第一話:BL作家と六月の花嫁(その8)
「ねえ?」と、冷蔵庫の中身を物色しながら佐倉伊純は言った。「本当に憶えてないの?」
――ひき肉にしなびた人参・玉ねぎに水煮のレンコンと大豆?相変わらずパッとしない冷蔵庫ね。
「あっちは憶えてるそうなんだけどね」と、こちらは食器棚の奥を確かめながら詢子。
――ひとり身になるとね、余計に買い出しの気力もなくなっちゃうわよね。
「なんか、高校時代の私のペンネームも知ってたし」
――このカレールー使えるかしら?
「ああ、(*検閲ガ入リマシタ)先生?」
――賞味期限が去年の夏じゃない。
「ごめん。その名は捨てたのだよ、伊純くん」
「だったら、ほんとによく知ってんじゃん」
「うちにもよく来てたって言うし」
「ふーーん?」と、ここで伊純は、包丁の切っ先を確認しつつ小声になると、「ひょっとして元カノとかなんじゃないの?」と、言った。
「兄さんの?」と、こちらも声のトーンを落としながら詢子。「ないない。それはない」
「あんたが知らないだけでさ」
「だって“あの”樫山泰仁よ?――妙子さんとのこと知ってるでしょ?」
「いや、知ってるけどさ……」
ここで伊純は、問題の男・樫山泰仁の、奥手で、優柔不断で、自分から告白する勇気のひとかけらも持ち合わせていないくせに誰にでも優しく接して誤解を招くという悪いくせを持っていて、そのくせ、その誤解がもとで告白されたりなんかしたら、それはそれですぐに及び腰になっちゃったりなんかして、そんでもって困った挙句に、妹や妹の友人 (=伊純)や、一般的恋愛の参考には到底なりそうもないダメダメイケメン (=漱吾)とかに長々と相談しては結局チャンスもセカンドチャンスも逃してしまうという、そんな超非恋愛体質的エピソードのアレやコレやを想い出すと――、
*
って、ごめん。
耳と心が痛くなって来たのでちょっと休憩して来ても?
…………ああ、うん。外の空気を吸って来るだ……え?分かってます。分かってますってば!
……はいはい。お話はキチンと続けますって……、
だーかーらー、外の空気ぐらい吸わしてくださいよ!!
――閑話休題。
*
と、そんなこんなな彼の超非恋愛体質的エピソードのアレやコレやを想い出しながら伊純は、
トトトトトトトトトッ。
と、まずはしなびた人参・玉ねぎを手際よくみじん切りにし、それを大きめのボールに移してから、
ザッザッザ。
と、ざるに上げた水煮のレンコンと大豆を軽く水洗いすると、この家で一番おおきなフライパンを取り出し、
……なんでこんなに汚いのよ?
と、作者のこころを代弁するかのように、
ゴシゴシゴシ。
キュキュキュキュキュ。
と、キレイに洗い磨いてから、
『レンコンはなに切りにしようかしら?』
と、フッと手を止めたところで、ついつい目をリビングのほうへと向けてしまった。
するとそこには、まるで旧知の親友ででもあるかの如く談笑する樫山泰仁と山岸真琴がいて、それを見た彼女は、お米の量で悩んでいる詢子のほうを振り向くと、
「でも、あれ、やっぱ近すぎない?」
と、言った。
*
「そうそう。それで先輩とぶつかっちゃって――」と、笑いながら真琴が言い、
「そのまま二人して美術室の中に倒れ込んで行っちゃって――」と、こちらも笑いながら樫山が続けた。
すると、
「そしたら、そこにミケランジェロがいて」と、被せるように真琴が続け、
「あの先生、うえから僕らを見下ろして――」と、樫山が言ったところで、
「“お二人さん、仲がよいのもほどほどにしとけよ”」
と、問題のミケランジェロ――高校の美術教師 (筋肉質・185cm)ね――のモノマネを真琴がしたところで、ふたりは腹をかかえて笑い出した。
泣いたカラスがナントやら、というワケでもないのだろうが、この頃になると真琴は、伊純が買って来てくれたグレーのスウェットに着換えたせいもあってか、すっかりと落ち着きを取り戻し、髪もアップにして、長袖丈・ハイネックのインナーも温かそうで、一時間ほど前とはまるで別人物のようであった。
*
『とくにオッ○イのあたりが……』
とは、そんな二人をソファの反対側から眺めていた漱吾の感想である。
で、あるが、まあ、そんな彼や彼と似た精神構造を持つ全国の男子中学生同志諸君の夢とか希望とか愛とか自由とかが詰まったあの詰め物は、ウェディングドレスとともにあちらの窓際で絶賛干されている最中なのであった。
(続く)




