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第五話:ネコとクジラとユリノキ台のひょこひょこおじさん(その3)

 それから15分ほどして、佐倉伊純 (29)と日向康花 (29)を乗せたワンボックスは、日向家真下の駐車場に停まった。


「ほんとはうちの駐車場が使えれば良いんだけどさ」と康花は言うと、丘を削って出来たという住宅地の急坂を慣れた足取りで上って言った。「私の運転じゃ危ないし、この車じゃ小さいしね」


「でも、いい景色じゃない」と、そんな康花の後を上りながら伊純。「都内じゃこんなの無理よ――もちろん一軒家もね」


「ま、それもそうだけどさ」そう家のカギを取り出しながら康花は答えると、「さ、どうぞお入りください」と言ってスマートキーのドアを開けた。「――イスミお嬢さま」


     *


「違うよ」と、ソファのうえの細い足を組みかえながら康花が言った。「いじったのさ、ほんとは」


「でも、彼女のお母さんにそっくりだって聞いたよ?」と、伊純。彼女は彼女でグレーの座椅子の上に両ひざを立てた格好で座り、手には二杯目となるハイボールを握っている。「なんとかって子が彼女のお母さんの写真を見せてもらったって言ってた」


「だから、それもそうなんだって」と、両手で両目をおさえながら康花。「あの子のお母さんが、自分と同じかたちの鼻と口にあの子の鼻と口を変えたのさ」


 それから彼女は、テーブルのうえに置いておいたグラスを飲み干すと、「お代わりは?」と訊いた。


「見なよ」と、グラスを上げて見せながら伊純。「まだまだ全然残ってる」


 しなびたサラダのせいか少し濃いめのハイボールのせいかは不明だが彼女たちは、かつての高校時代、同じ部活で同じ時間を共有したクラスメート特有の、おそらく彼女たちでなければ通用しない口調と文法と文脈でもって語り合っている様子である。


 と言うよりも、彼女たちには、単なる同じ部活のクラスメート……という以上の繋がりがあった。


「それで……なんの話だったっけ?」


「シオリのことでしょ?サトウ・シオリ」


「そうそう。麗しきシオリお嬢さまの鼻と口のお話」


「あの子も双子を狙ってたって知ってた?」


「どっちの双子よ?」


「私たちとは付き合ってないほうの双子」


     *


 彼女たちは一時期、同じ遺伝子を持つ男性たちと同じタイミングで恋に落ちていたのである。


 康花は2006年、彼女の二年生の年に、駒場図書館の3階で新聞の縮刷版を読んでいた双子の兄のほうに目をうばわれ、自分から彼に声をかけた。


 そうして伊純のほうも、これと同じ年の同じ月の、実は同じ日のほぼ同じ時刻に、下北沢のとある薄汚れた中華料理店の片すみで、その彼の双子の弟――とは言っても12分ほど母親の胎内にいる時間が長かっただけだが――と相席させられていた。


 それというのも、この薄汚れた中華レストランは当時、ある時刻になると、近くのシェルターから名もなき詩人たちの群れが押し寄せて来て、大変な混雑を極めることになっていたからである。


     *


「でもさ、華麗なるシオリお嬢さまは結局、貧乏な双子の――兄だか弟だかは忘れちゃったけどさ――とのお付き合いはあきらめて“親の決めたつまらない相手と結婚させられることになったの……”」


 と、件のお嬢さまの口真似をしつつ康花。


「そう言えば短大出てスグぐらいだったっけ?彼女が結婚したの」


「そうそう。アンタ、あの子の結婚相手知ってる?」


「写真なら見たわよ、年賀状かなんかで」


「あのお嬢さま、クラスメート全員に送ってんのよね、いまも」


「人さまのダンナ悪く言うつもりはないけどさ、アレはツライわよね」


「ツライどころか、八嶋智人さんを太らせて小汚くした感じだもんね」


 ブッ。


 と、飲みかけていたハイボールを吹き出しながら伊純。


「分かる」


 そして、ひざに乗せていたタオル地のハンカチで口をぬぐってから、


「“怪物くん”に出てたころのでしょ?」


 と言って再びハイボールに戻って行った。


「グラス貸して」


 そう言って康花はソファを降りると、主人にすり寄るネコのような格好で伊純のグラスに手を伸ばそうとしたが、


「だから、まだ残ってるって」と、グラスを避難させつつ伊純が返し、


「私の分を作って来るのさ」と、康花も答えた。「いっしょに作ったほうが手間が少ないだろ?――このピアスかわいいわね」


「これ?」と、右手の二本の指で右の耳たぶを指しながら伊純。「ずっと付けてんじゃん――それこそ瑛さんとさ」


「そだっけ?」そう言って康花は、ほそながい右手で伊純のグラスをそっと盗むと、「じゃ、作って来るね」と言って彼女の耳たぶに軽いキスをした。


「ちょっと!」と、ハンカチで耳たぶをふきながら非難めいた口調で伊純が言うと、


「分けてもらったのさ」と、こんどは投げキッスの形を取りながら康花は答えた。「私には、そういうの残してくれなかったからね」



(続く)

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