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第八話:十九の春と二十九の春(その4)

 さて。


 曙橋にあった三尾漱吾の生家が火事で焼失して後、一家はなんやかんやあって代々木の外れの外れに一軒を構え生活を再開したわけであるが、それから7年後の平成12年 (西暦2000年)、彼らはふたたび、この土地を追われる、というか出て行くことになった。


 ――大型高級マンションの建設計画である。


     *


「あんた!それほんと?!」


 と、ことある毎に東京の風景が様変わりするさまを嘆いていた直克の妻・千枝も、その大手建設会社から提示された予想外の金額に、


「あー、もー、それは出て行きましょ!あー、もー、それは出て行きましょ!!出て行ってもっと良いところに引っ越しましょ!!!」


 と、およそ江戸っ子らしくない、下町情緒の欠けらもないような言葉を口にしつつ、その日々の家事と子育てで大層ガタイのよくなった大層頑健な身体を欣喜雀躍させた。


 ああ、そうそう。一応、子どもは5人で打ち止めにすることにしたそうです。


「ま、そうするってえと、また一軒家を持てないこともないけどなあ――」


「もう、さ、都内もさ、やっぱこうゴチャゴチャし過ぎっちゃってるじゃない?ほら、浦安の先に越した森谷さんとかさ、川崎の方に越した松嶋さんとかさ、結構な豪邸に住んでんじゃない?だからさ、あたしらもさ、こーんなごみごみした都会なんか打っちゃってさ、東京脱出しましょうよ――」


 と、遡れば家斉将軍の“ただただ袴を畳むだけのお仕事”を任されたというご先祖さまを持つくせに、そんなご先祖さまが眠るこの土地への執着心の無さ丸出しで千枝は言った。


 言ったのだが、これに珍しく反対したのが夫・直克で、


「いやしかし、親戚連中の手前もあるし、ガキどもの学校の関係もあるしよお――」


 と、なにやら乗り気ではない様子。


「そりゃアンタの通勤の手間は増えるかも知れないけどさ、郊外は良いらしいわよ。静かで、落ち着いてて、空気がキレイで (注1)、子どもたちの教育のためにもそっちのほうが良いんじゃないかしら?」


「いやしかし、親戚連中が――」


「なに言ってんだい。火事の時にも見舞い金のひとつ持って来ないようなひと達じゃないか」


「いやそれでも血の繋がりってやつは――」


 と、まあ、なにやら歯切れの悪い直克の調子もあってか議論は平行線を辿るのだったが、結果として、奥方希望のこの都内脱出計画はこの時は持ち越されることになる。


 ――中野弥生町の大伯父 (生涯独身)が突然死したのである。


     *


「なんだ、それじゃお前ら、全員いま独り身か?」


 と、三尾直克 (58)が息子・漱吾 (31)に向けて訊いた。


 ここはいつもの喫茶店。いつもの『シグナレス』のいつものソファで、いつもの六人がちょうど集まったところでもあった。


「まあ確かにそうなんだけどさ、父さん。それはみんなたまたま今はそうだってことでさ、時代も時代だし――」


 と、いつもの暴言役を取られた漱吾がなにやら常識的なことを言いかけると、


「いや、お前がひとりの女に落ち着けねえってのは分かるよ?ガキんころからそうだったからな」


 と、江戸っ子気質丸出しの早口で直克は応じ、そうして、


「だからそれは父さんも母さんも心配ってか半分あきらめかけてるけどさあ、それでも――あ、そうだよ、泰仁くん」


 と、ここで突然話を振られるのは樫山泰仁 (31)である。


「は、はい?」


 と、挙動不審な感じで彼は応え、


「ほら、何年か前に会わしてもらったじゃないか?やたらと元気な金髪の。あの娘さんとは――」


 と、直克が続けたところで、


「あーあ、父さん。あーあ、父さん」


 と、メンドクサイ諸々の事情を知っている漱吾が『分かってくれよ、父さん』というオーラ全開で彼を止めた。


 なので今度は直克は、


「そうか?あー、なら、そうだよ、詢子ちゃん。詢子ちゃんにもいたじゃないか?顔はいいけど、なんだかナヨッとした感じの――」


 と、樫山詢子 (27)の方を振り返りながら言った。


 言ったのだが――


「あーあ、父さん。ゴホンゴホン」


 と、これも漱吾に止められることになり、


「若いグリコちゃんなら――」


 と、言っては止められ、


「伊純ちゃんほどキレイなら――」


 と、言っても止められた。


 なので彼は仕方なく、最後は本日初体面である山岸真琴 (28)に話を振ろうとして――、


「だったらマコトちゃん…………って、ちょっと待った。アンタ男かい?」


 と結局、どうやら現在いちばん面倒な立場にいるであろう男の話を最初から聴くことになったのであった。


     *


「あら、東子ちゃんじゃない?」


 と、坪井東子 (30)に声を掛けて来たのは、“フフォン・ラ・カスティリオーヌ (年齢非公開)”こと鷹子・カスティリオーヌ (38)であった。


 ここは樫山泰仁宅に通じる千駄ヶ谷の細い細い――トワイライトゾーンぽい――路地であるが、そろそろ夕暮れ時なのでいよいよ“トワイライト”感が強まっている。


「“お兄さん”なら真琴たちと一緒にいつもの喫茶店よ?」と鷹子が続け、


「あ、いえ、今日は樫山先生とは違う件でして――」と、坪井は応えた。「というか、カスティリオーヌ先生こそどうしてここに?」


     *


 さて。


 坪井と鷹子両名のファーストコンタクトは、“あの夜”に千駄ヶ谷周辺を取り囲んでいた時空間の歪み――のせいかどうかは分からないが、第六話“その13”でもお見せした通り、見事にすれ違ったまま終わった。


 が、そこはそれ腐っても一.五流出版社勤務の坪井東子嬢である。その後も――主に真琴くん経由でだが――諸々の策を講じ、時には人に言えないような裏技なんかも駆使して、見事この“悩める乙女の救世主”なベストセラー作家とお近付きになることが出来た。


 出来たのだが、作家としてのカスティリオーヌ女史は、


“先生はただいま大変多忙な状態でございまして云々”


“新規のご依頼は基本お断りしておりますでごじゃりますでおじゃります云々”


 だそうで、その旨を書いた超長文&超々ご丁重な――日英文併記の――封書が向学館文芸部宛てに届いたことなんかもあって、


「ごめんね、東子ちゃん。そういうことらしいんだ」


 と、仕事には結びつかなかったようである。


 であるのだが、その代わり、


「いえいえ、もうもう。それはそれご縁のものですし――それに、それはそれとして私カスティリオーヌ先生の大大大大大ファンですので、こうしてお会い出来ただけでも大大大大大光栄なんです」


 と、まるで女子中学生の如き (アラサーだけど)感激口調&伏し目がち&キラキラ目のチラ見で自分を見る坪井東子 (童顔)にズッキューンとした鷹子が、


『ああ、もう、好き!!』


 となってしまったことなんかもあって、


「私のことは“お姉さま”と呼んでちょうだい!!」


 と、そのふくよかな胸に坪井の顔を埋めさせたりしたことなんかもあって現在、まあプライベートでは普通に仲良く交流させて頂くふたりなのであった。


 え?


 “あの夜”鷹子が泰仁宅にお泊まりしたことを坪井が知ってるのかって?――そーんな恐ろしいこと、少なくとも、私は伝えておりません。


     *


 と、言うことで。


 場面はふたたび千駄ヶ谷の細い細い“トワイライトゾーン的路地”である。


「ああ、これよこれ」と、手にしたエコバッグ (ホッキョクグマ模様)を持ち上げながら鷹子。「あと“先生”はやめて、こっぱずかしいから」


「お買い物?ですか?」


「そうそう。この前教えて貰った揚げ立てコロッケがまた食べたくなってさあ、真琴のところ行ったついでにあそこのスーパー寄ったんだけど、あそこビックリするぐらい安くて豊富なのね、食料品」


「コロッケ?――ああ、“タイガース”ですね」


「そうそう。耳に残るわよね、あそこの“六甲おろし”。ここ、東京なのに」


「オーナーの布教の一環らしいです」


「おかげでお肉とお野菜買い過ぎちゃってさあ――悪くなる前に真琴のところの冷蔵庫借りようと想って、いまからまたあの喫茶店に戻んのよ、あの子のカギ借りに」


「というか、お料理とかされるんですね?」


 ――ねー、僕もいま同じこと想った。


「イメージと違う?」


「あ、すみません。そういう意味では――」


「いいのいいの、よく言われるから。でも好きなのよ、お料理。子どもの頃からやってるし――ってか、東子ちゃんごはんは?」


「はい?」


「よかったら、真琴のところ借りてご馳走でもしよっか?」



(続く)

(注1)

 そりゃ都内に比べればキレイだけどさ、そんな言うほどキレイでもないよ?川崎も浦安も大森海岸も。

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