第一話:BL作家と六月の花嫁(その2)
森永久美子 (24)はちょっと神経質でとっつきにくくて三白眼で、だけどけっこう根はいいやつだ、と世間一般には想われていたし、そのことは当人も十分に自覚していた。
というのも、そんなふうなことを長年おおぜいの人たちから言われ続けていたからなのだが、この世間一般の評判に対して問題の森永久美子 (通称グリコ)は毎回、
『神経質でとっつきにくくて三白眼なのは実際そうですけれど、だからと言って根がいいやつかどうかはまた別の話ですよね……』
と、自分の中にある邪悪な心や煩悩・妄念・欲望・不純な想い・煮ても焼いても食えない性格……等などといったメンドクサイ部分を想い返しながら毎回、反論でも試みようかと想ったりもするのだが、それでも毎回、
『あ、でもこれって、この人たちから見れば私は“根はいいやつ”に見えているんだな……』
という想いもコンマ数秒ほどの遅れをもってやって来るので結局、
『だったら、反論とかはしないほうが得策ですね……』
なんてことを想いながら、その三白眼を自身の右斜め上――マンガなら丁度、考えごとをしている時のあの吹き出しが出るあたり――に向けることにしていた。
*
「あら、雨かしら――」
と、奥の部屋からカトリーヌ・ド・猪熊 (*検閲ガ入リマシタ……才)のつぶやく声が聞こえた。
そこでグリコは、そのつぶやきに釣られるように、東側の窓の外を見てみたのだが、すると遠く千駄ヶ谷の空に雨雲が出来始めているのが見えた。
『今日は私がこもりっきりだからですかね?』
と、その雨雲たちを見るともなしに眺めながらグリコは想った。
『なら、あの雲たちは“お兄さん”のほうに向かっているのかも知れませんね――』
*
ということで。
森永久美子 (24)はちょっと神経質でとっつきにくくて三白眼で、だけどけっこう根はいいやつだ、と世間一般には想われていて、ついでに言うと結構な“雨女”でもあった。
で。
もっとついでに言うと、彼女のこの“雨女”ぶりこそが彼女が“根はいいやつである”ということをも実は証明していたりもした。
というのも、ある種の雨雲たちというのは“根はいいやつ”である人間が大層大好きで、そういう人間が外を出歩いているのを見かけたりなんかすると、ついつい彼なり彼女なりのことを好きになってしまい、
『好きだから、そばにいたい。』
『好きだから、かまってあげたい。』
『好きだから、雨を浴びせてあげたい。』
……とばかりに、その人間に対して雨を浴びせかけてしまうからなのであった。
*
ということで。
グリコこと森永久美子 (24)が絶賛修羅場お手伝い中の超ベテラン売れっ子少女漫画家カトリーヌ・ド・猪熊先生 (*だからお年を書いたら僕が殺されるって……才)の上石神井のマンションから東に離れること約15km、千駄ヶ谷のとある路上では、樫山泰仁 (31)が、前述の“ある種の雨雲たち”から雨を浴びせかけられていた。
「分かったよ、じゃあ話は聴いてあげるからさ」
と、突然降り出した土砂降りの雨に対抗するように彼は言った。
右手には青のケースに入ったスマートフォンを持ち、左手では雨男ならではの用意周到さでもって準備していた大ぶりの折りたたみ傘 (直径120cm!12本骨!ワンタッチ自動開閉!是非お買い求めを!!)を今まさに開こうとしている。
「『シグナレス』って喫茶店分かる?…………あー、それなら地図を送るからさ…………うん。じゃあ、そこで落ち合…………だから、そんなに泣くなって、ぼくで良ければ話は聞いてやるから――」
と、どうも樫山の電話相手はこの降り出した雨の如く悲嘆の涙に暮れているようである。
「え?……ああ、妹と会う予定だったんだけど……」
で、まあ、グリコと同じぐらいには“ある種の雨雲たち”から祝福の雨を浴びせかけられるタイプの“根はいいやつ”な樫山泰仁的には、こんな突然の呼び掛けであっても無視することは出来ないようで、
「いや、いいって、来いよ。お前もやっぱり話し相手が必要そうだしさ――」
と、ついついこの通話相手とも落ちあうことになるのであったが――傷心の妹・詢子の話といっしょに聞けるもんなんですかね?
(続く)