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第一話:BL作家と六月の花嫁(その3)

 酔っているのかそれともなにかの病気なのか、それともただただ頭のネジが何本か抜けているだけなのかはよく分からないが、三尾漱吾 (31)には時々へんな話を始める悪いくせがあった。


 そう。例えばいま彼は、千駄ヶ谷にある小さな喫茶店『シグナレス』の片隅にいて、高校時代からの友人である佐倉伊純 (29)の隣の席に座り、伊純の大学の同窓生である樫山詢子 (27)から、彼女の逃げた旦那 (同性愛者)の話を神妙この上ない表情で聞いている最中だったのだが、突然なにを想ったのか、


「俺だってこんなとこ逃げ出してベルギーにでも行ってみたいぜ」と言い出した。


 すると、このセリフを聞いた佐倉伊純と樫山詢子は、ついついその灰色だが銀色だか黄褐色だかの脳細胞をフル回転させてしまってから、このセリフの主が“あの”三尾漱吾であったことを想い出し、


 先ずは伊純が、


「ごめん。いまそういう話をしてるんじゃないのよ」と言い、


 続けて詢子が、


「そもそもなんで、うちの旦那の話があんたのベルギー行きにつながるのよ?」と言った。


 が、ここでこのセリフを疑問形・質問口調にしてしまったのは、漱吾との付き合いがまだまだ浅い詢子のミスであろう。


 彼はその“もうちょっと頑張れば伊勢谷友介に見えなくもないこともない (by伊純)”なイケメン顔を大変イケメンなものに変えると、


“ときどき関俊彦さんを彷彿とさせかける時が無きにしも非ずなんですよね (byグリコ)”と云うそのイケメンボイスを大変イケメンなものにしながら、


「だってベルギーだぜ?」と言った。


 するとここで、


「だから、なんでベルギーなのよ?」と、苛立ちを込めつつ詢子が訊くと、


「ベルギーには美味いものいっぱいあるだろ?」と、当然至極この上ないといった口調で漱吾は応えた。


「美味しいもの?」


「そうだよ。例えば……ベルギービール。それにベルギーチョコ、デカいミートボールをトマトソースやホワイトクリームなんかで煮込んだのもあるよな?あ、それにこれを忘れちゃいけない。ベルギーワッフル」


「ベルギーワッフル?」


 と、ここでついつい口を挿んでしまうのだから伊純もまだまだ修行が足りない。


「ベルギーにベルギーワッフルなんかないわよ?」


 すると漱吾は、詢子に向けていたイケメンフェイスとイケメンボイスを伊純の方に向け直すと、


「なに言ってんだよ?ベルギーにあるからベルギーワッフルだろ?」と、言った。


「たしかにあの形のワッフルはベルギーにもあるわよ。でもあんたが想ってるのは、あの形をした焼きたてワッフルの上にチョコとかアイスとかイチゴとかを乗せてるやつのことでしょ?」


「そうそう。俺はピスタチオ味のアイスクリームが好きだ」


「だから、ベルギーじゃそーゆー風にワッフルを食べたりはしないの」


「あ?じゃあどうやって食べるんだよ?」


「まず、朝とかお昼とかにまとめてたくさん焼いておくの」


「ああ、いいじゃないか。たくさん食べれて」


「でも、それはそのまま取っておいて、午後のお茶の時間とかに冷めたやつをそのまま食べるの」


「ピスタチオアイスは?」


「チョコもアイスもピスタチオも、多分イチゴとかもなし」


「は?それじゃあただのパンケーキじゃないか」


「そうよ。パンとかパンケーキとかと同じ。それがベルギーのワッフル」


「……それは本当の話か?」


「大学時代にベルギーの留学生から聞いたから本当なんじゃない?」


「あ、あの金髪の?」と、ここで詢子。「物理の成宮先生とあやしかった?」


「そうそう。『ベニスに死す』のタジオを大きくした感じの――」


 と、ここで伊純も詢子の妄想に乗っかりそうになったが、件の成宮教授 (♂)とその教え子・エデン君 (♂)の名誉 (?)のために付言しておくと、彼らは完全なる非同性愛者である。


 と言うか、もっと言えば、お二人ともが大変な愛妻家・恐妻家である。


 と言うか、ついでに言うと、エデン君のほうは奥さまの愛情の偉大さでもあろうか、今ではすっかり大人になったハーレイ・ジョエル・オスメント君みたいな風貌になっていて『ベニスに死す』なんてお耽美とは500マイルは離れた場所にいたりする。


 であるからして、詢子と伊純のこの妄想は、あくまで若くてキレイだったころのエデン君 (♂)とロマンスグレー真っ只中だったころの成宮教授 (♂)とのアレやコレやを彼女たちが勝手に想い描いているだけであって…………って、あれ?何の話をしてたんだっけ?


「おいおい待てよ、いまはベニスの話なんかしてないだろ?」


 と、ここで漱吾が作者の代わりに話を元に戻そうとしてくれた。


「いいじゃない。どうせあんたの話もたいした意味はないんでしょ?」


「おいおいおいおいおいおい、伊純。俺の話に大したことも大したことなくもないもないんだよ」


 ……どういう意味だよ?


「ああもう、めんどくさいなあ、じゃあ一体なんの話をしたいのよ?」


「だから!……俺が話したいのは…………」


「忘れた?」


「うるさいなあ、お前たちがベニスだか○ニスだか言い出すからちょっと混乱してるだけだよ」


 ……漱吾くん、それセクハ――、


「ああ、想い出した!」


「だからなによ?」


「つまり!俺が話したいのは!『俺たちの知っているベルギーワッフルとは、一体どこのワッフルか?』ってことだ!」と漱吾。


 この時の彼の顔と声は真剣この上ないイケメンフェイスとイケメンボイスであり、漱吾的にもこれほどの難問はないだろう?というような感じではあったのだが、この問いに対した伊純は、


「あ、それはアメリカらしいわよ。なんて言うか“ハリウッド的”でしょ?」と、事もなげに返した。


「アメリカ?」


 と、漱吾はつぶやくと、手入れ皆無のくせに整い過ぎるほどに整っているその眉を深く深くひそめ、しばらくのあいだなにかを考え込んだあと、突然、すべてを理解したかのような顔になって、


「だったら、ベルギーワッフルで合ってるじゃないか!」と言った。


「だって、ベルギーもアメリカだろ?」


     *


 ということで。


 三尾漱吾 (31)は悩んでいた。


 が、彼の悩みは、


『いま食べているアップルパイを食べ終わったら次は何を食べよう?』


 というものであったので、それはいまやスッカリと解決してしまっていた。


『これを食べ終わったらベルギーワッフルを食べよう』


 そうして幸いにも、この喫茶店には先週末から彼好みのベルギーワッフル (抹茶アイス乗せ)が登場していたのであった。



(続く)

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