第五話:ネコとクジラとユリノキ台のひょこひょこおじさん(その13)
「服選びまで付き合ってくれてありがとね」
と、中谷あきら (25)が言い、
「ほんとは付き合ってくれなくてもよかったのよ」
と、言葉のなかのトゲを隠すフリもせずに佐々木百合子 (27)は続けた。
「あきらと私でしっかり選べますから」
「ちょっとユリ。先生も言ってたでしょ?」
「分かってるわよ、ちょっとイジワルしてみたくなっただけ」
「ゴメンね、マコト」
そうあきらは言ったが、それでもやはり、そんな二人のやり取りに山岸真琴 (28)は、自分ではどうしても入って行けない場所があることを改めて感じ、
「うん。大丈夫だよ」
と、言葉のなかのトゲを必死に隠しながら応えた。
「百合子さんのキャラもだんだん分かって来たし」
「どういう意味よ、それ?」と、百合子。
「深い意味はありませんよ」――うん。やっぱり隠しても隠し切れないみたいだ。「強いひとでよかった……ぐらいの意味ですよ」
そう言われて百合子は、真琴が必死で隠そうとしているトゲに気付いたのでもあろうか、
「ふん。そうでしょうとも」
と、ワザと滑稽味を帯びせながら言った。
「男にも、もちろんその辺の女にも負けないからね、私は。――ひとの親になるんですもの」――最後のは彼の前では余分だったかしら?
「ほんと、強いひとでよかったですよ」
そうふたたび真琴はほほ笑むと、そのほほ笑みを百合子ではなく昔の恋人に向けようとしたのだが、それをすれば多分に、昔に戻りたくなってしまうのは自分だろう――と、そんな当たり前のことに気付くと、そのほほ笑みを、遠くに見えた信号機の――緑から赤に変わろうとしている信号機の――向こう側へと移動させた。
「それで?」
と、そんな彼の表情に気付いてしまった百合子が、なかば反射的に、彼に訊いた。
「次はどうするの?」――よかった。あきらは気付いていないようだ。
「次?」と真琴が訊き、
「ああ、そうね」と、百合子の手を取りながらあきらが言った。「次も来てよ」
「え……っと?」
と、すこし戸惑いながら真琴が考えていると、
先ずは百合子が、
「次の検診よ」
と言い、
続いてあきらが、
「そろそろ分かるわよ?」
と言った。
「分かる?――なにがですか?」
「あー、もー、にぶいひとね、別れて正解よ、あきら」
「ちょっと、そういうこと言わないでって言ってるでしょ?」
「ごめんなさい。ほんとうに何のはなしですか?」
「あのねマコトくん?つぎの検診で14週目なの」
「だからそろそろ分かるのよ」
「だから何が?」
「もー、性別よ、赤ちゃんの」
「男の子か女の子かわかるの」
*
「先輩?」と森永久美子 (24)が言い、
「なによグリコ?」と、黒焦げになったジャガイモをジッと見詰めながら樫山詢子 (27)は返した。「伊純からの連絡ならまだないわよ?」
「いや、それは気長に待ちますけど」と、グリコ。
詢子が引き起こした台所の惨状はどうやらジャガイモだけに止まらなかったらしく、彼女の顔には疲労の影が大きく映り、頬には何か赤色のソースが付いたままである。
「じゃあ待ってよ」と詢子。
「ええ、待つんですけどね」
「うん?――なにが言いたいの?」
「やっぱりなんですけどね」
「うん?」
「この“キウイとパパイヤ・マンゴー味”…………マズ……微妙ですね」
*
「樫山?」と三尾漱吾 (31)が言い、
「なんだ?」と、鍋と食器を洗いながら樫山泰仁 (31)は返した。「みそ汁もごはんももうないぞ?」
「あ、いや、それはもういいんだけどさ」
「ったく、あるだけぜんぶ食べやがって」
ちなみに。
漱吾が食べ切ったのはどうやらクジラ汁やごはんだけではないらしく、各種漬け物類から缶詰類、明日の朝食パンケーキ (泰仁の作り置き)にまで及んだらしく、彼の顔には大変満足そうな色が浮かんでいる。
「いまフッと想い出したんだけどさ」
と、漱吾は続け、
「なにを?」
と、明日の朝食に悩みながら樫山は訊いた。
「この前見付けたポテチがバカウマでさ」
「ポテトチップス?」
「そうそう」
「へー、何味だったんだよ?」
「えーっとな。“まずい!青汁!フルーツミックス”――みたいな味だった」
*
「おや?」と、ある時ある海ある船のうえである老人が言った。「連れの先生は眠ったのかね?」
すると、そのある時ある海ある船のうえにいたある女性は、「ええ、そうなんですよ」と言って応えた。「なんやかんや話してるうちにグッスリですわ」
「あんたは大丈夫なのかね?」
「あたしはホラ、元気ですから」
それから老人はいちど“先生”の寝顔を確かめてから、彼女にたばこをすすめてみたのだが彼女は、
「すんません、だいぶ前にやめてまして」
と、いつものはにかみ笑顔で応えた。
「いやいや、別に構わないがね」
「お気持ちだけありがたく頂いときます」
「吸ってもいいかな?」
「どうぞどうぞ」
そうして老人はたばこに火を点けると、神戸と大阪に移った二人の息子の話を始めた。
「上のとはもう八年、下のとももう六年会ってなくてね――来年の正月には帰って来るかも知れないけど」
いや、一度だけ帰って来たことがあったな。と老人は言った。上のが神戸に来いと言ってくれているが自分の家でないと生きた心地がしないし。とも。
「海も、違うからね」
たばこの小さく燃える音がして、彼はゆっくりとそれを吸った。
水平線の向こう側に見える星空を眺めている様子だったが、星がきらめいたせいだろうか、ふと出しぬけに、
「しかしアンタら、なんでこんなところに?」
と女性に訊ねた。
取材がどうこう言っていたらしいが、最後まで付き合う必要もないだろう?と。
そう訊ねられて女性は、すぐに本当のところを答えようとしたのだが、しかしそれではあまりに失礼に聞こえるかも知れないと想いなおすと、
「いや、ほんまにただただ取材ですよ」
と、ふたたびの笑顔で応えた。
「あとは、そこの先生の気分転換ですね」
キューイ。
と、“大将”の泣く声がした。――ような気がした。
“ウソを吐くな。”
と、言っているようだった。――そんな気がした。
老人もそろそろ眠りに落ちようとしている。
たばこの残り火が星のように見える。
女性は正直な返答の代わりに、ある作家 (注1)から教えてもらったという奇妙な歌を――誰にも聞こえない声で――口ずさんでみた。
*
So long and thanks for all the fish.
So sad that it should come to this.
We tried to warn you all but oh dear.
If I had just one last wish.
I would like a tasty fish.
If we could just change one thing.
We would all have learned to sing.
So long, so long, so long, so long, so long
So long, so long, so long, so long, so long
So long, so long and,
Thanks for all the fish.
*
かたわらから聞こえる“先生”の寝息が、ちょっとばかり、かわいそうな気がした。
(続く)
(注1)
2001年5月11日に亡くなったイギリスの脚本家、SF小説家。ファンの間での愛称は“DNA”。
本文で引用した歌は彼の死後公開された映画の主題歌なので、女性が本当に彼から教えてもらったかどうかは不明――だが、彼女ならあり得ない話ではない。




