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第一話:BL作家と六月の花嫁(その13)

 夜中にフッと目が覚めて、詢子は家のなかを少し歩きまわった。


 “度数控えめ3%”はとっくにどこかに消えうせていたけれど、頭はまだほんの少しぼんやりとしていて、気分もまだほんの少しもの悲しい感じがしていた。


 今日はなんだか色々なことがありすぎたからだろうか、まだほんの少し自分のいまいる場所が見失われているようだった。


 からかわれたのだろうか?


 と、そんなことをいっしゅん考えて、そんなことを考えた自分をいっしゅんで嫌いになった。


 リビングから兄の寝息が聞こえた。


 わたしを心配して残ると言ってくれたのだが、本当は真琴さん目当てなんじゃないか?とも想った。


 でもやっぱり、そういう兄ではないことは、妹であるこのわたしにも十分に分かっていた。


 この人は、本当にわたしのことを心配してくれているのだろう。


     *


 ぴゅぅいっ。


 と、西の空で鳥の鳴く声が聞こえた――気がした。


 “良い兆し”であれば良いのに。


 そんなことを想った。


     *


 それから、真琴さんには、ちょっとせまいとは想ったけれど、わたしの部屋の簡易ベッドを使ってもらうことにした。


 締め切り前の仮眠用に買ったやつで少し恥ずかしかったけれど、夫が出て行ったあとだとは言え、それでもやはり、夫婦の寝室に入ってもらいたくはなかった。


 もう少し若いころなら、リビングでのザコ寝も考えに入れたのだろうけれど、それでもやはり兄もいるし、わたしはわたしで彼女に告白されたばかりだし…………、


『え?』と、頭の中の“ほんの少しぼんやり”が突然どこかへと行ってしまった。『告白されたの?わたし?』


 外からの灯りで窓にかけていたウェディングドレスがさらさらと光った。


 そちらに目をうばわれそうになって、自分の部屋の扉が見えた。


 彼女はいま、あの扉の奥で眠っているはずだ。


     *


「詢子さんのことがずっと好きだったんです」


     *


 さっきの彼女のこえが頭のなかで響いた。


 不意に足のうらの感覚がなくなって、リビングのカーペットが雲のように感じられた。


 お腹のあたりが熱くなっていくのが分かる。


『だめだめだめだめ!』と、浮かび上がろうとする両足をどうにか地面に着けて台所へと向かう。


 “度数控えめ3%”がまだ残っているに違いない。


 だって――、


『だって、相手は女のひとよ?』いくら夫が男のひとと出て行ったからと言って、わたしまで女に走らなくたっていいじゃない。


 水を飲もう。


 顔も洗おう。


 ベッドに戻って、


 朝になったら、


 きっとお酒の席の冗談だったってことで――、


 でも、それはひょっとしてさみしいことなんじゃないの?


「詢子?」突然、兄のこえが聞こえた。「どうかしたのか?」


 このひとはいつもタイミングが悪い。


「……ううん」声がほんのすこしだけうわずってしまった。「お水のみに来ただけ」


「ふーん?」


 うん。まだ半分は夢のなかのようだ。


「山岸の部屋に行ったりするなよ?」


「う、うん」――なにか知ってるの?「兄さんこそ、入っちゃダメよ?」


「あー……そうかなあ?」


「そうよ」ほんとにこの人はバカなんだから。


「あー……」


「なに?」


「……山岸となんかあったか?」バカのくせに勘だけは鋭いから嫌われるのよね。


「……いや、なにもないけど?」


「そっか……」


 やっぱりまだ半分は夢の中ね。


「いや、さっきベランダから戻って来たらさ、なんかアイツ、ちょっと元気になってて…………あ、いや、なんでもない…………うん。元気になったんならいいか」


「そう……」


 すこしだけ、こんどは、胸のあたりが熱くなった。


「それは……よかったわね」


「ああ、だから……だからおまえも……すぐに…………すぐに……きっと……まえみたいに…………ごめん。おやすみ」


 それから、しばらくすると再び、リビングに兄の寝息がひびいた。


「うん……」


 そんな兄の様子を確かめると詢子は、彼を起こさないよう、ちいさく、しずかに、


「おやすみなさい」


 と言った。



(続く?)




 ……、



 …………、



 ………………、



 ……………………ガラガラガラガラ。



「おはようございます」


「お、山岸、おはよう」


「早いですね」


「なに言ってんだ、もう8時だぞ?」


「詢子さんは?」


「あー、まだ起きて来ない」


「けっこう飲んでましたもんね」


「下戸のくせにな」


「先輩といっしょですね」


「うちは由緒正しき下戸の一族でね」


「ブランデーチョコで真っ赤になってましたもんね?」


「お前がもらったチョコを分けてもらったときな」


「チョコ、苦手だったんですよね」


「ぜいたく言って、うちの高校で貰えるやつは希少種なんだぞ?」


「とは言っても、親戚の子からでしたけど」


「うちは母親も妹もくれなかった」


「詢子さんも?」


「“学校のひとたちからもらってください”ってさ」


「うちの高校でそれはないですよね」


「ほらアイツ、そのころからBL描いてたし」


「あー、詢子さんの部屋、その手の本たくさん置いてましたよ?」


「急なお客さんだったし、隠すヒマもなかったんだろうな」


「でも、それをお仕事にされてるんですからスゴイですよね」


「まあな。“芸は身を助ける”ってやつだ」


「……それ、ダジャレですか?」


「あ?…………違う違う」


「はは」


「まったく――」


「ところでそれ、なに作ってるんですか?」


「ああ、トマト缶があったから、残ってた大豆と野菜でトマトカレースープ」


「あ、それも美味しそうですね」


「カロリー制限とかはないのか?モデルさんだろ?」


「あー、けっこうやってますけど、血色悪くなるよりはキチンと食べろって言われますね」


「しかし細くなったよな?」


「つける筋肉が変わりましたからね」


「高校のときは“キャプテン・ア○リカ”のひとみたいだったもんな」


「それは言い過ぎですけど、まあブルース・リーみたいにはなりたかったですよね」


「それがいまじゃバレリーナみたいだもんな」


「カロリー制限なんかより運動ですよ」


「詢子にも教えてやってくれよ、いつもダイエットに失敗してるみたいだから」


「あ、そう言えば、ちゃんと伝わってますよね?」


「なにが?」


「その……なんでこんな格好なのか?とか」


「詳しくは説明してないけど、僕が男子校に行ってたのはみんな知ってるし (注1)、お前がそこの後輩だってことは最初に説明してあるし (注2)、モデル業の話はお前からしてたろ? (注3)」


「うーーん?その割りには皆さん…………例えば、先輩の家に行くのを止めたりとか」


「ああ、それはほら、詢子も伊純くんも男同士のアレやコレやが好きだからさ、変な妄想とかしちゃったんじゃないか?」


「……先輩とですか?」


「おい、気持ちのわるいこと言うなよ」


「ま、うちも姉が三人いますからそういう話に免疫がないわけじゃないですけどね」


「まあ、それはさておき。スープ出来たけど食べるか?」


「あ、いただきます」


「じゃあ詢子を起こして来るから、適当によそっててくれ」


「了解です」


「おーい、詢子ーー?そろそろ起きろーー」



(続く)


(注1)“その11”並びに“その12”を確認のこと。樫山と山岸の通っていた都立楠戸賀高校は都内でも偏差値が高いことで有名な男子校である。



(注2)“その4”“その5”“その6”を確認のこと。彼らはどちらも「高校の後輩」であることを微妙に言い落している。



(注3)“その5”並びに“その7”を確認のこと。撮影モデルをしていることの説明はあるが、だからと言ってそれが「女装したモデル」であるとはひと言も言っていないし、今回の彼の服装は微妙に骨格が見えにくいうえに喉ぼとけのあたりも微妙に隠れる形となっていた。


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