つがい
先生は言った。この世界には様々な種族の人間がいると。浮上大陸に住む龍人と亜竜人、地上に住む人間と獣人。彼らにはそれぞれ身体的な差異がある。翼や尻尾があったり、耳の形が違ったり…。好む食べ物や環境、寿命も種族間で異なっていた。だが先生は言った。「皮をひんむけば皆同じ」と。目と耳は二つあり、鼻と口は一つ。手と足が2本ずつあり、内蔵の個数と位置も一緒。「皆等しく人なのよ」。ローゼはなるほど、と思った。種族の差なんてどんぐりの背比べみたいなものですねと言うと、先生はカラカラと笑った。そして「貴方みたいな子が増えるといいのだけれど」と困ったように言った。
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ネズミの嫁
楽園と言われる浮上大陸だけれど、たまにものすごく暑い日もある。今日がそうだった。これでも地上の人にとっては耐えきれる暑さなのだろうけど、普段の快適な気温に慣れきっているローズにとっては地獄だった。おそらくローズがまだ幼いのも関係しているだろう…。学校は休みになったが、ローズは昨日忘れ物をしてしまったため、取りに行かねばならなかった。いつものように翼を広げてパタパタ飛んでいたが、いかんせん灼熱の太陽がジリジリと羽と全身を焦がす。すぐに体温が上がってきてローズは苦しみだした。目の前がぐるぐるする。自分がどこに向かっているかも分からなくなって、近くの屋敷のバルコニーに墜落した。
目を覚ますと、涼しい風が肌を撫でる気持ちの良い部屋にいた。さらさらとしたシーツが心地いい。寝台にいることに気が付き辺りを見回すと、心配そうな目がこちらを見つめていた。ローズはびっくりした。クリクリとしたアーモンド型の黒い目。小さな女の人だった。くるくると可愛くカールした髪をゆるく束ね、華奢な体には繊細なレースで縁取られた深緑色のドレスが飾られている。大きな目に、小さな鼻と口。思わずぎゅっとしたくなるような女性だ。
「龍さま、大丈夫ですか?お水は飲めますでしょうか?」
鈴のように可愛らしい声。気遣いが込められていてローズは感謝の気持ちがこみ上げるのを感じた。差し出された水を飲みながらお礼を言った。
「ありがとうございます。ベランダに突っ込んでしまってすみません」
「何を言うのですか。全然大丈夫です。…子供が気遣いなんてしてはダメですよ」
めっと可愛く怒られてローズはぼうっとした。頭を撫でられて心地良い。じっとしていると、ノックもなしにバンとドアが開けられる音がした。ついで息を呑む音。
「龍さま…?なぜこの様なところに」
亜竜のメイドだった。女の人を見つめる視線がゴミのようなのが心に残った。
「あ、あの」
「具合が悪くてベランダに倒れていたので介抱していたのです」
「この汚いネズミが!龍さまにベタベタ触るんじゃない!手を離しなさいよ!」
メイドは女の人の事をネズミと言った。ハッとして彼女の足元を見ると、灰色の尻尾が揺れていた。ネズミ族の人だった。それにしても、ものすごい奇声。ネズミ族だからなんだと言うのだろう。女の人も怒られたようにびくりと震えている。
「離れろ!早く屋敷の掃除をやれ!」
無理やり女の人をローズから引き剥がした上、メイドは彼女の髪を掴んで部屋の外へ引きずっていこうとした。
「お姉さんに何するの⁉︎髪の毛引っ張ったら痛いよ⁇」
思わず叫ぶと、亜竜はハッとしてこちらを見、やけに甘ったるい声で話しかけてきた。
「嗚呼、なんとお優しいのでしょう…やはり龍さまは尊い…。こんな臭い下賤の者と同じ空間にいて辛い思いをされたはずなのに…本当に気がつかず申し訳ありませんでした…」
「いや、そんなことないよ?」
「嗚呼何て情深い…!」
話の通じないメイドの後ろで俯いていたネズミ族の女性は、黙ってお辞儀をした。そしてローズが何か言うよりも早く去って行ってしまった。お茶とお湯を勧めてくるメイドに断りを入れ、ローズはなんとも言えない気分のまま屋敷を出た。
学校へ行き忘れ物を取って帰ると、帰りが遅くて心配したらしいつがいが怒ったように出迎えてきた。あれよあれよと言う間に暑さで倒れた事を白状させられさらに大目玉を食らった。
「これからは僕に黙ってどこか行かないで」
「だってヴィーは今日ジーク達と狩に行くって言ってたから。別に言う必要ないと思って」
体を動かすのは好きだが、飢えていないのに遊び半分で生き物を殺すのは嫌いだ。だから誘われても行かなかった。つがいのヴィーにとっても、まだ子供のうちからローズしか話し相手がいないのはよろしくない。今回のような事はいい機会だと思っていた。だがローズと離れる度に彼は身が千切れるような辛そうな顔をする。自分がいない間はおとなしく家で待っててと言うのだけれど、反抗してローズはいつも外出していた。そんな自分を見て、彼は溜息をつきながらも青い顔で愛しそうに見つめているのだった。罪悪感がないわけではないが、これはお互いのために良い事なのだ。
「せめて離れていてもどこ行くかだけは教えて。そうしないとお仕置きするよ」
いつもと違う剣幕にぞくりとしながら、ローズは諦めて返事をした。
☆☆☆
ネズミのかなしみ
私の好きなもの。春の陽射し、野に咲く花、クッキーの焼ける甘い匂い。弟達の笑い声。おじいちゃんおばあちゃんのしわくちゃな笑顔。ゴツゴツした働き者の手。暖かいお布団でぐっすり眠ること。それら全てが私を幸せにしている。
私の嫌いなもの。悪意のある眼差し、ヒソヒソ声。頭がガンガンするような大きな声も。わざと冷まして運ばれた食事、蔑みの眼差し、繰り返される私と私の家族を貶める言葉。
大好きな場所から引き離されて、私は大嫌いなものばかりの場所に置かれた。私を番だと言って微笑んでくれたあの人は今でも大好きだけれど、他のことが辛すぎて結婚の幸せに浸れない。あの人が私に優しくするたびに、使用人達からのいじめが酷くなるの。使用人だけじゃない。街を歩く度に嫌悪と嘲笑の視線が私を貫く。龍人のつがいとなった獣人でさえも私を嫌うのだ。もう辛い。だから私もあの人の愛をうまく受け取れなくて、罪悪感でいつもいっぱいになってしまった。もう疲れた。ここには怖いものがいっぱいで、それらは全て私を傷つけてきて。息をするのも苦しいの。こんなこと、ここに来るまではなかった。私がこんなだから周りにも迷惑かけるし、優しくしてくれるあの人も悲しませている。私のせいで関係ない家族まで悪く言われてて、もう私は全てにごめんなさいと言って震えるしかなかった。こんな所にいてごめんなさい、あなたのような立派な人のつがいに生まれてしまってごめんなさい、使えるのにふさわしくない主人でごめんなさい、卑しくてごめんなさい、ネズミ族でごめんなさい。あぁ…そう思ってしまう自分が嫌になる。家族のみんなごめんなさい。でももうこの身の全てがゴミに見えて仕方ないの。
今日はちょっとだけいいことがあった。可愛い龍の子がうちのベランダに落ちてきたの。私になんと微笑んでくれた。心から笑ってくれた人はあの人の他にはこの子が初めてで。嬉しかった。でも、最近全ての感覚が鈍い私は少ししか感情が揺れなかったのだけれど。
もう何も感じない。何も見えない。何も聞こえない。ぼんやりとした世界の中ここには私を傷つけるものばかり。早く行かなくちゃ。誰も私を傷つけないところへ。
気がついたら屋敷を抜け出していた。何日経ったか分からない。目の前には途切れた地面がある。いつのまにか大陸の端に来ていたみたい。目の前には空が広がっていた。夕焼けに染まって綺麗。私は久しぶりに笑った。唇がひくりと動いただけだけど。
あの場所じゃない何処かへ行きたかった。
どこにあるか分からないその場所を目指して。
私は虚空へとジャンプした。
☆☆☆
龍の統べる浮上大陸。そこから1人の獣人が堕ちた。残されたつがいの龍は狂ったように探し回り、ついに大陸の果てで彼女の揃えられた靴を見た。絶叫した龍は、やがて地獄をもたらす。
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つがいと一緒になりさえすれば幸せになる。そんな事はまやかしに過ぎない。互いを思いやり、努力することが必要なのだ。つがいといえど所詮は他人。互いの不知を対話で埋めなければ、そしてある程度妥協しなければうまくいかないのだ。龍はネズミ族のつがいの孤立と心の傷に気がつかなかった。ネズミ族のつがいは良き妻になろうとするあまり夫に頼ることを諦めてしまった。
修正は何度も試みてきた。でも出来ぬまま取り返しのつかないところまで来てしまった。もうお互い離れた方が良いのではないかと思った。だからローゼは彼女が落ちるのを黙って見ていた。
「グザヴィエ・ドランのつがいは死んだ。だからあなたはただのアリシア」
空の中で掴んだ彼女の体はつめたくふるえていた。下界にそっと運び、とある街の外れの小さな家に入れた。
羽を傷つけ飛べなくなった籠の鳥。このままだと弱って死んでしまう。私は元気で強い翼が生えているから、運んであげよう。あなたが楽に息できるところまで。羽を休められるように。…これなら、貴方の為になるのかな?
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ネズミの死によって全てが露見した。特に深く関わっていたとされた屋敷の使用人は全て殺された。その夜、屋敷からは断末魔の声が鳴り止まなかったという。命からがら逃げ出した者も追いかけられ、体をバラバラにして殺された。間接的とはいえつがいが殺されたのだ。誰も止める者はいなかった。




