第三話:江崎と森永(その14)
さて。
この日の夜、森永久美子 (24)は大層久しぶりに夢を見た。
その夢は昔よく行った場所が舞台で、しかも二本立てだった。
ひとつ目の夢のなかで、グリコは夜遅く、彼女の地元を流れている白子川の川沿いを歩いていた。
別荘橋のたもとまで来ると、そこの小さなほこらの前にブヨブヨというかフヨフヨというかブヨンブヨンとした体の、青だかピンクだか黄色だか白黒だかした色のクラゲオバケみたいなかっこうの不定形生物がいて、親し気に彼女に手をふってきたので、グリコも彼 (彼女?)に手を振り返した。
するとそいつは、ポヨポヨというかヒョヒョヒョヒョというかピョピョピョピョピョッというような音を出しながらグリコのほうへと飛んで来た。
「アノオ、スミマセン」と、彼 (彼女?)は言った。「チョットオタズネシマスガ、コノヘンニ……」
すると、そんなクラゲオバケのカタカナ台詞を聞いた瞬間グリコは、
『いきなりこんな三文SFみたいな生物が目の前に現れて、しかも日本語で声をかけてくるなんてシチュエーションは大変にめずらしいことだけれども、そのわりに私はぜんぜん驚いてもいないし、スマホで写メったり手帳を出してメモやスケッチを描いたりもしないどころか悲鳴もあげず気を失ったりもしていないので…………多分にこれは夢ですね。……実家の近くだし』
みたいなことを、0.05秒ほど――まあ、夢の中なので時間の概念なんてあってないようなものだけれど――考えて納得したのだが、そんなグリコの思考はさておきつつクラゲオバケの話は続いていた。
「――ミタイナ格好ヲシタ最近チョット太リ気味ノ赤毛ノめす――ア、アナタト同ジひゅーまのいどノめすナノデスケレドモ――ヲ見カケタリハシマセンデシタカ?」
「あー」
とここでグリコは、“赤毛”の部分で『シグナレス』のウェイトレスを想い出しかけたのだけれど、その前の“最近チョット太リ気味”の部分で“きっとまた違う赤毛の人なんだろうな”とも想ったので、
「すみません。わたしもいまここに着いたばかりでして」と、すこし困った顔をしつつ返した。
――実際、ここの夢にはいま来たばかりですし。
「アア、ソウナンデスカ。実ハ私モ、ツイ先ホドコノ時間帯ニ着イタバカリデシテネ」
「はあ」
――どうでもいいけど、このカタカタ言葉って読みにくいですね。
「ト言ウノモ、ソノ赤毛ガたいむぼっくすノめんてヲさぼッテ整備費モけちッテイタセイデ現時ニ不時着シチャッテ、シカモ着イタ途端ニ扉ガばたーんト開イテ放リ出サレチャッタンデスヨ、私」
「はあ」
――タイムボックス?
「ココニ来ル前ハ紀元前608……9年ダッタカナ?ノあてないニイタンデスガネ――」
「はあ」
――アテナイ?
「本当ハ“めぎど”ッテ丘ノ上デノ人命救助ガ待ッテイタンデスガ、ソノ整備不良ノセイデぼっくすガあてないクンダリニマデ行ッテシマッタンデスヨ――」
「はあ……」
――整備費用って個人払いなんですか?
「ナンカ、新シイ隊長ガオ金ニ厳シイ人ラシクテ――」
「へえー」
――夢にしてはまた世知辛い話ですね。
「ソウ言エバソコデネ、ソノ赤毛ガたいむぼっくすヲ修理シテイル間ニ、変ナおっさんガ私二話掛ケテ来タンデスヨ――」
「はあ」
「タシカ、“えひめです”トカッテ名前ダッタンデスケド――」
「“愛媛です”?ギリシャなのに?」
「ホントニ変ナおっさんデ、いきなり“くれた人ハミナうそツキデアル”トカ言ウンデスヨ」
「はあ」
――どっかで聞いたお話ですね。
「デモ、コレ少シオカシイデショ?」
「なんでですか?」
「ソノ“えひめです”ッテ人モ“くれた”ノ出身ダッタンデス」
「ああ」
――やっぱり、どっかで聞いたお話ですね。
「ツマリ、コノおっさんノ言ッテイルコトガ本当ダトシタラ、コノおっさんモうそツキジャナイトイケナイデショ?」
「……ですね」
「デモ、ソノ“うそツキ”ガ“本当ノコト”ヲ言ウノッテ矛盾シテルデショ?」
「あー、うん?……まあ、そうですね」
「デ、逆二、コノおっさんノ言ッテイルコトガうそダトシタラ、“くれた人ハミナ正直”ナハズダカラ、コノおっさんガ“うそヲ言ッテイル”コトト矛盾シチャウデショ?」
「うん?あー、そう?…………ですかね?」
「オカシクナイデスカ?」
「たしかに言葉だけ取ると矛盾してはいますけど……でも」
「デモ?」
「あー、その、ほら、だって、その“クレタ人はみなウソつきである”って言葉と、実際にそのひとが吐くウソやホントは、また意味がちがう?……っていうか、レベルのちがう言葉じゃないですか?」
「???……ドウイウコトデスカ?」
「例えば、“わたしはこれからウソを吐きます”ってひとがいたとしますよね?」
「ウン?」
「そしたら、その“わたしはこれからウソを吐きます”って言葉自体は普通に話半分で信じるじゃないですか?で、信じたうえで、そのあとの話は『いろいろ言ってるけど、多分ウソなんだろうな』って想いながら聞く」
「ウ……ン?」
「だから、“クレタ人はみなウソつきである”ってクレタの人が言ったとしても、『ああ、じゃあ、これからこの人の話す話は話半分で聞いておこう』って想って終わりなんじゃないですか?」
「アア……ナルホド」
「でしょ?」
「“めっせーじノ読ミ方ヲ指示スルめっせーじ”ダッタッテコトデスネ?」
「そうそう。うまいこと言いますね」
「ナンダあなた、頭イインデスネ」
「まあ、時々言われます」
――自分のことについては鈍いんですけど。
「ナルホドネ。話ノ聞キ方ヲ伝エルタメノ話ダッタッテ想エバ良カッタノカ」
「多分、そうなんじゃないですかね」
「例エバ、“真剣ナ話ナンダ”ッテ言ワレタラ、真剣ニ聞イテアゲナイトイケナイノトカト一緒デスネ」
「まあ……そうですね」
――なんだ、やっぱりこれって私の夢の中なんですね。
と、ここでグリコはそんな当たり前のことに改めて気付いたのだが、まるでそれに合わせるかのように、
ギギギギギギギギギーーーーーギャース。
という奇妙な音が清水山の森のほうから聞こえて来た。
すると、この音を聞いたクラゲオバケは、「ア、赤毛ガ戻ッテ来タミタイデス」と言うと、「ソレデハ私ハコノ辺デ」と、ピョピョピョピョピョピョピョッとばかりに森のほうへと消えて行った。
最後にまたクラゲオバケが、
「ジャア、今度“真剣ナ話ナンダ”ッテ言ワレタラ真剣ニ聞イテアゲテ下サイネ」
と、森のおくから言って来たので、森永久美子 (24)はベッドの中でもぞもぞと寝返りを打った。
「アナタニハ意味ノ分カラナイ話デアッテモ」
と、そこで一瞬だけ目がさめて、“変な夢”と想ってまた眠った。
*
それから、二本立ての二本目は、小学生のころに住んでいた家とその近所が舞台で、登場人物は小学生のころの自分と小学生のころの“キョロ”だった。
その夢の中で“キョロ”は、久美子がいちども聞いたことがないような奇妙な外国語を話していた。
なのでもちろん久美子には、彼がなにを言っているのかひとつも理解出来なかったのだけれども、それが自分宛ての、とても重要なメッセージだということだけは理解出来た。
――ような気がした。
と、そこでまた一瞬だけ目がさめて、“こっちも変な夢”と想ってまた眠った。
*
それからまたしばらくして、目覚ましの音で彼女は目を覚ました。
だけれども、ベッドから起き上がった久美子の頭も身体も結局、どちらの夢もおぼえてはいなかった。
ちょっとだけ、胸がいたい感じがした。
(続く?)
……、
…………、
………………、
……………………チン。
「あら、おかえりなさい」
「ああ、おはよう――ただいま」
「どうでした?お仕事?」
「あー、なんとかかんとか。サーバー交換まではしなくてすんだよ」
「ああ、それは良かった?んですか?」
「うーん?不幸中の幸いって感じかなあ?八丁堀だけで済んだし、飯田橋のほうには迷惑かけてないし」
「ひょっとして徹夜したの?」
「ちょっとね。でも、呼ばれたのも午後だったし、今日は代休もらえるし」
「無理しないでくださいよ、もう若くはないんですから」
「ああ、中村くんも育って来てるし今回も――って、食べていいかな?お腹ペコペコで」
「あら、すみません。――お茶淹れます?」
「あ、うん。お願いします」
「それ、冷凍庫のラザニア?」
「あー、おいしそうだったんで。――まずかったかな?」
「いや、いいんですけど、朝から?って想って」
「夕方におにぎり一個食べたっきりでさ、コンビニ弁当買う気分でもなかったし」
「それ、おいしいでしょ?」
「和楽さんのつくる料理ならなんでもおいしいよ」
「あら、うまいこと言って。――はい、お茶」
「ああ、ありがと。――どしたの?」
「いや、我ながらおいしそうだなって想って」
「いっしょに食べる?」
「いいの?」
「うん。食べきれるか微妙だったし。――スプーンと取り皿もって来なよ」
「えー」
「なに?」
「アーン」
「……僕たちもう (*検閲ガ入リマシタ)才だよ?」
「カトリーヌ・ド・猪熊は永遠の16才なのです」
「まったく……はい。あーん」
「あー…………ん。うん。やっぱり、おいしい」
「……なにかあったの?」
「うん?」
「顔と仕草が“少女マンガモード”になってない?」
「あ、分かる?」
「ときどき出るよね、それ」
「それがさ昨日、コウさんが出かけたあとにアシスタントの子が突然やって来てね」
「どの子?」
「いちばん若い子」
「あー、あの三白眼の子?」
「そうそう。森永グリコちゃん」
「……“久美子ちゃん”ね」
「そうそう。その森永久美子ちゃんから恋愛相談受けちゃってさあ。もうもう、なんだかキュンってしちゃって」
「……はあ」
「なんか幼なじみの男の子にだいぶ前に好きって言われたらしいんだけど、それの返事をしないといけないって想ったままズーーッと保留にしていて、そろそろキチンと返事しなくちゃって想い始めたんだけど、結局自分でもなんて答えていいか分からないらしいっていうか、“ひとを好きになるってどんな感じなんですか?”みたいなところから訊かれちゃって、まあ、もう、なんか、こう、これこのままマンガにしちゃダメって想っちゃって――」
「……してないでしょうね?」
「まさか!……ネームには起こしたけど」
「……はあ」
「で、まあ、結局は相手と直接会って当人が判断するしかないからそうするようにって言ったんだけどね」
「……はあ」
「そしたらそしたで“会うのも緊張するじゃないですか”とかなんとか赤い顔しながら言うもんだから、お姉さんキュンキュンキュンキュンしちゃってさあ」
「……はあ」
「なので、昨夜から絶賛“少女マンガモード”に突入しております!」
「……はあ」
「だからあとでチューして!!」
「はあ?!」
「いまはほら、ラザニアが口のまわりにベッタリ付いてるから、食べ終わって歯みがいてから」
「…………はあ」
「でもやっぱり良いわよね、若いって」
「まあそうだろうけどさあ――あ、そう言えばさ」
「なに?」
「なんで“森永”なのに“グリコちゃん”なの?」
「うん?」
「だって、“グリコ”って言えば“江崎”でしょ?“江崎グリコ”」
(続く)




