第三話:江崎と森永(その6)
「あのね――」
と、脱線ばかりの先日の内容にうんざりしつつも樫山詢子 (27)は答えた。
いちおう本作ヒロインとしての『話を進めなければ』的自覚が彼女にはあるのだろうか、ほんと有り難いことである。
「そりゃあ確かに、サラリーマンやシェフや男子クリケットプレイヤーはそうかも知れないけどさ――」
あ、ちゃんと男子オーストラリアチームの挫折と復活の物語を最後まで聞いてくれたんですね。
「でもね、私たちクリエイターは違うのよ、降りて来ないとダメなのよ――」
あ、でも、そこはランガー師も言っていたようにですね――、
「え?いや、ごめん。そのあたりよく聞き取れてなかった」
――はあ。
「だから、そのなんとかってコーチの言葉はさておいてさ、なんて言うの?――そーゆー“降りて来る”とか“降りて来ない”とかってスケジュールに載せられるものでもないわけじゃない?」
と、詢子は漱吾ら三人のほうを向きながら訴えるのだが、彼らは彼らで一様に『???』みたいな顔をしている。
なので彼女は、
「困ったわねえ――」
と、ひと言呟くと、こちらはこちらでランガー師の言葉を想い出しては反芻し、自身を鼓舞しては鼻を赤くし涙を流している兄・樫山泰仁 (31)のほうに向きなおり、
「ねえ、兄さんなら分かるでしょ?兄さんだって曲がりなりにもクリエイターなんだからさ」
と、訊いた。
が、しかし、樫山は樫山で涙を流すことに忙しかったので、
「え?あ、ごめん。ちゃんと聞いてなかった」
と、ズボンのポケットからハンカチを取り出しながら応えた。
すると、そんな兄の態度に詢子は、
「もう」
と、ひと声いきどおると、ソファに座る彼のほうに近付きながら、
「だから、兄さんもクリエイターでしょ?小説家でしょ?」
と、改めて訊いた。
「あ?」と、樫山。「ああ、まあ、そうだな」
魂の本業はクリケットプレイヤーだけど。
「だったら兄さんにも分かるはずでしょ?そーゆー“産みの苦しみ”っていうの?“降りて来る”べきものが“降りて来ない”ときの辛さっていうか、それがスケジュール通りに来てくれない悩みっていうか――」
すると、この詢子の言葉に樫山は、一瞬『?』という顔をしたのだが、すぐにそれを隠すと、
「あ、ああ、まあそうだな。分かるよ」
と、手のなかのコールスローを見つめながら言った。
すると今度は詢子が、そんな兄の態度を見とがめつつ、
「あ、」
と言って、樫山のソファのとなりに座った。
「な、なんだよ?」
と、後じさりしながら樫山。
「兄さん、いまウソついたでしょ?」
「……うん?」
「あ、やっぱり。その顔とその声はウソをついているときの顔と声よ」
「おい、人聞きが悪いぞ」
「なに?なんのウソをついたの?」
「だから、別にウソなんかついてないって」
「なに?どういうこと?やっぱり話を聞いていなかったの?それとも、“産みの苦しみ”とか“降りて来ない辛さ”とかが分からないってこと?」
と、さらに詰め寄る詢子。
2週間前に模様替えをしたばかりのソファに樫山の逃げ場はもうない。
「あー」と、樫山。
「なによ?」
「えー、怒ったりしないか?」
「だからなにがよ?」
「うーーん?」まあ、どう言っても怒るんだろうなあ。「――正直、分からないんだよ」
「……分からない?…………なにが?」
「その…………“降りて来る”とか……、“降りて来ない”とか?」
「はあ?」
「いやいや、たしかに」
と、両手で詢子をなだめる形を取りながら樫山。
「“産みの苦しみ”ってのは分かるよ?締め切りに間に合わせないといけないとか、字数以内に収めないといけないとか、余分な部分を削って体裁を整えるとか、設定に矛盾が出ないようノートを取るとか、難しい漢字は使わないとか、編集の人の言うことをキチンと聞くとか。――ああ、ほら、ついさっきだってオーストラリアチームの挫折と復活の物語を――、」
「ちょ、ちょっと待って」
と、こちらはこちらで樫山の両手を押し返しながら詢子。
「“産みの苦しみ”ってそういうんじゃないわよ?」
「……え?」と、樫山が言い、
「……え?」と、詢子が返した。
こうやって顔を近付けるとやっぱり兄妹ですね、鼻のあたりがそっくりだ。
「ごめん。兄さんの言ってる“産みの苦しみ”ってどんななの?」
(続く)




