第五話:ネコとクジラとユリノキ台のひょこひょこおじさん(その12)
「これ、やっぱり生焼けじゃないですか?」
そう訊きながら森永久美子 (24)はコップの水をひと息に飲んだ。オーブンから出したナントカとかいう重ね焼きのナスとジャガイモが生焼けだったからである。
「でもクッ○パッドに書かれた時間通りに焼いたわよ?」
そう答えながら樫山詢子 (27)はボールに入れたきゅうりとにんにくに市販のヨーグルトをドボドボドボッと加えた (注1)。
「でも、だって明らかに生って言うか固いって言うか――」
「そんなことないわよ、レシピ通りなんだもん」
「じゃあ、先輩も味見して下さいよ」
「もう、ちょっとスプーン貸して…………ほら、ぜんぜ……うん。生焼けね、これは」
「ちょっとタブレット見せてもらえますか?」
「なによ?信用してないの?」
「だって出来たものが出来たもの……フライパンって使いましたっけ?」
「え?だってミートソースもホワイトソースもパスタ用のを使いまわしたから――」
「これ、ナスとジャガイモは先に一度焼くことになってますよ?」
「うそ?切っただけじゃだめなの?」
「……オーブンて予熱しました?」
「え?!……あー、ほんとだ……予熱ってどうやるんだっけ? (注2)」
「ちょっと待って下さい……さっきのヨーグルト」
「ヨーグルト?」
「ドボドボドボッて入れてましたけど、水切りは?」
「……水切り? (注3)」
「水切りするよう書いてますよ?」
「ウソ?どこ?」
「ほらこ…………なんか焦げ臭くありません?」
「ほんと……なんだろ?」
「レンジ!」
「レンジ?」
「ジャガイモから煙が!!」
「うそ?!」
「な、なんで?」
「だって伊純も前やってたよ?時短になるからって!! (注4)」
*
「うん。よく出来てる。うまいよ、これ」
そう言いながら三尾漱吾 (31)は、みそ汁椀の中から再びうす切りにしたクジラ肉をつまみ上げた。「――肉の量が少ないのが残念だけどな」
「クジラのみそ汁なんて初めてだったけど、肉自体に塩気があるから夏には持って来いだな」
と、こちらは汁をすすり込みながらの樫山泰仁 (31)。「新潟の郷土料理ってことは、北前船の影響とかかな?」
「“キタマエブネ”ってなんだっけ?」
「中学で習ったろ?」
「そんな昔のことは覚えちゃいない」
「じゃあ後で調べろ」
「そんな未来のことは分からない」
「……ったく。ザクッと言うと、江戸時代とかに北陸と西日本を日本海でつないでいた船のルートだよ」
「へー」
「だから多分、西日本で獲れたクジラを塩漬けにして、北前船で運んで、それなら山間の土地でも食べられるようになるだろうから……それを夏場の栄養食として食べて……で、あの辺の郷土料理として定着……ぐらいの流れじゃないかな?――どう想う?」
「あ、ごめん。聞いてなかった」
「――ったく」
「まあでも、取り敢えず、この汁はうまいよ。――クッ●パッド様さまだな」
「ほんと、あれ見ながらならなんでも――」
と言いかけて樫山は、何故か妹・詢子のことを想い出し掛けたのだが、まあそれは一旦無視することにして、
「――なんでも作れるような気がするよ」
と言った。
――なんて言うか、こちらの料理は上手くいって良かったですね。
「ほんとはナスやミョウガも欲しかったけどね」
――その辺の割り切りは樫山さん上手ですよね。
「ある道具と材料で出来る範囲でやるのが料理の骨法だからね」
――それ、妹さんにも言ってあげたら?
「ああ、あいつには言っても分かんないと想うよ?」
――なんで?
「伊純くんが作ってるのずっと横で見てるからさ」
――ああ。
「自分も出来るって想い込んじゃってるのさ」
――そういうひと結構いますよね。
「あ、そう言えば伊純くんは?」
*
「右手?」
と、ソファから起き上がりながら日向康花 (29)は訊き返した。彼女の前には手洗いとうがいを終えた息子の和康 (6)が無表情な顔をして立っている。
「だれの右手がどうしたのよ?」
彼女のこの質問に対して和康は、その無表情を崩しもせず、
「“マーリン”の右手だよ」と答えた。「アーサーがくわえて持って来たんだ」
「“アーサー”?」と、和康のうしろから佐倉伊純 (29)が訊き、
「近所のボーダーコリー」と康花は応えた。
そうしてこんどは彼女が、
「――“マーリン”になにかあったの?」
と、和康に訊き、
「わるいおんなの子に連れて行かれて、大きな岩のしたに埋められちゃったんだ」
と、息子は答えた。
「右手だけが外に出ててさ、それをアーサーがくわえて来て、それで“マーリン”が――」
「ちょっとオデコ出してごらん」
康花はそう言うと手を伸ばし、和康の額にさわった。
「ちょっと熱があるのかな?――すぐパジャマに着替えてベッドに入ってなさい」
「でも“マーリン”が――」
「分かった分かった。食事はおかゆさん作って持ってってあげるから、“マーリン”の話はそのとき聞いてあげるわ」
「でも“マーリン”が――」
「分かっ――」
と、康花はすこし怒鳴りそうになったのだが、そんな自分を誰かが残して行った“右手”で抑えると、
「うん。でもね――」と続けた。「アンタが風邪ひいたら“マーリン”も悲しむでしょ?だから、いまは着替えて、ベッドに入ってちょうだい」
すると和康は、まだ何か言いたげではあったが、手にした“マーリンの右腕”を確かめてから、
「分かった」
と言ってうしろを向いた。
部屋を出て行こうとする彼に向けて、
「ごめんね」
と康花は言った。
「おかゆ出来たら、持ってってあげるから」
(続く)
(注1)
一般的なヨーグルトは動物のミルクを発酵させて作るわけだが、ギリシャヨーグルトはその後に「水切り」という行程を加える。
この水切りを行なうことでホエーや水分などが除去され、あの濃厚な味わいのするヨーグルトへと変化するワケであるが――え?なんでこんな注釈が必要かって?
それは (注3)を読めば分かります。
(注2)
詢子さんちのオーブンは料理上手だった元旦那 (ゲイ)が購入したもので、予熱機能付きの結構高価なオーブンレンジだったりします。
だからね詢子さん。温度設定の前に「予熱あり」を押すだけでよかったんだよ?
(注3)
『ザジキ』とは、ギリシャ料理の前菜の一つで、要はキュウリとニンニクとヨーグルトのディップソースである。
ディップであるからして、キュウリの水分は絞っておかないとベチョベチョになるし、ヨーグルトも水分の少ないギリシャヨーグルトを使う必要がある。
もちろん市販のヨーグルトでも代用は可能だけれどそのためには……ね? (注1)の注釈が必要だったでしょ?
(注4)
時短のためにレンジなんかで芋類を焼くことは全然ありだが、水分が少ない芋類をそのまま加熱すると水分が蒸発し切ってコゲることがままある。
モノによっては最悪発火することもあったりするので、芋類は一度水にくぐらせ、さらにラップで包んで水分が逃げない状態で加熱するとよいでしょう。




