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第五話:ネコとクジラとユリノキ台のひょこひょこおじさん(その4)

 三尾漱吾 (31)はひさしぶりに感動にうちふるえていた。


 もちろん。


 男の子だから涙が流したりはしていなかったものの、それでも心のなかでは『これは涙が流れてもおかしくないなあ』という風には感じていた。


 ただまあそれでも。


 三尾漱吾は三尾漱吾なので、いつもの彼のわるいクセで、映画の途中で何度か居眠りしそうになったり全然べつのこと (注1)を考えていたりはした。


 がしかし、


 彼は結局最後までこの映画を観ることが出来た。――観てよかったと想っていた。


 ひざのうえではこの家の飼い猫フェンチャーチ (メス、1才7ヶ月)が気持ちよさそうに眠っていて、足がそろそろしびれかかっている。


 が、それもいつもの彼ならば、そんな彼女の首根っこをつかんででもひざから引きはがすところだっただろうが、この映画を観たあとではそうはいかない。


 彼は彼女を起こさないように気を付けながら、テーブルのうえに置かれたこの映画のブルーレイパッケージを手に取ってみた。――1,500円ぐらいなら買って自分の家に置いておこうと想ったのである。


「なるほど『パンドラ』という名の惑星だったのか――」と彼は想うと (注2)、“あなたが見える”という愛の言葉を想い出し心のなかで涙を流した。


 そうしてそれから、この映画監督の代表作に目をやってから、


「ええ?!」


 と、驚きの声を上げた。


 するとこの声に、先ずはフェンチャーチが飛び起き逃げ出して、


「どうしたのよ?いきなり?」


 と、となりに座っていた樫山詢子 (27)がいぶかしそうな目で彼を見た。


「これ『タイタニック』と同じひとなの?!」


 ――あー、ね。うん。やっぱそう想うよね?


「なんだ、知らなかったの?」と、特典映像画面に切り替えながら樫山泰仁 (31)が言い、


「まあ確かに、なんか全然ちがう映画ですもんね」と、山岸真琴 (28)が続け、


「ってか『タイタニック』は観たことあったんだ?」と、詢子が訊いた。「あっちのほうが長いぐらいじゃない? (注3)」


「うーん?都合10回以上は観たんじゃないかなあ?」


「そんなに?」


「ユリカさんがこの映画好きでさあ――お家デートのときは毎回見せられてた」


 ちなみに。


 ユリカさんとは漱吾が大学生のときに半年ほど付き合った年上のお姉さまで、『タイタニック』直撃世代だった彼女は、ビデオやLDはもちろん、1999年にDVDが発売されればそれを買い、2005年にリマスターDVD三枚組セットが出ればそれも買い、漱吾と別れたあとの2012年にもブルーレイ (2D&3D)が出ればそれも買うというほどの熱心なファンで (注4)、この時期の漱吾の頭が金色だったりブルーのカラコンを入れていたりしたのは彼女の指示によるものであった。というか、彼女は彼女で髪を赤く染めていたりした。


 ――まあ、男もまた女によって変わったりするからねえ。


「でもほら、俺ラブストーリーとか苦手じゃん?」


 ――そうなの?


「だからやっぱ途中で寝ちゃってさあ」


 ――あー、長い映画だしね。


「で、バイオリンのひとが沈んで行くところらへんで起きるの」


 ――ちなみに、寝始めるのはどこから?


「あー、なんかポーカーで船のチケットゲットするとこらへん」


 ――それすっげえ序盤じゃん。


「だって、眠くなるんだもん」


     *


 日向家のリビングには、多分子ども用なのだろうか小さな、だけれど頑丈なつくりの本棚が置かれてあって『はらぺこあおむし』だとか『ふたりはともだち』だとかといった子ども向けの絵本や幼稚園~小学校低学年向けの学習ドリルなんかが置かれていて、佐倉伊純 (29)は、それらの背表紙を見るともなしにながめていたのだが、やがて座っていたグレーの座椅子からゆっくりとひざ立ちをして立ち上がった。――本棚のうえに置かれた小さな文庫本に気付いたのである。


「しかし、今日はほんと暑いわね」と、リビングと隣接したキッチンから日向康花 (29)の声がした。「氷どうする?」


 その声に伊純は、彼女のほうを振り返ると「いいよ、3つぐらいで」と、ちょっとぶっきらぼうな感じで言った。「それよりも早くもどって来て」


 それから彼女は、本棚のほうに向きなおろうとしたのだが『島とクジラと――』という文庫本の背文字が――その一部が読み取れたことに安心したのだろうか、そこでくずおれると、そのままブルーのソファの、さきほどまで康花のおしりが寝そべっていたあたりに、


 ポスッ。


 と、その頭を預けることにした。


 それから、数分だろうか数時間だろうか伊純は、ちょっとの間、海の中を往くクジラだかイルカだかのことを想い出そうとしていたのだが――、


「動くな!」


 という康花の声で現実に連れ戻されることになった。


 彼女は彼女で、サスペンス映画の刑事よろしく、右手の人さし指で伊純を狙いながら、


「お前は完全に包囲されている!」


 と言って笑っている。


「お前の仲間もみな捕まった!」


 そんな彼女の笑顔に伊純も笑って答えると、ずっとむかし、双子の片割れと見た奇妙なSF映画を――その主題歌を想い出しながら、


「私、お酒はそれでおしまいよ」と言った。「夕方にはもどらないといけないんだから」


「泊まればいいじゃん」


 そう言いながら康花は進み出ると、伊純の頭にハイボールのコップを載せつつ、彼女の顔の真横にその小さなお尻を置いた。


「さすがにそれはちょっとね」と、頭のうえのグラスをたぐり寄せながら伊純。「明日は午後から仕事だし、お泊りセットもないし」


「いまもあのナントカってホテル?」


「ううん。そこの系列の別のレストラン。四ツ谷のほうね」


「漱吾先輩の職場のちかく?」


「あー、いや、けっこう遠いかな?こっちは市ヶ谷寄りだから――漱吾の話ってしたっけ?」


「ツイッターかなにかで話したじゃない」


「そだっけ?」


「で?あの人いまでもイケメンなの?」


「あー、まー、イケメンはイケメンね」


「で?いまでも女ったらしなの?」


「あー、いや、それでも結構落ち着いて……いないわね。この前も韓国だか台湾だかの子とくっついて別れてたから」


「国際交流華やかなようで」


「外国のひとの方が言葉が通じない分“アレ”のバカさに気付くのが遅いんじゃない?」



(続く)


(注1)

『昨日食べたパストラミは美味しかったなあ』とか『樫山が東子ちゃんにほれてるのってやっぱオッパイのせいだよな?』とか、そーいうどーでも良いようなこと。


(注2)

 白状すると、筆者もパッケージを見て確認した口である。――情報量つめ込みすぎだよ、キャメロンさん。


(注3)

 ちなみに。

『アバター』の上映時間は公開版で162分、完全版だと178分もあるが (この日の彼らが観ていたのは“公開版”)、『タイタニック』はそれよりも更に長くて194分もある。

「ちょっと気分転換に映画でも観ようかしら」的に観始めると大変なことになるので、ほんと注意が必要なのですよ、キャメロンさん。


(注4)

『ブルーレイ (2枚組)』や『3D・2Dブルーレイスペシャルエディション (4枚組)』などももちろんのこと、『劇場公開10周年記念/セリーヌ・ディオン来日記念版』なんかも持っていたりするのだから本当に本物の筋金入りである。


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