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第一話:BL作家と六月の花嫁(その11)

 ブブッ。


 と、カウンターの上に置いておいたスマートフォンが鳴ったので、グリコは皿洗いの手を止めた。


 画面には“漱吾 (バカ)”の文字が見える。どうやらメールの着信のようだ。


     *


「あ、アンタ、また勝手に写真撮ったの?」


 と、三尾漱吾のスマートフォンをのぞき込みながら佐倉伊純は言った。駅に向かう赤信号が今日はやたらと長い。


「真琴ちゃんにはちゃんと許可をもらったさ」と、漱吾。「樫山とのツーショットを撮ってあげたんだ」


「あげたってなによ?」と、伊純。「……なんだ、詢子もはいってんじゃない」


「恥ずかしかったんだろうな、ツーショットにしてあげようとしたのに“詢子さんも!”って引っ張って来てた」


 なるほど。流石の漱吾もアレはあやしいと想うワケね。


「アンタどう想う?」


「真琴ちゃんと樫山?」


「うん」


「真琴ちゃんには悪いけど、あのバカはいま東子ちゃんに夢中だろ?」


「あ、じゃなくて」


「真琴ちゃんがどう想ってるか?」


「普通女の子はさ、彼氏にフラれたら女友だちの所に行くんじゃない?先ずは」


「男でもそうだよ。樫山だって妙子さんにフラれたときは――」


 と、ここで信号が青に変わったので、漱吾は持っていたスマートフォンをコートのポケットにしまうと、「泣きながら俺のところに来たんだから」と言って歩き出した。


 すると、そんな彼の背中を目で追いながら伊純も、「そう、そこよね」と言って歩き出した。


「たまたまこっちに来てたからって男の先輩の家に泊まろうとする?」


「ま、男の夢だよな」と、周囲の人なみにつられたのか、少し早歩きになりながら漱吾。「カワイイ後輩がずっと想っててくれるなんてさ」


「ねえ」と、こちらも人なみにつられながら伊純。「残念ながら、あの先生は気付いていらっしゃらないみたいですが――」


「あーあ、俺も男だらけのアメフトなんかやるんじゃなかったよ――」


     *


「じゃあ結構な強豪校だったんですか?」と、資料用の『背景カタログ六月号』を本棚に戻しながら森永久美子は訊いた。


「というか、猪熊先生がクリケットやってたなんて初耳なんですけど」


「こう見えてもバッツマンとしてはちょっとしたもんだったのよ?」と、こんどは同じ本棚から『人体デッサン (アクション編)』を取り出しながら猪熊。


「“光が丘のテンドルカール”なんて呼ばれたりしてね」


 ごめん、先生。ローカル&マニアック過ぎてなにが“ちょっとしたもん”なのかからよく分かりませんし、“テンドルカール”が誰かなのかもまったく分かりません。


     *


 ――“サチン・テンドルカール”って知らない?


 ――知りませんよ。そもそもどこの人ですか?


 ――インドのマハーラーシュトラ州ムンバイのひとで、右投右打。強力なバッツマンで様々な大記録を打ち立てたのよ。


 ――はあ。


 ――で、それらの業績から業界では“クリケットの神さま”とまで言われているわけなんだけれども、そもそものデビューは1989年14才のときで……、


 ――あ、ごめんなさい。先生。


 ――なに?


 ――やっぱ興味ないんで、本編に戻らせてください。


     *


 ということで。


「じゃあ、お兄さんの学校とも対戦したことあるんですか?」と、グリコが訊くと、


「まさか」と、笑いながら猪熊は返した。


 ――クリケットの講釈はまたいずれね。


「先ず学年が違いすぎるし――って、イヤなこと想い出させるわね。……あと、それに樫山先生は楠戸賀高校でしょ?クリケットも男女別々が基本なのよ?」


     *


 その夜も、街の空はあいにくの真っ暗闇であった。


 がそれでも、2人のいるリビングには、街の灯りが、窓から室内へと流れこんで来ていた。


 せめて月明りか星明りでもあれば良いのに。


 と、そんな街の夜にすこしばかりの敵意を感じつつ山岸真琴は、それでも。と、ちょっとばかりの勇気をふるい立たせると、


「あのね、詢子さん」


 と、こちらの緊張が相手に伝わらないよう十分な注意を払いながら、そっと、静かに言った。


 目の前のテーブルの白い平皿のうえには、何故だか黒いサンド・クッキーが一個だけポツン。と、取り残されていて、それを見付けてしまった真琴は、そのクッキーのほうへと手を伸ばすと、


「――もらっても良い?」


 と、訊いた。


 すると、この問いを、正面から、まっとうな、ただの質問だ、として受け止めた詢子は、


「どうぞ」


 と、だけ返した。


 頭のなかでなにかとなにかがつながりたがっているような感じがするけれど、そのナニカとナニカがどのようにつながりたがっているのかはまったく分からない。


 でも、なにか、もっとちがう言葉を伝えてあげないといけない。


 と、ぼやけた頭のままに詢子は、その口のうごくままにまかせると、


「“わたしたちはここに、五つのパンと二匹の魚しかもっていません”」


 と言って、すこし笑った。


 そんな彼女のほほえみに、その言葉の意味もハッキリとは分からないままに真琴は、そのひとつのサンド・クッキーを手に取ると、


「“五つのパン”?」


 とつぶやきながら、そのクッキーをふたつに分けた。


 すると今度は詢子が、そんな真琴のつぶやきに、


「“二匹の魚”♪」


 と、うたって返して来たので真琴は、そのふたつに分けたクッキーを、その白いクリームがより多く残されたほうの欠けらを、詢子の前にスッと差しだした。


「ありがと……」


 と詢子は、その差しだされたクッキーを見つめながら言うと、


「真琴さん、いい人よね?」


 と、真琴の手から直接、その欠けらを、自分の口の中へと入れた。


 一瞬、窓から星の明かりが入り込んできた――ような気がした。


 すると、そんな彼女のことばと行動に勇気をもらったのだろうか真琴は、彼女から少し視線を外すと、


「あのね、詢子さん――」


 と、改まりながら言った。



(続く)

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