門番との対話
【最初の町】
高い壁に囲まれている。
堅牢そうな壁に囲まれた町。その入口のひとつで、言葉の通じない人間の対話が始まろうとしていた。
「(言語が違うなら、やる事はあれしかない)」
黒羽は、未だ彼女への対策の会話を続ける二人に対して行動を仕掛けようとした。見知らぬ土地で利用できるのは己の身体だけ。
つまりは肉体言語。
「(ジェスチャーだ)」
ジェスチャー。それは、他の人間に何かを伝えるためにする身振り手振りである。言葉とともに頻繁に使用されるものだが、それ単体でも十分に役に立つ行動なのだ。
「あー、通じないと思いますがこちらを見てください」
黒羽は自身の手を叩き、自分に注意を向けさせた。言葉は通じないが、音としては聞こえるので一応発言も行っている。
「□□…□□◼️◼️□◼️□◼️□□□□□」
(おい、この美女が何か言ってるぞ)
「□□…◼️◼️◼️□◼️◼️□□□□□□□□…」
(カイ…初対面の人間にそれはないだろ…)
「(よし。こちらを向いたな)」
彼女の想定通り、さっきまで話し合っていた門番の二人が黒羽が何をするのかを見ている。
「(伝わってくれよ)」
彼女は自身に手を当て、そこから流れるように門を指差す。簡単な動きだが、分かりやく簡潔な方が伝わりやすい。というか、今さっき感情を知ったばかりの人間にはこれが限界なのだ。
「(これで良いはずだが…どうだ?)」
ジェスチャーが国ごとに微妙に意味が違ったりすることは知っている。だが、門番という概念がある程度の文明なら伝わるはずだ。
「□□、□□□□。□□◼️◼️□◼️□◼️□□□□□□□?」
(なぁ、マックス。この美女は町に入りたいんじゃないか?)
「□□□◼️□□□□□□。◼️◼️□□□□□□□□。」
(それは俺もわかってるよ。問題はそこじゃないんだ)
「◼️□…」
(金か…)
「□□□。◼️□□□□□◼️◼️◼️◼️□◼️◼️□□□。
□□、□□□□□□□□◼️□□□□□□□…」
(そうだ。入れるには銅貨五枚が必要になる。
だが、それをどうやって伝えればいいんだ…)
一応は通じたらしいが、何かを悩んでいるようだ。
門番の仕事は前世にもあったが、いつもそこに立っている人としか見ていなかった。主以外の人間が何を考えて行動しているのか考慮する必要はなく、思考に現れたこともない。
しかし、今は他人の考えを知らなければならない。
「□□◼️◼️□□□□□□□□□□?」
(この美女みたいにやればよくね?)
「…□□、□□□□□□。□◼️□□、□□□◼️□□□□□」
(…まぁ、やってみるか。お嬢さん、これを見てください)
そう黒羽が決意すると、真面目っぽい男が何か言いながら懐から硬貨を取り出した。恐らくは、このコインを見ろと言っているのだろう。
「□□◼️□◼️□□□、□□□◼️◼️◼️◼️□□□」
(この門を通るには、これが五枚必要なんだ)
五枚の硬貨を見せ、門番は自身の後ろを指差していた。そして、真面目そうな男の後ろには町に繋がる通路がある。先は見えないが、そこを通るにには金が必要だと黒羽は理解できた。
「(金か…)」
当然だが彼女は無一文だ。前世なら特殊な国家以外は簡単に入ることができ、都市間で通行料が取られることなど滅多にない。国というのは入るのは容易く、出るのには時間がかかるというのが黒羽の認識だ。
「(どうするべきか…)」
入ってしまえば金を稼ぐのに苦労はない。普通に働いてもいいし、奪うのもいいだろう。または、自分の肉体を物理的に売るという手段も取れる。今の彼女ならば臓器を安く売っても利益は高い。
「(壁の高さは15m。この肉体ならば30分もあれば登ることができる。だが、ここは異世界だ)」
黒羽は悩む。
この世界についての知識は、そこいらの幼子よりもない。壁を登って入れたとしても、侵入者を探知する魔法があった場合はすぐに捕まってしまう。土地勘のない人間では、逃走という行為は難しい。それに加え、既に門番に顔を見られてしまっている。
「(特徴的な顔というわけではないが、主は私の顔は整っている方だと言っていた。それに、異世界であっても赤い目は目立つだろうな)」
門番を殺すという手も彼女にはあるが、職務を全うしているだけの人間を消すほど短絡的ではない。また、倒されるというリスクもある。
「◼️□◼️□□□□□□□…◼️□□□□□□?」
(考え込んでしまったな…通じているのか?)
「◼️◼️□◼️□□□□□□□。
□□、◼️◼️□□◼️□◼️□◼️□□□□□□◼️□□□□□」
(普通に金ないんじゃね。
まぁ、美人だし俺が立て替えるっていう手もあるがな)
「□□。□◼️□□□□□◼️□□◼️◼️◼️□□□□□」
(カイ。お前それやって何セル給料減らされたよ)
「□□□。□□、◼️◼️□◼️□□□□□□□◼️□□□□□□!」
(さあな。だが、昼飯に困るくらいには少なくなったぜ!)
「□□…◼️◼️◼️◼️□□□□□◼️◼️□□□□□。
□□◼️□◼️□□◼️◼️□□□」
(はぁ…身内以外にやったら減給だってのに。
もう少し考えて行動しろよ)
明らかにこの世界ではない人間の服装をしている黒羽を前に、門番たちは会話を始めた。とても油断している。彼女の技術なら瞬きの間に殺せるが、それはしない。
「(殺すというの最後の手段にしよう。とりあえず、このスーツで通れないか交渉してみよう)」
門番は金属鎧を着て、腰には剣を携えていた。ならば、少なくともスーツのような衣服が生まれた時代ではないと予測できる。幸いにも、私の着ている衣服は前世では高く評価されていた。
並みの感性を持つ人間であるなら、この手触りのよいスーツは値のつく物だと理解できるはずだ。故に、通行料変わりにはなるだろう。
「(私の考えは正しい。だが、このスーツを白桜様から貰った時を思い出すと渡す気が起きないのは何故だ?)」
前世の私であれば、最善だと理解して売るという選択を取れたはずだ。しかし、今の私は彼らを殺した方がスーツを渡さなくて済むと考えてしまっている。
「(殺した場合のリスクの方が大きい。だというのに、私の心は門番を消すという選択肢に傾いている)」
彼女は困惑している。感情が生まれたばかりの自分が、なぜ感情がない時に貰った主からの品に執着している事実に。
そもそも、黒羽は勘違いをしている。神は別に彼女に心を与えたわけではない。黒羽という歪んだ存在を、あるべき形に戻しただけなのだ。
では、感情がない時でさえ主がいなければ異世界に行かなかった人間がそれを手に入れた場合、一体どうなるのだろうか。
「(いや、門番は殺しても大丈夫だ。主は一人しかいないのだから、それ以外がいなくなったとして問題はない)」
感情は成長する。
心は発達する。
理性は感情に負け、一秒前の思考は歪んだまま正当化される。彼女は自身のことを全くわかっていない。黒羽は、自らの執着心が異常だというを理解していなかった。
姿勢を低くし、迅速に敵の喉元に刃を突きつけるために魔法で槍を生成する。門番からは見えないよう手のひらに、短く鋭い刺すことを意識した血槍が出来上がった。
「(敵は二人。もし私の武器が通じなかったとしても、目潰しくらいには使えるはずだ。その間に彼らの剣を奪えばいい)」
急に姿勢を低くした黒羽を不審に思った門番が、彼女の元に近づいていく。
「□ー□、◼️□□□□□□?」
(おーい、何やってるんだ?)
「□□□□□。◼️□□□◼️◼️□□□□、
◼️□◼️□□◼️◼️□◼️□□□□□□□□□」
(というかよ。言っても無駄なんだし、
手を引いて教会に連れてったらいんじゃね)
「□□、◼️◼️□□□□□…」
(いや、減給はちょっと…)
喋りながら近づいてくる真面目そうな男に、狙いを定める。
段々と距離は短くなり、黒羽は全身に力を込める。殺すという行為は無駄なく一瞬で済ますべきというのが、彼女の主からの教えだからだ。
「(4、3、2、い…)」
心の中で距離を数え、彼の喉を抉ろうとした時。彼女の懐から赤い球が転がり落ちた。
「□□□…?」
(これは…?)
それを拾おうと急に門番が屈んだので、黒羽は思わず動きを止めてしまった。前世での彼女ならそんな些末な事に気を取られたりはしない。だが、感情に目覚めた黒羽は道中に生物から抜き取ったそれが何なのか急に気になってしまった。
「(…考えてみれば、この球についてなぜ私は忘れていたんだ?この世界の生物の一部と言えるこれを、金に代えられるという思考になぜ辿り着かない。愚か者か私は。いや、殺害という短絡的な手段を取ろうとした時点私で愚者そのものだ…)」
そして、正気に戻った黒羽は静かに落ち込んでしまった。無理もない。前世では彼女が命令を違えることなどなかったからだ。感情がないというのは、想定外の動きをしないという利点がある。つまり、門番を殺そうとした件は黒羽にとって初めての失敗だったのだ。
「□□□□□◼️□。□□□□□□□◼️□□□□…」
(スライムの魔石か。かなりきれいに取れてるな…)
「□□□□□□□□。◼️□□□□□□、◼️□□◼️□□□□?」
(マックスどうした。急にしゃがんで、金でも落ちてたか?)
「□◼️□◼️◼️□□□□。□□□◼️□□□」
(お前と一緒にするな。これを見てくれ)
「◼️◼️□◼️□?□□□◼️◼️□□□◼️◼️□□」
(彼女の物か?かなり状態のいい魔石だな)
「□□。□□□□◼️◼️◼️◼️□□□□□□□□□□□」
(だろ。これなら通行料代わりになるんじゃないか)
「…◼️□□!□□□◼️◼️◼️◼️□□!」
(…確かに!これで問題解決だな!)
人生で初めて落ち込んでいる彼女の横で、門番たちは黒羽を通す目処が立ったので喜んでいた。既に彼女の手からは血で作られた槍は消え、彼らを殺そうとしたことは
「□□!□□□◼️□◼️◼️□◼️◼️□□◼️□□□□!」
(よし!じゃあ俺は彼女を教会まで連れてくぜ!)
「◼️□□□□□◼️□□□□□」
(届けたらすぐ帰ってこいよ)
「□□□□□□□。□□□◼️□□□□□」
(わかってるって。んじゃ行きましょうか)
緩そうな男はうなだれている黒羽の手を取り、先の見えない通路へと連れていく。
「…通してくれるのか」
いきなり手を取られた時は、手のひらに作った血槍を見られたと思ったが違ったらしい。どうやら、赤い球を通行料代わりにしてくれたようだ。親切な方々である。
「(そんな彼らを殺そうとするとはな。反省するべきだな私は)」
通路に入るとすぐに光が見えた。入口からは真っ暗に見えたが、何らかの方法を使って町の内部を見えないようにしているらしい。故にその通路は黒羽が思ったよりも短く、考えているほど暗くはなかった。
「□□□□。◼️◼️□□□□□」
(ようこそ。都市キルサスへ)
通路を抜けると、門番が彼女に何かを言った。
手を引かれている時も項垂れていた黒羽はそれを聞き、顔を上げる。そして、ここで初めて彼女は町を認識した。
「おぉ…!これが、この世界の町。いや、都市か」
感嘆の声を漏らす黒羽。
彼女の目に映るのは、たくさんの人々が行き交う活気に満ち溢れた街の姿だった。人の声が絶えず聞こえ、静かさとは無縁だと思わせるほどの素晴らしい都市。
三階建ての家屋が並び、道も綺麗に整えられている。外観はいわゆる中世の建物に似ているが、黒羽はそれを知らない。なぜなら、彼女の世界にはもう昔の建物や文献はほとんど残っていないのだ。
「(前世にもこのような建物があったのだろうか)」
彼女の世界は度重なる大戦によって大陸が削れ、人が住める土地の約八割が深刻な汚染を受けた。
そのため、該当地域を地層ごと抉り取って浄化施設に運ぶということを1000年ほど続けた。故に、彼女が生まれた時にはピラミッドなどの過去の建造物はない。残っているのは、過去に人類が大きな墓を作ったという曖昧な記録だけである。
「(この世界の人間は、我々の世界のような間違いを犯さなければいいな。この風景がなくなるのは…少し悲しい)」
そんなことを思いながら、黒羽は門番に手を引かれる。
そして、彼女を見ていた一人の男はこう思った。
「(なんでめちゃくちゃ悲しそうな顔してんだ…?)」
緩そうな男は、彼女が感嘆の顔から物憂げな顔にいつの間にか切り替わったのですごく困惑していた。
【黒羽の世界】
第7次世界大戦までやってしまった世界。人口は全盛期の一割となり、物理的に土地が減った。




