第二話:妊婦と妻と元恋人(その10)
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さて。
これと同時刻。樫山詢子 (27)のマンション。
「あ……」と、大きく切った黒パンにスライスチーズを乗せていた森永久美子 (24)がつぶいたので、
「うん?どうかした?」と、茹でたてパスタをお皿に盛りつけていた佐倉伊純 (29)が訊いた。
「なんか、ツッコミ役を求められている気がしまして――」
「ツッコミ役?」
「なかなか手強そうな方が来られているようです」
「……はあ?」――なにを言ってるんだ?この子は。
――閑話休題。
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「だってアナタ、あきらさんとは別れたんでしょ?」と、茄子が言い、
「な、なんでそれを?」と、うわずった声で真琴が返した。
ということで、こちらふたたび樫山家の食卓である。
「と言うか、あきらのこと知らないよね?」と、続けて真琴。「会わせたことも話したこともないんだからさ」
「そんなん、ブログとツイッターとインスタ見てたら大体のことは想像つくやないの」と、さも当たり前のことのように茄子。
「アカウント教えてないよね?」
「そないなもんプロフィールやらアップする動画やらフォロワーの内容やらで誰が誰かてすぐ分かりますやん」
――怖いな、このひと。
「せやからアンタが荻窪離れようとして、こっちで部屋探ししてるっぽいことが分かったさかい、こちらのおふたりのどちらかとそーゆー感じに…………ねえ?」
――あ、そこはバイアスかかっちゃうんだ。
「だから、こちらのおふりとは、ぜんぜん、まったく、これっぽっちも、けし粒ほども、そういう関係ではなくて――」
――どーでもいいけど、そこまで完全否定したら流石にふたりもショックなんじゃない?
「ほなら、なーんでアンタあきらさんと別れたん?」
「そ、それは――」
「なんや、お姉ちゃんに言えへんようなことでもあるの?」
「いや……言えるというか言えないというか……」
「この茄子ねえちゃん、なんでもやさしく聞いちゃるけえ、言うてみ?」
………………それ、ウソですよね?
「でも、プライベート過ぎるし……」
「でもアンタ。いつかは結局、富士子ねえさんや鷹子ちゃんにも気付かれるんやで?」
「あ……」
「そんなとき、あたしを味方にしといたほうがエエんちゃう?」
――このひと、人心掌握がすごいなあ。
「そう……かなあ?」と、真琴が言い、
「そうやて」と、菩薩さまのようなほほえみで茄子が応えた。
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「あ。」と、こんどは冷蔵庫からノンアルコールビール2本とストロング系チューハイ1本 (度数9%)を取り出していた森永久美子 (24)がつぶいたので、
「どしたの?」と、ミックスナッツ (ピスタチオ入り)を小皿に移していた樫山詢子 (27)が訊いた。
「どうやら、ツッコミ役はもう不要のようです――」と、グリコ。
「ツッコミ役?」
「あー、なんか皆さん大変なようで……」――特にこれからは先輩も。
「はあ……」――いまだにこの子がなにを言ってるのか分からないときがあるわ。
――閑話休題。
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「あんな、真琴さん」と、ひき続きどうにかして口を割らせてやろうと茄子。――名前に“さん”を付け出したら危ない兆候ですね。
「あたしがアンタをわるう言うたり、なんやイジワルみたいなことしたことあるか?」
すると、ここで真琴は、フッと、この一見やさしそうに見える姉との想い出を想い出そうとして実際想い出してみたのだが、すると確かに、“わるう言うたり、なんやイジワルみたいなこと”をされたことはないなあ……という結論に達したので、
「そりゃあ、姉さんにはずっとやさしくしてもらってたけど――」と、答えた。
が、これはもちろん、“ひとはトラウマからは目を逸らす”パターンなので、
例えば、
ジャーマンシェパードをけしかけられたり、
たかい木の上から突き落とされたり、
市民プールで沈められたり、
好きな女の子に自分の恥ずかしい写真を送られたり――、
といった姉との“想い出したくもない記憶”は巧みに深層意識の底に沈められていた結果なのであった。
なので――、
「せやろ?」と、そんな“想い出したくもない記憶”を想い出させてなるものか的タイミングで茄子。「せやったら、この茄子ねえちゃんに、洗いざらい話してしまいなさい」
すると、これに対して、
「あー、うん……」と、“想い出したくもない記憶”のせいか、若干戸惑いながら真琴は言うが、
樫山と漱吾のほうを見ると、多分彼らも茄子のいっけん柔和な態度に騙されているのだろう、一様にうなずき真琴に話すよう促している。
「じゃ、じゃあ、言うけどさ」と、意を決したように真琴は言い、
「はいはい。言ってみなさい」と、してやったりと想いつつ茄子は返した。
「あきらとは……その、別れたんだ」
「ああ、やっぱり。それはかわいそ――」
「と言うのも、彼女は女のひとが好きだったからなんだ」
「……へ?」
「あ、もちろん。最初からそうだったワケじゃなくて、最近気付いたらしいんだけど――」
「はあ……」
「で、いまは百合子さんって女のひとと暮らしている」
「まあ……でも、それもひとそれぞ――」
「なんだけど、最近妊娠していることが分かってね」
「……うん?」
「もちろん、父親はぼくなんだけど」
「……はあ」
「で、彼女は産むって言ってる」
「あっ、そしたらアンタとも――」
「だけど、ぼくとヨリを戻すつもりはないそうで――」
「……へえ」
「で、その百合子さんと女手二つで立派に育て上げてみせる…………って、今日の午後に言われたんだ」
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「あ。」と、みたび今度は、デザートの『森永ピノ』を開けたばかりの森永久美子 (24)がつぶいたので、
「どしたの?」と、こちらまだまだ飲酒&食事中の佐倉伊純 (29)&樫山詢子 (27)は訊いた。
「ピノにハートと星がダブルで入ってました――」
「うそ?!」と、伊純&詢子。
「流石の私もビックリしました」
「すっごいじゃん!」と、伊純が言い、
「写メって良い?」と、スマホを取り出しながら詢子が言った。「ってか、ツイッターにあげても良い?」
「すっごーい。やるじゃん、グリコ」
「これは絶対、“よい兆し”だよ?」
「はあ」――だと良いんですけどね。
――閑話休題。
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さて。
と、まあそんなこんながありまして、この後、千駄ヶ谷というか東京~千葉のお天気は本来通り、西から東へと変わっていくことになります。
で、それは具体的には、東京都渋谷区千駄ヶ谷にわだかまっていた“梅雨の晴れ間”が、千駄ヶ谷から錦糸町、錦糸町から…………と、要はまあ、来たときとは反対のルートを通って千葉県勝浦市まで帰って行ったからなのですが、その代わりに、それまで別のところにわだかまっていた雨雲たちを千駄ヶ谷周辺に呼び寄せることになったりもしたのでした。
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「お姉さん、大丈夫かな?」と、降り出した雨をながめながら樫山が言い、
「まあ、すこしはショックを受けたみたいでしたけど――」と、お皿を洗っていた真琴が応え、
「気丈なひとだよな」と、戸棚の奥のビスケットをあさりながら漱吾が言った。「俺なら卒倒しててもおかしくないもん」
「そうですね――」と、皿洗い用のゴム手袋を脱ぎながら真琴。「だから茄子ねえさんは大丈夫だとは想いますが――」
「なに?」
「怖いのは、上の姉ふたりにどう伝わるかなんですよね……」
あー、やっぱいつかは出さないとダメだよねえ……。
(続く)




