第十話:兄と妹と姉と弟(その9)
【土曜日。17時47分】
さて。
東京都中央区沿岸部、隅田川の河口付近に位置する“月島”は、もともと西暦1892年に立てられた『東京湾澪浚計画』に基づき、湾内一帯から掘削・集積された土砂を利用して造られた人工島である。
そのため、そもそもあそこに与えられた地名は“築島”であったのだが、ナンヤカンヤの七転八倒・紆余曲折の果て、理由は結局よく分からないが、“月島”の字が当てられるようになった――らしい。(注1)
で。
ご存知の方も多数おられるとは想うが、こんな“月島”の名物がいわゆる“月島もんじゃ”――樫山泰仁 (31)をして「僕がもんじゃ焼きなんか食べるワケないだろ?」と言わしめたあの粉モン――である。
で。
一度でもあの地を訪れた方ならご記憶かとも想うが、清澄通りから隅田川寄りに2本行ったところにある商店街 (月島西仲通り商店街)に入ると、そこには70を越えるであろうお好み焼き屋が軒を連ねており、ここが所謂“月島もんじゃストリート”である。
で。
それでは何故、そもそも工業用の人工島として造られた“月島”にそんなナンジャモンジャなストリートが出来たのかというと――、
と、ここまで書いて作者は、
『そう言えば、僕ももんじゃ焼きとか別に好きじゃなかったな (注2)』
と、その幼少期、弟のわがままに付き合って食べた“いちごみるくもんじゃ”の奇怪千万な味を想い出すと (注3)、
『どうせ僕が書かなくても、気になった読者は自分でググるなりウィキるなりするだろう――』
と、読者の知的好奇心ならびにネットリテラシーを信頼・尊重するかたちで、もんじゃ焼きのお話はここで終了、本編を先へとすすめることにした。
だって結局、真琴くんも食べなかったみたいなんだもん。――もんじゃ焼き。
*
「――子、――ん子、――ゅん子、――詢子!――詢子ってば!」
と、自分を呼ぶ声に樫山詢子 (27)は、フッと我に返ると、
「ん?う?うん?――なに?どうかした?」
と、いつもの彼女からは想像しがたいテンション――というかしおらしさでこの声に応えた。
すると、そう応えられた方の佐倉伊純 (29)は、小分け袋に入った丸いなにかをフリフリッとしながら、
「たべないの?真琴くんからのお土産?」と、続けて訊いた。「けっこう普通におせんべいしてて美味しいわよ?」
と、いうことで。
ここはいつものマンション。いつもの詢子さん家のいつものリビングの変なカバーのいつものソファであって、彼女の兄・泰仁を除いたいつものメンバーが、いつものようなおしゃべりをしている最中である。
「どうする?樫山の分も残しておいてやるか?」と、三尾漱吾 (31)が言い、
「漱吾さんひとりで食べないでくださいよ、おせんべい。ロールケーキもあるんですから」と、山岸真琴 (28)がこれに応え、
「ここのホームページ見ると、これ以外にも肉球バージョンとかネコの顔の形したバージョンもあるようですね」と、スマートフォン片手の森永久美子 (25)が言った。「――ちょっと行ってみたいかも」
すると、
「そうなんですよ!」と、そんなグリコのリアクションに我が意を得たりとばかりの真琴。
「他にも和紅茶のセットとか肉球モチーフのひと口キャンディなんかもあって――」
そう言っては、まるでカワイイもの好きの女子高生かおばちゃんのようなテンションで続ける。
*
『やっぱり、だいぶ元気になったわよね――』
と、そんな風に話す真琴の横顔を見ながら詢子は想った。
4ヶ月前に初めて会った――って言うか、高校のときにも何度か会ってるらしいけど、まあそれでも――4ヶ月前に“ほぼ初めて”会った時はずぶ濡れの花嫁さんで、まるでこの世の終わりみたいな顔をしていたけれど――、
*
『それもみな、皆さんの――特に詢子さんのおかげが大きいのだと想います』
*
そう言った彼のお姉さんの言葉が想い出された。
そんなことないですよ、お姉さん。
真琴さんなら、私なんかいなくても――、
と、そんなことを想っていたら、彼がこちらを振り向いた。
ヤバい。
ちょっと見詰め過ぎちゃったかしら?
ニコリ。
と、こちらが笑うよりもはやく、彼がほほ笑みかけて来た。
ヤバい。
こっちも笑顔を返さなくちゃ。
あ、いや、もちろん、変な意図とかはなしで。
ただただ、ただの友だちとしての――、
*
『今回、調査を進めている中で、たまたま高校時代の弟の日記を読んだのですが (注4)――、その…………“樫山先輩の妹さん”として、詢子さんのことが何度か…………何度も?出て来てたんですね』
*
カッ。
と、顔が熱くなるのが分かった。
『ぼく、詢子さんのことがずっと好きだったんです』
と、初めて会ったあの日――って言うか、高校のときにも何度か会ってるらしいから厳密には違うんだけどって、ああメンドクサイ――そう。“ほぼ初めて”会ったあの日、彼が言った言葉も想い出され――、
いやいや、でもでも、あの日は真琴さんもアキラさんに逃げられたばかりで落ち込んでいたワケだし――、
「――子、ちょっと――」
そうそう、そうそう。それに、それに私は私でお酒も飲んでちゃってたし、ほんとうにそう言われたのかってのもいまとなって想えば記憶も曖昧で――、
「――ん子、――ゅん子ーー」
で、で、それからそれから、そうそう、そうそう。アキラさんに子どもが出来たって分かってからは真琴さんもやたらといそがし――、
「もう!じゅん子!――詢子ってば!」
*
『もちろん。“アレ”に健康な男性的生殖能力が備わっていることは、あきらさんとの件で実証済みですし、そういう意味では、その点で詢子さんにご不便をお掛けするようなことは先ずないハズでして――』
*
ボッ!
と、顔がまっ赤になっていくのが分かった。
「ちょ、ちょっと、どうしたのよ?詢子?!」
え?なに?伊純?どうかした?
「アンタ、顔まっ赤よ?熱でもあるんじゃない?」
え?!ウソ?!やだ!!バレちゃう?!!
「ホントだ、詢子ちゃん大丈夫か?」
ちょ、バカ、漱吾、声が大きい。
「あ、確かに。なんか赤いですね。――一応、熱とか測っておいたほうがいいんじゃないですか?」
ちょ、だからグリコも、話を拡げないで――、
「そうだな、真琴。そっちの引き出しに体温計なかったっけ?」
あ、こら、だから、バカ、漱吾。
「あー、前に見たことありましたね――えーっと、ほんと大丈夫ですか?詢子さん」
あん。もう、やさしいなあ、真琴さん。――って、いやいや“あん”じゃないわよ、詢子。
あなたはいま、あのお姉さんに変なこと言われて、それでちょおーっとばかしヘンなことを考えやすくなってるってだけで――、
「あ、ありましたよ、体温計」
そうそう。そうよ、樫山詢子。真琴さんは、真琴さんとはただの友だちで、ただの友だちなんだからして、あのお姉さんの言っていたような、そんな男女のアレヤコレヤに簡単になるわけが――、
「あれ?でもコレなんか形が違いますね?」
…………簡単じゃなければなるの?
「あ、真琴くん。それ婦人用の基礎体温計よ。――あきらさんとか使ってない?」
ああ、そうね。前の旦那のときに、念のためにって買っておいたんだったわね――、
「あー、はいはい。口にくわえるタイプの」
*
『また、失礼ながら詢子さんが受けられた婦人科検診のデータなども見せていただいたのですが、これがまた理想的な健康状態で――』
*
ホントにねー、あのバカ (前夫)がゲイじゃなけりゃーね、私だってひょっとしたら今ごろアキラさんみたいに――、
「はい。詢子さん」
「え?」――なんでこんなに近くに真琴さんがいるの?
「お熱、測るんでしょ?」
「熱?」――って、今日もやたら美形だな、この男は。
「ほんと、大丈夫ですか?」
「へ?」――ちょ、顔はのぞき込まないで下さいよ。
「やっぱり顔まっ赤ですねえ――じゃあ、はい、アーンして」
「アーン?」――って、ちょ、ちょっと、こ、この格好はちょっと…………、
*
『まあ、私の考え方がすこし古いのかも知れませんが、やはり我々山岸の者としましては、真琴と詢子さんの赤ちゃんをですね、こう、早く見たいという気持ちもやはりあって――、ですから詢子さんには、ぜひ、早めに、真琴と、その、アレを――』
*
ボボボボ、ボボボボッ!!!
と、ここまで来て詢子は、身体全体に火が点くような熱さを感じると、そのまま、
バッタン。
と、ばかりにソファのうえにそっくり返ってしまったのであった。
(続く)
(注1)
“月島”の名前の由来としては、港区三田にあった“月の見崎”から取ったという説もあるそうで、このお話の作者的には、出来ればこの説を推したかったりする。
そうそう。
“秋ならば 月のみさきや いかならん
名は夏山の しげみのみして”
――の“月の見崎”である。
(注2)
いわゆる“粉モン”なら広島風お好み焼きが好き。あのソバが入っているヤツね。
(注3)
あれ、どうしても好きになれなかったんだよなあ。――だって、イチゴとミルクとモンジャだよ?
(注4)
“たまたま”なハズがないのは、皆さまご賢察のとおり。




