第三話:江崎と森永(その13)
さて。
と、いうことで。
三尾漱吾 (31)の不用意な発言により、もう少しでビーストモードを発動してしまいそうになった森永久美子 (24)ではあったが、幸いにもそこに現れた『シグナレス』の看板ウェイトレス (実はまだ高校生)のやさしい執り成しによって、漱吾以下3名のおバカな3バカトリオを再三再四の再起不能にするまでには至らなかったようであった。
*
「あのう、大丈夫ですか?」と、赤毛のウェイトレスが訊き、
「だいじょうぶです」と、意識して頭と口の回転を落としながらグリコは返した。「あと――すみませんでした」
「いいえ、ぜんぜん構わない――ってこともないんですけど、やはり他のお客さんもいらっしゃいますので」
「ですよね、ほんとすみません」と、近くのソファにポスッと座り込みながらグリコ。「ちょっと、自分でも変な感じになっちゃって――」
「お水、飲みますか?」と、手にしたコップと水差しをあげて見せながらウェイトレスは言った。漱吾たちは彼女の指示で別の席へと移動している。
「あー、ありがとうございます」と、グリコ。「飲みます」
「まずは落ち着いてからいろいろ考えれば良いと想いますよ」
「――ですね」
「ことわざにもあるじゃないですか」と、水の入ったコップをグリコに渡しながらウェイトレス。「“なにごとも落ち着いてから考えると良い”って」
プッ。
と、グリコ。「なんですかそれ?」
「え?」
「ことわざにもなんにもなってないじゃないですか?」
「あれ?……そうですか?」
「そうですよ」
「何と勘ちがいしたのかしら?」
「まあ、でも」と、ここで水をひと口飲みながらグリコ。「言いたいことはおもしろいほどよく分かりました」
「ならよかったです」――ほんと、笑ってくれてよかった。「キョロさんへのお返事も、落ち着いてからでいいと想いますし」
一瞬、時間が止まった。
――ような気がした。
『キョロとのことを誰かに話したかしら?』
グリコはそう想いつつ、ウェイトレスのほうを見た。
――が、この子に変な底意は感じられない。
「どんな返事になったとしても、キョロさんなら分かってくれると想いますし」と、自分にも分からないままウェイトレスは続ける。「どんな返事でも、ないよりあったほうが良いでしょうし」
「あなた、いったい……」と、あまりにも自然なウェイトレスの口ぶりにグリコが口を開きかけた瞬間、
カラカラン。
と、お店のカウベルが鳴り、
ドヤドヤドヤ。
と、6~7名ほどの学生客が入って来たので、
彼女とウェイトレスの会話はそこで打ち切りとなった。
ただ去り際、「漱吾さんたちのこと許してあげてくださいね」と、グリコにだけ届く声で彼女は言った。「ほんとどうかとは想いますけど、悪気はないんですから」(注1)
*
「そうね、そのひと的には悪気はなかったんでしょうね」と、カトリーヌ・ド・猪熊 (こころはいつでも恋する乙女)は言った。「ま、ほんと、どうかとは想うけど」
今日の彼女は、彼女にしては珍しく、机に向かってもいなければ資料の本を読んでもおらず、かと言って床に散らばったスクリーントーンの欠けらをはき集めたりペン先のお手入れに熱中したり (注2)もしていなかった。
「締め切りがひと段落してるからね」と言うことで、グリコのお悩み相談にも乗れるようなのである。「――ま、良くすればマンガのネタになるかも知れないし」
*
――岸○露伴みたいなこと言いますね。
「あのね、漫画って想像や空想で描かれていると思われがちだけど、実は違うのよ。
自分の見たことや体験したことや感動したこと、それが無理なら実際に見たり体験したりしたひとの話をしっかり読ん――コホン。聴いて、それを紙の上に再現するからこそ、おもしろくなるものなのよ」
――なんですか?いまの咳払いは?
「ちょっと口がすべっ――言い間違えただけ。ほらほら、そんなことはいいから、先に進めましょ?」
――はあ。
*
ということで。
ここは猪熊先生のマンション――仕事部屋ではない方の、上石神井のマンションである。
「実名さえ出して頂かなければ、ネタにされても私は構いませんけど」そう言ってグリコはテーブルのうえのティーカップに手を伸ばすと、「――こんな話、おもしろいですか?」と、猪熊の顔を見つつ言った。
「いいのいいの、すっごく面白いわ」と、あまっていた差し入れのクッキーをバリボリとほおばりながら猪熊。「たとえどんなに平凡でも、他人の人生を見るのは面白いものなのよ」
――いよいよ露伴先生みたいですね。
「っていうか、グリコちゃんも女の子なんだなあーーって楽しく聞かせていただいているところでございます」
「それは……よろこんで?いただけるのは光栄ですけど、どちらかというと相談に乗っていただきたいんですけど――」
「ああ、はい。そうか、そうよね。えーっと……うん。じゃあ単刀直入に言うけどさ、“キョロ”――江崎くんはまだグリコちゃんのこと好きだと想うわよ?」
「……らしい?ですね」
「と言うか、男の子?男のひと?っていくつになってもバカみたいにロマンチストだからさ、イヤならイヤって女のほうからハッキリ言ってあげないとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、こっちのことを想ってるわよ」
――先生、なんかあったんスか?
「ま、だからこそ、そこでドラマも発生するワケだし、そういうネタでいくつかお話を描いたこともあるし、悪い女だとそうやって“都合のいい男”をキープしたりもするんだけどさ――グリコちゃんはそういうんじゃないでしょ?」
「……多分?」
「“多分”って?」
「多分。キョロはいいやつだとは想いますけど……」
「恋愛対象じゃない?」
「……と言うか、そういうのからよく分からないっていうか」
「“そういうの”って?」
「ひとを好きになるとかならないとか……」
(続く)
(注1)
彼女のこの特殊な能力を説明するためには、また別の長い長いお話が必要になるので今回は割愛する。
が、もし気になられた方がおられた場合は、拙作『エマとシグナレス』をお読み頂ければと想う。
我ながら意味不明だけど面白い作品に仕上がっていると想いますので。――宣伝終了。
(注2)
最近では『ペン先お手入れセット』なる物が売られているらしく、洗浄液やウエスはもちろん、防錆紙や木製のヘラ、それに大小の指サック、ペン先保存用プラケースまで入って500円前後で購入出来るらしい。
いやはや便利な世の中になったものである。――宣伝終了。




