第十話:兄と妹と姉と弟(その12)
【土曜日。19時13分】
星占いは――これはまったくもって当然のことであるが――科学ではない。
それは、野球や将棋や象徴天皇制などと同じく、そこのフィールドから一歩外に出てしまえば何の意味も持たなくなってしまう規則・規律の集まりである。
もちろん。
これを生業としている占星術師たちは、さもありなんといった感じで、星座のきらめきや惑星の運行といった物事たちを私たちの運命と関連付けようとするだろうが、そもそも牡牛座なら牡牛座が牡牛のように見えるためには、現在の地球から宇宙を見上げなければならない。――一歩地球の外に出てしまえば恒星たちの並びかたは変わって見えるわけだし、ヒョイッと数億年ほど時間を飛び越えてしまえばそのうちの何個かは消滅したり見えない位置に移動しているかも知れないワケだからね。
で。
またそれに例えば、1930年に太陽系第9惑星である冥王星が地球人たちに“発見”された時も、彼ら彼女ら占星術師たちは (裏での右往左往は見せぬまま)“彼”を占星術のなかに“さまありなん”という感じに取り込んだくせに、それから100年も経たないうちに“彼”が準惑星とやらに降格させられたらさせられたで、またふたたび (裏での右往左往は見せぬまま)“さもありなん”といった顔のまま、占星術を続けていたりする。
きっと今後も、新たな第9惑星や第10惑星なんかが“発見”されたとしても、彼ら彼女らは素知らぬ顔でそれらを星占いの体系・ルールのなかに取り入れるだろうし、きっとそれは、“地下鉄の壁の落書き”や“沈黙の井戸に響きわたる静かな雨だれ”をもとにしたとしても大差はないのだろう。
*
「でもあたし、そーゆーのもキライじゃないよ?」
と、ある日ある時、問題の第9惑星を指しながら“あの人”が言った。
「名前も結構気に入ってるしね――」
「たしかに。消えたり現れたりするのが、“らしい”ですもんね」
「個人的には“ミネルヴァ”のほうがよかったんやけど、11才のおんなの子の案にはかなわへんはな」
「“ミネルヴァ”?」
「親近感わくんだよね、あのひと」
「親近感って――」
「主人公を助ける知恵の女神!!あたしにそっくりじゃん?美人やし」
「まあ彼女の元ネタもトップ3のひとりでしたけど、さすがにそれと自分を比較す――」
「あー、はいはい。たしかにそこは言い過ぎましたけど、んなもんサッと流しないや、センセ」
「――はあ」
「で、な、話は戻るけど。そんな星占いにしろ議会制民主主義にしろ、センセの大好きなクラーケン (注1)にしろ、確かに“規則・規律の集まり”“単なるものの見方のひとつ”かも知れへんけども、それらを使うことでそこにある問題のかたちを浮き上がらせて発見するモノとしては全然ありな道具やろ?」
「…………ごめんなさい。どういう意味ですか?」
「うん?あー、つまり――ああ、ちょっと、あんま外にからだ乗り出すとあぶないで、引っ張られて落ちたら困る」
「あ、す、すみません」
「さすがにこっから落っこったら助けられへんかも知れんから気を付けてよ」
「あ、はい。ごめんなさい」
「で……、えーっと、なんだったっけ?――あー、そうそう。だからつまり、科学の実験や数学の計算といっしょって話よ」
「――は?」
「先ず、あるルールを決める。すると皆さんそのルールにしたがって行動を始めたり、行動を始めたように見えたりする。――あ、そろそろ扉閉めてこっち来て、運転手伝ってよ」
「あー、はいはい」
「で、そうするといろいろなことが起きて、そこにいる人たちのいろんなことが見えて来る。だれがどんな風に動くかとか、だれがだれをどう考えるかとか。――別に星やのうても関係あらへん。“夜を隔てるネオンライト”でも“玄関ホールの壁”でも決めたルールが問題を浮き彫りにさせる」
「――なるほど」
「たとえばセンセは牡牛座やろ?」
「――ですね」
「せやったら蟹座のあたしとは相性バッチシなハズやで?」
「…………蟹座なんですか?」
「うんにゃ、知らん」
「やっぱり」
「でも、そーやって意識すると、センセのあたしを見る目が変わるかも知れんし、その変化でセンセって人が分かるかも知れ――あ」
「……こんどはなんですか?」
「――上海ガニ食べたい」
「は?」
「カニのこと考えたら無性に食べとうなった。――もうそろそろ食べられるんちゃう? (注2)」
「いや、知らないですけど」
「決まり。もどったら食べに行こ」
「えー、僕アレ苦手なんですけど――」
「エエから、エエから、おいしいとこ紹介したるし。“イズント・イット・ア・ピティー~~♪ ビューティフル・シティー~~♪♪”ってね」
「……はあ」
「“上海ガニふんふんふ~~♪、あなたとフンフンフ~~♪♪”」
*
「お兄さま?」と、大樹富士子 (42)は訊ねた。「どうかされましたか?」
自分では注意しているつもりだったが、この窓際の席のせいだろうか、たった11階にあるレストランのはずなのに今日は月も星も特によく見える。ひょっとして――と、想う気持ちがどうしても湧いて来る。
「じつは……」
と言いかけて口ごもった。
4時間ほど前に会った鷹子の顔が想い出された。――あの人はこの人のことをたいそう嫌っているようだった。
確かに近寄りがたい迫力はあるし、いきなり探偵――だよな?絵本に出て来るコグマみたいな格好をしているけれど――いきなり探偵 (多分)付きの食事というのも如何なものかとは想う。――やはり、余計な雑談はしない方が無難だろうか?
「あ、いえ、すみません。突然のことで驚いてしまって――」
そう泰仁は続けた。
たしかにこれはウソではない。山岸はいいやつだし、詢子とも仲良くやってくれている。
が、それはあくまで友人、あるいは僕の妹としてであって、まさかあのふたりが“そんな仲”になる可能性など自分ももちろん当人たちだって考えてはいないだろう。
「しかし、妹は離婚したばかりですし」――が、“それでも”と想ってしまう。「真琴くんもいまは大変でしょうし」――あいつのことがなければ、“また旅に出られるのでは?”と。
「ああ、もちろん。ご心配はよく分かりますわ」――“資料で読んだよりも複雑そうなひとね”と富士子は想い、ワインをひと口飲んだ。「あの子の赤ちゃんのことや法律関係の面倒は私のほうですべてバックアップするつもりですし――ですわね?畑野さん?」
と、ここでとつぜん話を振られた興信所調査員は飲んでいた炭酸水をふき出しそうになったのだが、
「あ、は、はい。今回の件は私の事務所と関係の深い弁護士さんにもすでに相談中でして――」
と、なんとか返事を返した。
がしかし、自分から話を振っておいて長引くのは困るとでも想ったのだろうか富士子は、
「ですので、その辺りのあれこれは私たちにお任せいただいて」そう言って彼の言葉を遮った。「お兄さまはなにもご心配なさらずとも――」
「あ、それももちろん心配ではありますが――」と、今度は泰仁が彼女の言葉を遮りながら応える。「しかしそれ以前に、当人たちの気持ちも――」――なるほど。鷹子さんの気持ちがすこし分かるような気がする。
「ええ、ええ、」と、大きくうなずきながらの富士子。「もちろんそれは確認致しますわ」――そうよね。鷹子に籠絡されていないのだから、一筋縄でいかないのは当然かしら。
そう言って富士子は、もうひと口ワインを飲むと、
「でもですね」と、いたずらっ子のような顔になるよう注意しながら、「きっと真琴の方は、まんざらでもないように想いますわ」そう続けた。
*
「なに?そこに誰かいるの?」そう言って佐倉伊純 (29)は、詢子の足首のあたり――床に落ちたアフガンがもぞもぞと動いているあたり――を見下ろした。
いま詢子の部屋は暗く、廊下から入り込んだライトの明かりは、ちょうどその動くふくらみのあたりだけを照らしている。
すると突然、そのふくらみは、
「にゃん? (訳:あなたはいつも、私の自信を揺り動かします)」
と、ちいさな、あくびのような声をあげると、さらにもぞもぞと移動して、詢子のそろえた足首と足首の間に入りこむようなかたちを取った。
「え?」と、この声におどろいたのは伊純であった。「フェンちゃん?フェンチャーチなの?」
そう彼女は言うと、その動くふくらみの正体を確かめてやろうと、さらに部屋の扉を開き、廊下の明かりをなかへと入れた。
「なんで?」と、伊純が誰に問うでもなく訊ね、
「私もびっくりしたんだけどね」と、樫山詢子 (27)も、「なんかとつぜん入って来て、出て行かないのよ」そう言って、ふくらみのほうを見詰めた。「きゅうに私が恋しくなったのかしら?」
それから伊純は、それでもまだ怪訝な表情のままなかへと入ると、
「ほんとにフェンちゃん?あなたなの?」と、そのふくらみに訊いた。
すると、この伊純の声に応えようとしたのだろうか、それとも彼女のからだから漂って来るチキンスープのにおいに釣られたのだろうか我らがフェンチャーチ嬢は、隠れたままのその体で想いっきりのノビをひとつすると、
「にゃーあ。 (訳:私がベッドに戻ると、必ず誰か別のひとがそこで眠っているのです)」
と応えてから、そろりそろりとアフガンのトンネルを抜け、やわらかな詢子のひざにその頭をのせた。
「にゃん? (訳:それはさておき、お腹が空きませんか?)」
(続く)
(注1)
このツッコミもひさしぶりだけど、“クリケット”ね、“クリケット”。
(注2)
『菊黄蟹肥』という言葉が示すとおり、上海ガニの食べごろは大体10月~12月の間。本場中国では10月1日の国慶節に向けて需要が高まるので、日本に輸出されて来るのは大体それが過ぎてから。
だがまあ、彼女のことだからきっと上海まで飛んで行って食べたりするんじゃないかなあ?――と、想像される。




