16~ドラン王国夜間遊撃戦
目の前に広がる光景を理解できなかった。
何をしているのか、どうしてなのか、そんな疑問が頭を占領していく。しかし、疑問に対する答えを見つけることはできない。
頭が複雑な感情の濁流に埋め尽くされた頃、ある一人の少女が口を開いた。
「ごめん……なさい。ご主人様、裏切るような真似をしてすみません……でも、でもでも仕方ないんです。許してください……」
フィルフィーは、うわ言の様に呟きながら手に魔力を込め続ける。その表情はガルトと共に晩飯を食べていた時とは似つかない、絶望に満ちたものだった。ただそれは少し見覚えのあるものの様な気もする。私が食事中に話しかけた、あの一瞬だけ見せた曇った顔と似ているような気がするのだ。
圧倒的な硬直状態。誰か一人でも動けば誰かが死んでしまうような、異常な緊迫感がこの部屋には漂っていた。町中にあるごく平凡な宿屋の一室とは思えないほどのもの。そんな状況で次に口を開いたのはミリアだった。
「ルー……シュ、け、剣を降ろしてよ……」
自分の喉元へ剣先をあてるルーシュに向かってミリアは言った。
しかし、そんな言葉で引き下がるなら彼女達はここまでしていない。では何故こんな事をしたのだろうか?そんな答えが分かる訳のない事を考えるのなら、真実を知る者に直接聞いた方が効率的だろう。
「フィル、ルーシュ、改めて聞く。何故こんな事をした?何か不安な事でもあっただろうか、もし心配なことがあるのなら言って欲しい」
「違うぞご主人、私らは別に仕える事への不安はさして無い。でも、それ以上に自由への渇望が勝ってしまったんだ。あの男が言っていた、ご主人らを拘束して自分に渡せば自由にしてやるって。だから、今こうやって剣を抜いた」
あの男とは誰なのか、それは明白であった。あの貴族だ。ガルトが言っていた通りだった、この姉妹を利用して私達へ危害を加えに来たのだ。
ただそれが分かったからと言って何か変わるだろうか。この状況は確実に動かすことはできない。何か強力な外的要因が無い限りは変化が訪れない。詰みの盤面、そこまではいかないだろうが限りなくそれに近い。討論だけでどうにか出来そうにもないが、実力行使は必ず怪我人が出るだろう。ましてミリアを人質に取られている状態では何も出来ない。
それに、彼女らの目的は自由。私達との和解も出来そうにない。私達との生活を受け入れることは、奴隷になるということ。つまり、たとえ彼女らに自由を与えたとしても、それは彼女らだけの自由ではない。自身の生活に第三者の私とミリアが侵入している自由だ。そんなものは恐らく望んでいるものではないだろう。だからこそ、この硬直状態は私だけでは動かせない。
「ね、ねえルーシュ、考え直さない……?私達だって別に君たちを不自由にさせるつもりは無いからさ」
変化が訪れる訳もない言葉を吐き出し続ける。その行動は最早、変化を望む感情を述べているようなものだった。藁にも縋る気持ちとはこのようなものなのだろう。
「お願い、ミリアを放してあげ——」
「ご主人やめてくれよ、もう無理だって分かっているんだろ。さっきから目が諦めているじゃないか、変えられないって、私らを懐柔するのは不可能だって、理解しているんだろ」
そう言われて、私は咄嗟に目を逸らしてしまう。目ざとい意見が、重い影が、私の心に残る。気まずさ、後ろめたさ、なんとも言い表せない感情が溢れかえっていく。私、ミリア、フィル、ルーシュ、この四人での思い描いていた生活がだんだんと崩れ去っていく。端から徐々に、徐々に、ガラガラと音を立てて崩れていく。
なぜこんな事に。そう考えた瞬間、私が待ち望んでいたものが訪れた。
「な、なんだ……?」
ルーシュの声が震える。
一階から大勢の足音がした。数人、いや数十人だろうか。あまりにも異様な状況。そう、強力な外的要因だ。
しかし、その外的要因は予想とは外れた。いや厳密には外的要因が干渉をしてきた。足音が部屋の正面で止まった。第二の異常、それはフィルとルーシュが無視するには大きすぎるものだった。
「ルーシュ、私が見てくる……何かあったら……ごめんなさい」
フィルは震える手を押さえつつ、ドアノブに手をかける。刹那、ドアが蹴り飛ばされ、フィルが私の方へ吹き飛ばされた。
「うあっ!」
小さく呻き声を上げながら、体を床へ投げ出すフィルが視界の端に映る。これでフィル達の味方ではないことが確定した。では誰なのか、私はそっとドアがあった場所の奥へ目を向ける。
「盗賊……?」
「お前ら仕事おせぇよ、こんな女二人捕まえるのにどれだけの時間をかけてんだ。お前らのせいで俺が来る羽目になったじゃねえか」
盗賊のような格好の男がそう言い放った。ダークグレーのフードに身を包んだ長身の男。私が知っている誰とも特徴が合わない、正体不明の男が部屋の入口に立っていた。
悪態をつきつつ、懐から葉巻を取り出す。指先から小さな火を葉巻に付けて、一服する。その瞬間だった。ルーシュが吹き飛ばされた。見えなかった、分からなかった。何故吹き飛んできたのか、私は肉眼でそれを捉えることが出来なかった。
そして、本能的に次の危機を察知する。彼の背後、同じく顔は見えないが手元に魔力を貯めているのが見えた。ミルフを撃つために敵はその場に留まるしかないだろう。好機、ミリアと共にフィルとルーシュから逃れるなら今しかない。
冷静に自身の周辺を観察する。勿論、悠長にしている時間は無いが下手な真似は出来ない。フィルとルーシュは私の背後で、壁に身を委ねている。敵との距離はおよそ四メートル。月明かりが前方の彼らを照らし始めた。一呼吸をおいて相手に悟られないように魔植物の種を埋め込む。
「【魔植化】」
それに初めに反応したのはミリアだった。即座に前方へミルフを放つ。
「【氷結霧】」
ミリアの手元から真っ白の冷たい霧が生み出される。その霧はすぐさま部屋を埋め尽くした。
視界が遮られた瞬間、私たちは月明かりの方向へ走り出した。白色の世界においての一つの明確な目印。それは唯一の逃げ道である。
ガラスを突き抜け、空中へ身を投げ出す。飛散する破片に体が傷つけられるがそんな事に構いはしない。地上までの数瞬、私は足の魔植化も済ませる。ドンっという鈍重な音と共に土埃が舞う。魔植化していても衝撃までは消しきれず、びりびりとした痛みが走る。しかし、そこまで余裕は無い。この程度で稼げる時間は多くても数十秒、彼らは相当な手練れと見受けられる。室内に居ないと分かるや否や、すぐに追跡を開始するだろう。
私は、両脇に抱えている姉妹を再度しっかりと抱える。
「なんで......」フィルがこちらを向いた。それは私も分からない。妹を殺されかけたのに、彼女らとの和解は不可能だと分かっているのに。自身の考えとは違う行動を取ってしまう、これは今に始まったことではない。ミリアに関しての行動にも当てはまるのだろう。転生して長期間関わった訳でも無いのに、何故か自身の命に代えてでも助けたい。そう思ってしまう。これも一緒だ、彼女らを助けたいという感情が理性を超えてしまった。
「助けたいと思ったからだ」
そんな簡単な返答で済まし、走り出す。奇襲をいなし続ける戦いを王国内で繰り広げなければならなかった。相手は確実に私達よりも手練れ、逃げ切ることは難しい。聖騎士団の保護を受けるのも良い考えだろう。だが、ここから聖騎士団の拠点までは中々な距離がある。もしフィルとルーシュに裏切られる事があったら、全員の生存どころかミリアの生存まで怪しい。
その時、ミリアが言った。「お姉ちゃん、とりあえず離れよう。追手を撒いてからじゃないと、どうするか考える事もできないよ」
「ああ、賛成だ、とりあえず逃げよう」
考えることが多い、しかしあまり考えている時間もない。闇雲に逃げても、いい結果になるとは思えないが結局どこへ逃げるのかという疑問に戻ってきてしまう。ひとまずは聖騎士団の所へ向かってリスティアさんに護衛してもらおう。フィルとルーシュの話はそれからだ。
私は先行するミリアに目的地を伝え、その背中を追いかける形で走っていた。周囲は異常なぐらい静かだった。足音も人の声も聞こえない。フィルとルーシュは私の両脇で静かに抱えられている。そろそろ体力も尽きてきた頃だったため、出来る限り音をたてないように二人を降ろした。
刹那、足元の地面に何かが刺さった。危険を察知して私は臨戦態勢をとる。ミリアも異変に気付いたようでこちらへ走ってきた。
「全員警戒しろ、近くに居るぞ」
私は呼びかけつつ、足元に刺さっていたものを確認する。それは黒く塗られたナイフだった。夜闇に紛れる真っ黒な暗器。相手は本当に盗賊なのだろうか、もし暗殺者だとしたら下手に動くのも止まるのも危険に感じる。何が正解なのか分からない。
その時、フィルが前に飛び出した。「ご主人様っ……!」
焦りが含まれたその言葉の後にトスッという鋭く静かな音が鳴った。最悪の状態を想定する。私は知っているのだ。嫌な予感は大抵的中する事を。
目の前のフィルを抱き寄せ、腹部を確認する。眼前に広がる光景は予想通りだった。脇腹に先程のナイフと同じものが一本、周囲の微かな光に照らされながら刺さっていた。
「どうして……」ミリアが声を震わす。
その疑問は尤もだった。先程まで私達を狙っていた彼女が、何故身を挺して守ってくれたのか。
「ごめん……なさい、良くしてもらったのに、こんな事へ巻き込んでしまって。あの男に……ご主人様とミリア様を捕らえたら奴隷から解放してやると、もし断ればルーシュを殺すと……すみ、ません……」
私の腕の中で、涙ながらに告白する彼女の言葉が嘘だとは思えなかった。
「断れば私が殺されてた……?い、いや私は断れば姉ちゃんを殺すって言われて……」青ざめた表情でルーシュがそう言った。
姉妹、それを逆手に取った悪魔の契約。断れば、自身ではなく自身の大切な人へ矛先が向いてしまう最悪の交渉。それを聞かされて黙っていられるだろうか。
「ミリア、私って甘いかな……」
「いや今回に至っては私も同意見だよ。彼女達を放っておく事は出来ない」
何も言わずとも、ミリアは私の考えを汲み取ってくれた。
彼女達を家族へ迎え入れる。一度は命を狙われた相手、しかし事情を知ってしまった。彼女達を放ってはおけない。私は己の甘さを痛感しつつも、聖騎士団の拠点までの道を思い浮かべる。残り一キロもない程度だろう、魔植化状態で走れば何とか抜けられるだろうか。
「ルーシュ、ひとまず逃げ切ることを考える。この話は安全になってからにしよう。そこでなんだが、【獣化】でフィルを担いで逃げられるか?」
「あ、ああ、姉ちゃん一人なら全速力で走れる」
「分かった。私はミリアを担ぐから、私に付いてきてくれ」
「わ、分かった」
驚きも含んだ声を背中に、私はミリアを抱える。後ろを振り向き、ルーシュと視線を交わす。その瞬間、私達は走り出した。
夜の街を走る。心地よい風が次第に強くなっていく。自身の走りから生まれているとは思えないほどの速さで、想像以上に早く聖騎士団の拠点が見えてきた。背後を確認すると、ぴったりと追走するルーシュとその後ろに黒い影が動いているのが見えた。追手が来ている。
まずい、そう直感的に思った時だった。視線を前方に移すと、聖騎士団の拠点より少しこちら側に人影が見えた。服装は背後の黒い影と同じ。味方では無さそうな雰囲気だ。
「よく逃げたねえ、うちらの包囲網から抜け出すなんて、相当な実力やと思うで?」
前方の黒い影から関西弁の若い女の声が聞こえた。
刹那、彼女が攻撃を仕掛けてきた。
「やっば!」
寸でのところで腕を割り込ませることに成功した。しかし、攻撃の手が止むことは無い。私は担いでいたミリアを降ろし、防御に集中する。
「これ防ぐんや、んじゃもう少し行こか。【潜影】」
潜影と聞こえた瞬間、彼女の姿が眼前から消えた。全身が黒く染まり、液体の様にどこかへ消えてしまったのだ。どこに居るのか、私はふと地面を見た。月明かりもほとんど無い暗闇、その中に一際目立つ黒い部分が動いていることに気付いた。
「お姉ちゃん!」ミリアの声が響く。
それと同時に地面から女が飛び出してきた。自身の足元からの攻撃、回避が出来る距離ではない。相手の速度も速い。死んでしまう。
「ご主人、私も前衛なんだから任せてくれ」
ルーシュはギリギリで敵と私の間に大剣を割り込ませた。目の前で激しい金属音が鳴り響く。その印象的な音が敵の攻撃の強力さを物語っていた。
「【氷結弾】」ミリアが攻撃を仕掛ける。
しかし、相手は気にもしていない様子で氷結弾を真っ二つにした。実力の差、圧倒的な差を見せつけられている。まだ正体すら分かっていない固有ミルフであろう能力も持っているのだ。勝てる要素を見つける方が難しい。
藁にも縋らないと生きられない……初めてそんな事を思う。
「リスティアさーん!助けてー!!」
一縷の望み、被害が出ていないうちに博打へ出た。しかし、それも成功だったのかもしれない。
「【星剣】」
「んなっ、聖騎士団の副マスターかよ!流石にうちには荷が重いし、一旦帰らせてもらおか」
「逃がすわけないだろう!」
リスティアさんは逃げようとする相手に詰め寄り剣を振り抜いた。しかし、彼女の剣は小さなナイフ一本で受け流された。そして、その勢いを手に持つナイフへ込めて投擲を行った。異常な加速を見せたナイフはリスティアさんの横を抜けて、その後ろに刺さった。
「ミリアっ!」
「がっ、あぁっ……」
ミリアは力なく呻き、地に伏した。刺さった箇所は急所でないと思われるが、あの速度での刺突であれば何があるか分からない。
恐らく大丈夫だとは分かっていても私たちは動きを止めざるを得ない。相手はこちら側の急所を即座に見抜いて突いたのだ。
「それじゃあまた会おうな、ミーファ。うちはリーシア、お前さんの捕縛を依頼されとるもんや」
「そこまで明かしてくれるのか。リーシアっ!」
ふと感情が抑えられず語気が強くなってしまったが、それを気にしている場合ではない。今はミリアを助けることが先だ。
「ミーファ、ミリアを拠点まで運ぶ。話は彼女を助けてからにしよう。もうリーシアを追うこともできないだろう」
「分かりました、リスティアさん」
私はフィルとルーシュも連れて、リスティアさんの後を付いて行った。




