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第八話:十九の春と二十九の春(その7)

「わりい。戻ったらトイレ借りて良いか?」


 と、エレベーターを降りるなり三尾直克 (58)は言った。


 彼と彼の息子・三尾漱吾 (31)はたったいま、夕飯の買い出しから戻ったばかりであり――なるほど、帰り道でソワソワしてたのはこれだったんですね、お父さん。


「近くなったんじゃないか?父さん」と、部屋のカギを取り出しながらの漱吾。


「ちがう。大きなほうだ」と、いまにも踊り出さんばかりの足どりで直克。「さっきのコーヒーで腹が活性化したっぽい」


 ――汚いなあ。


「分かった分かった、漏らすなよ?」


 と、漱吾が言い、


 ガチャ。


 と、部屋の扉が開いた瞬間、


 ドタドタ。


 パタパタ。


 イソイソ。


 ガチャッ!


 ドンッ!


 バタンッ!


 カチャカチャ。


 ブ (*自主規制)


 ふい~~~~。


 と、目にも止まらぬ早業で用を足…………汚いなあ――な、直克であったが、よほど切羽詰まっていたのだろうか、買ったばかりのスーパーの荷物はもちろん、サイフやスマホを入れているショルダーバッグなんかも玄関先に放り出したままであり、大きめサイズのスマホなどはバッグからはみ出しているぐらいで…………不用心だなあ。


「荷物、勝手に運んどくよ?」と、トイレに向かって漱吾が言うと、


「おう。適当に持ってといてくれ、俺はまだま――っと、すまん」ブ (*自主規制)と言う音とともに直克は返事を…………もうもうもう、きったないなあ。


「やれやれ。変わんねえなあ」


 そう言いつつ漱吾は、買って来たばかりの食材と父のバッグを台所の方に運ぼうとしたのだが、その時、


 チャララ、チャッチャラ~~。


 と、直克のスマートフォンから石川さゆりの名曲『天城越え』のイントロが聴こえて来たので、


『お、母さんの好きな曲じゃん』


 そう漱吾は想うと、そのスマホの画面をのぞいてみた。


 なるほど、確かに。


 彼がのぞき見たスマートフォンの画面には


 “マイ・スウィーティー♡”


 の文字が浮かび上がっている――きっと、漱吾の母君・千枝で間違いないだろう。


「父さーん?」と、ふたたびトイレに向かって漱吾が叫ぶと、


「なんだー」と、引き続き踏ん張り加減に直克は答えた。


「母さんから電話だけどー、俺が出てもいいかーー?」


「おー、適当に話しといてくれーー。俺はまだまだかかりそうだーー」


「りょうかーい」


 と、父のスマートフォンを手に取る漱吾。


 カチャ。


「あ、もしもし母さん?オレオレ、漱吾漱吾。それがさあ、父さんいまお腹壊したかなんかでトイレ入っちゃっててさ。――多分コーヒーの飲み過ぎとかなんだろうけど、やっぱ年だよな、小さいほうもよく行くようになっちゃって………………………………って、アンタいったい誰だ?」


     *


 さて。


 これまで我らが楽しい三尾一家の引っ越し遍歴を、その夫婦仲の良さ (?)をも垣間見せつつ、語って来たワケだけれども、熱心かつ懸命・賢明なる読者諸姉諸兄の中には、次のような疑問を持たれた方もいるかも知れない。


     *


一.何故、中野弥生町の豪邸を後にした直克&千枝夫妻は、すぐに都内脱出することなく、更に五年ほどを都内の別の場所で暮らしたのか?


二.何故、三尾漱吾のようなガールフレンドが行ったり来たりするような男の父親が――見た目もそんなに悪くないのに――奥さん一筋でいられるのか?


     *


 そう。


 ひとは誰しも、自分の親には“自分の親”らしくあって欲しいと想うものだが、それでもやはり自分の親は、遺伝子配列を分け合った自分の親であり、だからこそ、


“この親にしてこの子あり”


 とか、


“カエルの子は、やっぱりカエル”


 というようなことわざも残されていたりなんかするようなのである。


     *


 ジャー。


 ザバザバー。


 ガチャリ。


 ふい~~~~。


 スッキリした。


 と、まるで“新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよー”っとばかりのスゲーッ爽やかな笑顔で三尾直克 (58)がトイレから出て来た。


 出て来たのだが、そんな彼を待っていたのは、息子・漱吾の、明らかな不機嫌&敵意丸出しの腕組み&仁王立ちであった。


「おい、こら、クソ親父」


 そう三尾漱吾 (31)は言うと、キョトンとする父の顔を忌々し気に数秒間にらみ付けてから、


「“マイ・スウィーティー♡”ってのは誰だ?」と、明らかな怒気とともに言った。「母さんじゃねーじゃねーか」


 すると、この息子の言葉に、一瞬且つ永遠とも感じられる一瞬の後、すべてを察っしたこの父親は、


「あー…………なんで母さんと間違えたんだ?」


 と、先ずは、言い訳にもならない言い訳を試してみることにした。


「俺が母さんを“スウィーティー♡”なんて呼んだことがあるか?」


「夫婦の間だけだと呼んでるかも知れねえじゃねえか」


「呼ぶワケねえだろ、気持ち悪い」


「着メロが母さんの好きな曲だった」


「母さんが好きなのは『津軽海峡・冬景色』で『天城越え』は知夏さんが好きな曲だ」(注1)


「“知夏さん”?」


「あ……」


「いま“知夏さん”って言ったか?――それがあの女の名前か?!」


「あ?おい、ちょっと待てよ、この野郎」


「あ?」


「お前、この野郎。俺の惚れてる女を“あの女”呼ばわりしやがったな?俺はお前をそんな息子に育てた覚えはねえぞ!!」


「ああ?“惚れてる女”?アンタいま“惚れてる女”つったか?――母さん以外に“惚れてる女”がいるなんて言わせねえぞ!!このクソバカ親父!!!」


     *


「ねえ?なんか上の階にぎやかじゃない?」


 と、そんな“上の階”のアレやコレやはどこ吹く風で、“迷える乙女の救世主”こと鷹子・カスティリオーヌ (38)は言った。


 すると、そんな姉の質問に、


「上の階って漱吾さんのトコだよ?」


 と、ジャガイモの芽を取りながらの山岸真琴 (28)が応えた。


「久しぶりの親子再会で盛り上がってんじゃない?」


     *


 と、言うことで。


 こちらは漱吾と同じマンションの、丁度漱吾の部屋の一階真下にある山岸真琴の部屋であり (注2)、彼らは彼らで夕飯準備の真っ最中のようであるが――あれ?坪井くんは?


「もうもうもうもう。絵になりますねえ~~」


 と、こちらはこちらで、そんな台所の見えるリビングソファでくつろぎ中の坪井東子 (30)。


「こんな美形姉弟のお手製手料理 (注3)が食べられるなんて、わたくし坪井、本望でございます」


 ――ってか、君は手伝わないの?


「あのね、ゲストに手伝わせるほど落ちぶれちゃいないわよ?私」


 と、作者の方を向きながらの鷹子。


 ――あー、そういうもんですか?


「誘ったのこっちだしね。――あと私、なるだけ料理はひとりでしたい派だしね」


 ――ってか、想像以上にお上手ですね。


「ほら、ウチはアレとアレ (注4)がアレだったからさ、料理関係は私が引き受けてたのよ。――茄子と真琴への教育も含めて」


 ――あー、だから茄子さんも真琴くんも手際が良いんですね。


「そうそう。――あ、ってか、作者さん?」


 ――はい?


「東子ちゃんってさ、ひょっとして“お兄さん”のこと好きなの?」



(続く)

(注1)

 どちらも石川さゆりさんの名曲。

 いいよね『天城越え』――業が深くて。


(注2)

 第二話“その1”を確認のこと。

 最初は真琴も漱吾と同じ階になる予定だったけれど、詢子や伊純やグリコからの忠告並びにマンションオーナー (女性)からの計らいなんかもあって、どうにかこうにか彼と同じ階は免れた模様。――まあ、それでも真下の部屋になったりするのだから、腐れ縁というのはなかなかに怖いものですね、はい。


(注3)

 どーでもいいけど、君も編集者の端くれなら、言葉の重複ぐらい避けなさいよ。――ほんと、頭痛が痛いわ。


(注4)

 長女の富士子さんと彼女たちのお母さんのこと。

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