、私は彼にとって庇護対象になってしまったということなのだろうか。
「自由の身になったのだから、この先の人生は自分で選ぶことにします」
それはやっぱり、自由を手にしたアルフェルトが小説の中でヒロインに言う台詞だ。
「えっ、あの、私はっ」
「隣国のさらに北側は、栄えていて別の大陸から来る人も多い。あなたは魔法薬を作り、俺が素材を手に入れる。幸せだとは思いませんか?」
その提案はとても魅力的に思えた。
けれど、答えを言う前に私の口は塞がれる、アルフェルトの唇で。
「ぷはっ!?」
「はは、口づけすら初めてでしたか? 俺みたいな人間を簡単に信じてはダメですよ」
「むぐぐ……」
私はもう一度抱き上げられて攫われるように国境を越えることになる。
それは隣国の北の端で、仲の良い若夫婦が営む魔法薬店が繁盛する半年前の出来事だった。
ご覧いただきありがとうございます。
ぜひ☆を押して評価お願いします。
とても励みになります!!