第三話:江崎と森永(その9)
「ふざけんな!」
と、樫山詢子 (27)は叫ぶと、目のまえに座る兄・樫山泰仁 (31)に向かって飛び掛かっていた。
「そんなのは“産みの苦しみ”でもなんでもないわよ!!」
「え?え?えええ??」
と、手にしたお箸とコールスローをテーブルに避難させながら樫山。
「みんなが苦しんでんのよ!」
と、兄の襟首をつかみながら詢子。
「ストーリーテリングの講座にかよったり! 夜も寝ないで机にかじりついたり!!」
キーッ。
と、そのまま樫山の首をつかみ上げようとするが、いかんせん力が足りない。
すると、これにおどろいた佐倉伊純 (29)が、
「ちょ、ちょっと詢子どうしたのよ?!」
と、台所から彼女に叫びかけるが――、
「それなのに! 兄さんは!!」
ガクガクガクガク、
と、兄の頭を上下&前後左右に振り続ける詢子の耳には届かないようである。
「“アイディアに悩んだことなんてない”ですって?!」
「漱吾! 真琴くん! 詢子を止めて!!」と、伊純。
「よくもよくも!」
ガクガクガクガク、
ガクガクガクガク。
「そんなパイライフみたいな顔して!!」
「ちょ、ちょっと詢子ちゃん落ち着いて!」と、こちらは詢子の肩をおさえに来た三尾漱吾 (31)。「――あと“パイライフ”ってなんだ?」
「“パイライフ”ってのは兄貴みたいな顔のことよ!」
と、こんどは兄の頭をグールグルグルグルッと回しながら詢子。
「なーにが“机のまえにすわってたら勝手に出て来るじゃないか”よ!!」
「だからって暴力はいけない、暴力は」
「うっさいわね、このアンケラソ!!」
「だから“アンケラソ”ってなんだ?!」
「“アンケラソ”ってのはアンタみたいなヤツのことよ!」
*
トントントントントン。
と、赤ペンチェックで重くなった原稿を整える音が夜の向学館編集部内に響きわたり、
「まあ、たまにはそういうひともいるけどさあ――」と、本田文代 (54)は言った。「蛇口の栓が開きっぱなしっていうか、脳内妄想垂れ流しっていうか――」
すると、この本田のセリフに、
「いますよねー」と、満腔の賛意を表しながら坪井東子 (30)は返した。「樫山先生とかその典型ですよ」
「まあおかげで楽っちゃ楽だけど、代わりにこのカット作業がねー」
「でもまあ、そのための我々編集者でもあるわけですし」
「まあそのとおりだけどさあ。あんた、あんま公言させないように注意しといてね」
「あ、その辺は十分心得ております」
「ほんとお願いね。人によっちゃあ刃傷沙汰なんてこともあるかも知れないし」
「えー、まさかそこまではないんじゃないですか?」
「いや、でも大昔あるイギリスの作家がさあ――」
「大丈夫ですよ、ここ日本ですし。まわりの作家さんもなんだかんだで皆さん大人なんですから――」
*
「ちょ、ちょっと詢子さん! 刃物はいけない刃物は!!」
「とめてくれるな真琴さん! 背中のイチョウが泣いてんのよ!」
「それでも刃物はいけませんって!」
「大丈夫よ! これバターナイフだから!」
「バターナイフでなにをしようっていうんですか?!」
「近くにあったのがこれだけだったの!」
ということで。
こちら再び刃傷沙汰になりかけている詢子さんのマンションですが――、あれ?さっき止めに入った漱吾くんは?
「ちょっと漱吾、大丈夫?」
「わりい伊純、起こしてくれ」
――なんでそんな床のうえでひっくり返ってんの?
「情けないわね、投げ飛ばされるなんて」
「いや、なんか気が付いたら天井見てた」
――そう言えば柔道の有段者でしたね、詢子さん。
「そういうことはもっと早く言ってくれよ」
と、伊純に起こされる漱吾だが――、
その言いかたが気に喰わなかったのか詢子が、
「どさくさ紛れに胸をさわったからでしょ?!」と言うと、
「あ、ぼ、ぼくは大丈夫ですよ?!」と、詢子を止めに入っていた真琴が両手を上げながら彼女から離れていった。「さわってないし、さわるつもりもありません」
「俺だってさわってなんかないぞ!」と、これは漱吾。
――取り敢えずみんな落ち着け。
「しっかり触ったじゃない!」
「だから! 詢子ちゃんを止めようとして体には触ったけど…………まさかアレが?」
ブッ。
と、想わず吹き出す伊純。
――いや、伊純くんそれは残酷だよ (笑)
「笑ったわね! イスミ!!」
*
ということで。
樫山泰仁 (31)は悩んで…………あ、ダメだ、こいつは悩まないヤツだった。
あー、だけどまあ、その代わりに、樫山泰仁 (31)の周りの人間は悩んだりドタバタしたりヤキモキさせられていたりなんかしていた。
というのも……ってのは、これまでの記述からご理解いただければとは想うが、ほんと、こーゆー“天然で周りを怒らせるひと”っていますよね。
――やれやれ。
(続く)




