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第一話:BL作家と六月の花嫁(その7)

 さて。


 どうせ詳しく書いても誰も読んではくれないだろうし、この作者からしてそんなにしっかりキッチリ勉強したわけではないので、ハッキリくっきりとした確信を持って言えるわけでもないのだが、とある理論物理学者が提唱したなんとかとかいう説によれば、いわゆるブラックホールの崩壊は、我々の住むこの宇宙とは基本的な定数パラメータがわずかに異なる新しい宇宙の出現を引き起こす。


 ――らしい。


 で、それはつまり、この宇宙がブラックホールを持てば持つほど新しい宇宙が産まれてくる可能性も拡がるワケなのだが…………と、ここまで考えて樫山泰仁は『4000京』っていくつだったっけ?


 ――と、考えた。


 というのも彼は、この数日前にナントカとかいうイタリアの天体物理学者のチームが、


『宇宙に存在する恒星質量ブラックホールの数は、およそ4000京個である』


 とか、そんなこんななことを発表したというネット記事をナントカカントカとかいうウェブサイトで読んでいたからである。


     *


 ポォン。


 と、ここで彼らのいる階にエレベーターが到着し、樫山の思考は一旦途切れた。


「どうしたの?兄さん」と、いつもの呆け顔で突っ立っている兄を詢子が急かした。「乗らないの?行っちゃうわよ?」


 そんな彼女のうしろには、ウェディングドレス姿……のうえから樫山のジャケットを羽織った姿の山岸真琴が立っている。


「あ、ああ、ごめん。乗るよ」そう二人に謝ると樫山は、エレベーターへと乗り込み、彼女たちの後ろ、いちばん奥の壁際の位置に立った。


     *


 ちなみに。


 “京”という単位は“一兆の一万倍”を意味するので、そのナントカとかいうイタリアチームの計算結果が確かなものであれば、この宇宙には1000兆の4万倍の恒星質量ブラックホールが存在することにな…………ってマジか!!


 え?本当に?…………ああ、確かに。


 この論文だとそうなってるね…………。


 って、でも、これって、宇宙の物質の1%ほどは何処かのブラックホールに飲み込まれてるってことになっちゃうんじゃないの?流石にそれは…………え?なに?話が逸れに逸れている?…………あ、ごめんなさい。つい熱くなっちゃって……。


     *


 で。


 えーっと……つまり。


 この時、詢子のマンションのエレベーターのなかで樫山泰仁は、目の前に立つ自身の妹と後輩の背中を見比べながら、次のように考えていたわけだ。


『それだけ多様な宇宙が産まれる可能性があるのなら、山岸もウェディングドレスなんかじゃなく、それこそタキシードとかで現れてくれれば良かったのに』


 ……と。


     *


「ちょっと漱吾、なに見てんのよ?」と、佐倉伊純が言い、


「だって、こういうのも必要だろ?」と、三尾漱吾は返した。


 ここは千駄ヶ谷にある低価格・高品質が売りの某大手アパレルショップ…………の婦人下着コーナーである。


「たしかに必要かも知れないけど、あんた一人で見てたらただの変態よ?」と、伊純は続けたが、


「大丈夫だよ、どうせ誰も見てないから」と、そんな彼女の忠告もどこ吹く風の漱吾である。


「それより、こんなのどう?」と彼は、そのショップでは珍しい生地少なめレースフリフリの上下セット (ワインレッド色)を指すと、「真琴ちゃんに似合いそうじゃない?」と言ってニヤケた。


 すると、このアホウのようなニヤケ面に明らかな嫌悪感を示しつつ伊純は、


「それはアンタの趣味でしょ?」と言って他の下着類に目をやった。「もうちょっと落ち着いた色と形……あ、しまった」


「どうした?」


「下着のサイズ訊くの忘れてた」


「いや、あれはEはあるんじゃないか?」


「だから、それはアンタの趣味でしょ?女の子にはいろいろあんのよ」


「あ、なら、オレ訊こうか?」と漱吾が、ポケットからスマートフォンを取り出しながら言ったので、


「ダメダメダメダメ」と、急いで彼を止めると伊純は、「それこそセクハラになっちゃうわよ」と肩にかついだバッグから自身のスマートフォンを取り出しつつ言った。「私が訊くから、アンタは余計なことしないの」


     *


 ピロン。


 と、テーブルの上のスマートフォンが鳴り、それを見に来た詢子は、「ああ」と一声つぶやくと、キョロキョロと兄の姿を探した。


 ――うん。ちょうど席ははずしているようね。


「ねえ?真琴さん?」と詢子は、出来る限り明るい声と口調になるよう注意しながら、リビングの窓辺に立つ花嫁に呼びかけた。「いま、大丈夫?」


 すると、そう問われた山岸真琴は、手にしたスマートフォンをドレスのタックポケットに戻しながら、「はい?」と訊き返した。


「電話とかメールとか?」と、詢子が訊き、


「あ、いえ。大丈夫です」と、真琴は答えた。「現場のほうはマネージャーさんがうまくまとめてくれたみたいで」


「あー、大変だったんじゃない?」


「あ、撮影自体はほぼ終わってたらしくて」


「不幸中の幸い?」


「不幸中の幸い?……ですかね?」


「きっとそうよ」


「そうだと良いんですけど……」


 と、ふたたび真琴が窓のそとを見ようとしたので詢子は、またふたたび、出来る限り明るい声と口調になるよう注意しながら、「あ、それでね」と言った。


「いま伊純からメールが来たんだけど、下着のサイズとどんなのが良いか教えてくれって」


「下着?」


「そうそう。ほっとくと漱吾が…………なんかエッチなのを選ぼうとするらしいのよ」


「あ、でも……」と、ここですこし戸惑いながら真琴。「あの、ほら、上はいらないですし、下もボクサーパンツとかで良いですよ?」


「いらない……?」と、真琴の胸のあたりを見ながら詢子。


 ――私もスポブラだけど、それ、Dはあるわよね?


 すると、そんな詢子の視線に気付いたのか真琴は、「これ、撮影用ですよ?」と言って笑った。


 なるほど。


 たしかにホルターネックのドレスなので肩や背中を大胆に見せてはいるが、胸のあたりはふくらみがあるだけで中身はまったく見えていない。


「なるほど」そう詢子はうなずき、「さすがにプロは違うわね」と言って、真琴に合わせて笑った。


     *


「はい。残念」と、詢子からの返信メールを読みながら伊純。「真琴さんも詢子並みにないんだってさ、だからブラはなくても…………って、そんなあからさまに残念がらなくても良いじゃない」


 とまあ、伊純がため息交じりに言うのも無理はないであろうが、それほどまでにこの報告を聞いた三尾漱吾の落胆ぶりは大きなものがあった。


「なんで女はいつもそうなんだよ……」と、この世の終わりのごとくに漱吾。


「別に女がみんな盛ってるってわけじゃないわよ。真琴さんだって撮影用に盛ってたってだけで……」


「だってさ、サキもマナもカオリも……」


「それはアンタが胸だけ見て女の子を選ぶからでしょ?」


「あー、もー、真琴ちゃんは違うと想ったんだよ!!」


 と、全国の迷える男性の苦悩・煩悩・懊悩を一身に背負うかのようなテンションで漱吾は叫びかけたが、もちろん全国一般の迷える子羊たちとは違うのが三尾漱吾という男である。


 この一瞬後、彼は不意に悩むのを止めると、


「詢子ちゃん並みにない……?」と、若いころのブラッド・ピットをそこはかとなく連想させるようなステキな (?)瞳で伊純のほうを向くと、


「詢子ちゃん並みにない?」と、大事なことはくり返して訊くようにとの初めて入った会社の上司に言われた言葉を想い出しそうになりながら――結局想い出さずに――訊いた。


「う、うん」と、そのイケメン顔にすこしたじろぎながら伊純。「まあ、あの子よりはちょっとはあるかも知れな…………なによ?」


「ふーーん?」


 と、この時、彼の灰色だかドブネズミ色だかグリズリー色だかの脳細胞がどのように動いたかはまったくもって不明だが、その後、ほんのコンマ数秒、彼はお店の蛍光灯に目をやっていたかと想うと、まるで思春期真っただ中の少年のような顔になると、


「それはそれで――」


 と、言ってほほ笑…………ごめん。やっぱコイツ、キモイは。



(続く)

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