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第二話:妊婦と妻と元恋人(その12)

 中谷あきら (25)は少々いらついていた。


 というのも、この助産院に来てからずっと、いまの恋人とむかしの恋人が口論するのを延々と聞かされ続けているからである。


     *


「女の子なら“ひかり”。これは譲れないわ」と、いまの恋人が言った。「あきらと二人で決めましたから」


「ですから、その“決めましたから”ってのやめてもらえません?」と、むかしの恋人が応えた。「ぼくはいま、初めて聞かされたんですから」


 助産師さんから渡された浴衣タイプの検診着を見る。


 我ながら不注意だったとは想うが、いつものジーンズと短めのトップスで来たのは妊婦的にはあきらかに失敗だった。


「そりゃ、わたしたち二人のことですからマコトくんに話す必要なんかないでしょ?」と、ふたたびいまの恋人が言い、


「お腹の子はぼくの子でもあるんですよ?」と、ふたたびむかしの恋人が応えた。


「いいえ、私とあきらの子です」


 当然のことだが、あの妊婦さんが乗る台――内診台っていうんだっけ?に乗るのも初めてなら、あの辺の…………いろいろな検査道具を見るのも初めてだ。


「戸籍上どうするつもりかは知りませんけど、実際問題、半分はぼくの――」


「“佐々木ひかり”」


「え?」


「それも二人で決めたの。もちろん、この子が大きくなって“中谷が良い”って言ったら“中谷ひかり”にするって選択肢も残すわ」


 で、まあ、いずれにせよ、先ずはこの検査着に着換えて、奥の部屋まで行って、あの台のうえにのぼらなきゃ…………ダメなのよね。


「じゃあ“山岸”は?“山岸ひかり”」と、いきどおった声でむかしの恋人が言い、


「“山岸ひかり”?」と、鼻で笑いながら、いまの恋人が応えた。――ユリ、それはちょっと態度悪いわよ。


「なんですか?そのひとをバカにしたような笑いは?」


「だってあなた、もう関係ないじゃない」


「関係ないってなんですか」


 えーっと。


 だから、


 そうそう。


 検査着に着換えないといけないんだけど、マコトがいるのにここで着換えるってのも…………トイレかどこかで――、


「あ、そうだ!男の子だったら?もしも男の子だったら、ぼくの名前から一文字採って――」


「“はると”よ」


「は?」


「“佐々木はると”。アキラのもともとの漢字だった“陽”を使って――」


 だからユリ、もうちょっと言い方とタイミングってものが――、


「それも“二人で決めましたから”って言うんですか?」


 だからマコトも、もう少し落ち着いて――、


「もちろんそうよ?二人のことですから」


 だからユリも――、


「そんな勝手なことってありますか?」


 マコト――、


「勝手なことなんかじゃないわ、そもそも部外者はアナタなんだからさ」


 ユリ――、


「部外者?!部外者は百合子さんのほうでしょ?!ほんとは誰の親にもなれないく――」


 あっ――、


 パシンッ。


 と、助産院のちいさな待合室に、平手打ちの音がひびいた。


 ――それは絶対に言っちゃダメよ、マコト。


「アンタ!それがどれほどの暴言か分かって言ってるの?!」と百合子が叫び、


「ちょっと!ふたりとも!!」と、あきらも叫びかけたところで、


 カチャリ。


 と扉の開く音がして、美山円花 (**)が待合室に戻って来た。


「あのさあ、夫婦ゲンカ……じゃあないほうか?は勝手だけど、やるんならお母さんのいないところでやってくんない?」


 そう言うと円花は、あきらにこちらに来るよう手招きし、


「アンタもアンタでサッサと着換えなさいよ――検診の準備なら出来てるからさ」


 と、彼女を廊下へと避難させた。


     *


 さて。


 それから主人公は、王妃をベッドの上から引きずり下ろすと、壁に掛けられた肖像画のところまで連れて行き、


『これをご覧下さい!母上!このふたつの絵を!二人の血を分けた兄弟の肖像を!!』


 と言った。


『このただよう気品、波打つ髪はアポロンの如く、秀でた額は神々の長ユピテルにも似て、鋭い眼はアレスさながら――』


 ――アポロンはなんとなくわかるけど、ユピテルってゼウスでしたっけ?……まあ、ビック○マンでしか知らないんですけど。


『ああ!それにこの凛々しい御立ち姿は、摩天が山頂に降り立ったばかりの使神ヘルメスそのものではありませぬか!!』


 ――ヘルメスって……ジョ○ョの第六部でしたっけ?


『いかなる神も!これこそ人間の鑑!ありとあらゆる美を一身にまとった男と認めずにはおられますまい!!』


 と、ここで主人公は、王妃の方に向き直りその細い顎をつかむと、


『母上!』


 と言って、その緑の瞳を王妃の顔の目前にまで近付けた。


『母上は!こういう御方を夫にしておいでだったのですぞ!!――それが!』 


 そこで男はもう一方の肖像画に王妃の顔を向け、


『さあ!こちらをごらんなさい!』


 と、言った。


 ――って、このセリフからキャラを描けって言われても困るんですけど……、


     *


 ということで。


「すみません、先生」と、森永久美子 (24)は言った。「これ、本当に肖像画描かないとダメですか?」


 彼女の手には、小一時間ばかり前にカトリーヌ・ド・猪熊 (永遠の16才)から借り受けたボロボロの文庫本が、“もっとちゃんと読めよ”と言わんばかりの格好で収まっている。


 すると、そんなグリコの質問に対した永遠の16才は、


「あたり前でしょ?」と、全盛期の水木プロ並みの点描画を仕上げながら言った。「原作ちゃんと読んだの?」


「でも、ここまで姿は描かずに来たじゃないですか」


「亡霊だったからね」


「だったらここも影とかで隠して――」


「だから、それがダメだって言ってるのよ。いい?ここで兄弟の絵姿を比較させつつ、前の王が実在の人物だったってことを想い出させないといけないんだから」


「それはそうですけど――」


「なに?どこで悩んでるの?」と、猪熊。手にしたミリペンにフタをしつつグリコのほうを向く。


「悩んでるというか……主に悩んでるのは、この本の描写から想像して描けってところなんですけど――」


「ああ、神さまの名前からじゃ想像出来ない?」


「まあ……そうですかね?」


「だったら、そこは図鑑や画集を調べて頂戴。書庫にはギリシャやローマの彫刻の本もあるし」


「はあ」


「だいじょぶ、だいじょぶ。まずはグリコちゃんの想うように描いていいから」


「はあ」この先生の“だいじょぶ”はハードルが高いんですよね――「あ、あと、」


「なに?」


「でも、似せないといけないんですよね?」


「あー」と、すこし感心しながら猪熊。「主人公にってこと?」


「あと、王さまのほうにもですね」――そうしないとおかしくありません?「三人とも血のつながりがあるわけですから」


     *


「ちょっと、ユリ。やめてよ――」と、声をひそませながらあきらが言った。「こんなときに涙なんか――」――私、これからほかのひとにからだ見せるのよ?


「わかってるけどさ――」と、こちらも声を隠しながら百合子。「アイツ、あんな言い方して――」――だれの父親にも母親にもなれないってのは私がいちばんよく知ってるわよ。


「マコトも勢いで言っただけだって」


「それでも――」


「いいから、こっち来なさい」


 そう言うとあきらは、左の手で百合子の肩を軽く抱き、反対の手で、その見た目よりも小さな肩を、軽くさすってやった。


「血のつながりだけが、つながりじゃないわよ」


「……うん」


「よし」


 それからあきらは、百合子の髪に軽くキスをすると、


「だから、もうこれ以上は騒ぎを起こさないでちょうだい」と、声色を変えて言った。


「私が一番、余裕ないんだからね」



(続く)

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