第十話:兄と妹と姉と弟(その14と1/2)
【土曜日。19時51分】
「これはひょっとすると、とてもよくある話なのかもしれません」
流れて行く星たちを横目で見ながら樫山泰仁 (31)は言った。
「むかし、ある時、ある場所で、ある女のひとに出会った。その人は、生まれた場所も、育って来た環境も僕とはぜんぜん違っていて、“夏がダメだったり、セロリが好きだったり”して、そうして色んなことを知っていた。色んなところに連れて行ってくれて、色んなことを教えてくれた。雲のうえに建つお城や、おおきな彗星や、廃墟の街や、そうそう。高い木のうえからふたりで落ちたこともありましたよ――」
そう言うと泰仁は、涙ぐらい流れてもいいのにな?と、そう想いながらほほ笑むと、
「ほんと、あれはいたかったなあ――」と、誰に伝えるでもなくつぶやいた。
「すっごく大きくて早いバギーに乗ったり、座礁したクジラを海に帰したり、いっしょに星の海や冥王星を眺めに行ったり――ほんと“このまま時が止まってくれれば――”って想える瞬間ばかりだったんです」
ここで彼はいったん口をつぐむと、手元の炭酸水を、彼にはめずらしくひと息に、グビグビ。と飲んだ。――一瞬、沈黙の音が鳴った。
「それで……?」と、畑野が訊き、
「その方とはどうされたんですか?」と、富士子が続けた。
「ある時、なにかの荷物を取りに“あの人”の家に戻ったんです」泰仁は続けた。「そしたらそこに小さな…………10才ぐらいの女の子がいて…………、“あの人”をずっと待ってたんでしょうね。“あの人”の顔を見たとたんに泣き出して…………、“あの人”に、こう歩み寄って来て…………、“あの人”の、腰の辺りを、ギュッ。と抱き締めて――」
――ほんと、涙ぐらい流れてくれてもいいんじゃないか?
「それで、“あの人”がその子をなだめて、僕は、妹が小さかったころのことを想い出して、そしたら、それまでぜんぜん鳴らなかった胸のスマートフォンが突然、ブブッて鳴って、僕はそれに気を取られて――」
*
「ほな、また」と、“あの人”の声が聞こえたような気がした。「――縁があったら」
*
「それで……?」と、ふたたび畑野が訊き、
「それでおしまいです。」と、泰仁は答えた。
「彼女はこんどは、その子との旅を再開して、スマートフォンに気を取られた僕だけがそこに残された。ひとつの人生が失くなって、別の人生が始まった。でも、それ以来ずっと、僕はもうひとりの僕のことが気になってしようがない。“あの人”と旅を続けている自分。スマートフォンに気を取られなかった自分」
――いや、涙を流す資格なんか、そもそも僕にはないのかも知れない。
「妹の――詢子のことを想い出さなかった自分。そんな自分がどこか別の宇宙にいて、いまも“あの人”との旅を続けている。いまここにいる自分は“そいつ”の影なんじゃないか?――そんなことばかりを、考えてしまうんです」
――ほんと、我ながら最低な兄貴ですよね?
(続く?)
……我想吃上海蟹~♪
…………我想一起吃飯~♪
………………我要永遠跟你在一起~♪
……………………我的心还是有点苦~♪
【土曜日。23時57分】
「なんですか?その歌?」
「へ?知らない?日本の歌でしょ?」
「でも、それ中国語とかですよね?」
「あれえ?――なんでやろ?まだ本調子やないんかなあ?」
「はい?」
「あ、いや、さっきのお誕生日会で翻訳機がこわ――って、あ、いや、なんでもあらへん」
「いやでも、ほんと助かりましたよ。見ず知らずの私のために出演までして頂いて――」
「ああ、あたしも楽しんだし――ってか、今回のは“歴史的必然”なんかも知れんね?あそこにあたしいなかったらあの“恋愛無双・美神化身”って謳われる (予定)のあのひとも死んでたかもしれへんし」
「…………は?」
「あ、いや、気にせんといて、ひとり言やから――カニ、どう?美味しい?」
「あ、いや、初めて食べましたけど、スッゴイ美味しいですね」
「遠慮せんとジャンジャン食べてね。まだまだあるから」
「ほんと、こんな差し入れまでして頂いて、なんて言えばよいのか――」
「ええからええから、あたしも丁度食べたかっ――あ、だったらさ、今度また教えてよ、あんたのそのジャグリングだかパントマイムだか」
「あ、それはもう全然。恩人の頼みとあれば」
「よかったー、なんかねー、来年?再来年?あたり?結婚式とかお祝いごととか続くっぽくってさ、毎回毎回マジックってワケにもいかへんやん?なーんか別のネタ仕込まにゃアカンなあ想うてたんよ、ちょうどエエわ」
「マジックじゃダメなんですか?」
「どーしてもマンネリになるしねーー。それにほら、あたしがマジック披露しても「どーせタネがあるんだろ?」って変なツッコミ入れるヤツらばっかで――」
「でも、それはつっこむ方がヤボってもんで」
「あー、まー、そーなんだけどさーー、あたしもほら、ついついマジックじゃないもん使っちゃったりするからね――」
「は?」
「さっきもさー、ま、緊急避難っちゃ緊急避難なんだけどさーー、あまりにもとつぜんだったからネコちゃんとハトちゃんまもるために“裏技”つかったら、おかげで彼らが空まで飛んでっちゃって――」
「“裏技”?」
「うん。そしたら、落ちて来たネコちゃんとハトちゃん見てみんなが「すっごいマジックだ!!」って拍手喝采してくれちゃって――」
「……ちがうんですか?」
「うーーん?厳密に言うと“マジック”じゃないし、それこそその結婚式とかお祝いごとに集まるような連中からは――」
「お身内とか?仲間内とか?の結婚式?」
「うん?…………あ、ま、うん。そうかなあ?うーーん?そうだねえ、いっしょに色んなとこまわってた子とかお兄さんとかその妹さん?とか?未来のあたしのお母さん?お義母さん?とか?」
「――は?」
「あれ?日本語ちがってるかなあ?やっぱ翻訳機の調子が――」
「あー、ま、でも、いずれにせよお祝いごとが続くってのは喜ばしいことで――」
「ま、そのお兄さんと未来のあたしのナントカになるひとってのはペアなんだけどね」
「あ、じゃあ、お知り合い同士の――どうしたんですか?急にニヤケたりして」
「あ?あれ?ニヤケてる?あたし?――いやいやいやいや、あー、これもまた、あたしもネコに言われるまで気付かなかったんだけどさあ――」
「――ネコ?」
「もー、なんて言うの?このあたしの美貌が罪深いって言うの?モテる女はツラいって言うの?その“お兄さん”のほうがさあ、ちょおっと、もうねー、そんな素振りこれっぽっちも見せなかったんだけどさあー、あたしにちょっと、まあちょっとだけやと想うけどね…………、ホの字だったらしくってさあーー」
「あら?」
「もうもう、あのツンデレエロメガネ。そのあたしのナントカになるひとと一緒に…………なんだっけ?あたしのナントカカントカになるはずなのにさあ」
「あー、でも、仲間内でのそーゆーのは面倒ですよねーー」
「そうそう。せやからそのネコの忠告もあってさあ、ちょっと距離置いてんのよね――その子とちゃんとくっつくまでは」
「あー、いい子なんですか?そのお嬢さん?」
「むっちゃくっちゃいい子よ、ふたりしてスッゲー奥手だけど」
「あ、じゃあ、それこそキューピッド役でもされたら――」
「えー?でも…………あー、それもありかなあ?ほっといたらあのふたり全然くっ付きそうにな――」
「あのう、すみません――」
「え?――あ?はい?なに?看護婦?看護師?さん?」
「あの、その…………院内でのご飲食はちょっと――」
「へ?でも、さっきそこ歩いとった先生にちゃんと訊いたよ?「ここで上海ガニ蒸して食べてもエエですか?」って――」
「あ、いえ、その先生から注意するよう言われて来まして……先生の方もなにかの冗談だと想われていたようで――」
「は?」
「まさか本当に病院の待合室で上海ガニの姿蒸しを作って食べる方がいるとは――」
「えー、じゃあこのカニ、ドコで食べればエエの?外は困るよ、このひとの奥さんがいま――」
「あ、それでですね、地下一階の厨房スペースに話をして来てですね、そこの一角で食べられるように手配を――はい?どうしました?婦長?」
「えーっと、ヤナセさん。ヤナセコウサクさんは?」
「あ、はい。わたしですが――」
「あ、お父さんもそろそろ来られるようにと先生が――」
「え?!いよいよですか?!」
「ああ、やったねえ、ヤナセさん」
「ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、どうしましょう?」
「あ、えーっと、お部屋までは私が案内しますので――あ、そうですね。先ずは、そのカニを置いていただいて、お手洗いで石鹸で手を――」
「あ、は、はい、はい、はい、はい、そ、そ、そ、そ、そ、そ、そ、そ――そうですよね」
「ああ、ほら、カニならあたし預かるよ?」
「あ、あ、あ、あ、ありがとうございます」
「もう、もうちょっとしっかりしいな、お義父さん?お父さん?――あれ?合ってるよね――お父さんになろうってひとが」
「あ、あ、あ、あ、そ、そ、そ、そ、そうですね、そうですよね。――そうそう。じゃ、じゃ、じゃあ、行って参ります!!」
「はいはい。行ってお帰んなさい。あたしはここ片付けとくから――」
「あ、あの、はい。はい。ほ、ほんと、今日はありがとうございました!!」
「はーい。はい。気を付けて。奥さんと生まれて来る息子さんによろしゅう」
「はい。それでは、また!!」
「はいはい。ほなまた――縁があったら」
(続く)




