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第八話:十九の春と二十九の春(その3)

 “フフォン・ラ・カスティリオーヌ (年齢非公開)”こと鷹子・カスティリオーヌ (38)は、東京というこの奇妙奇天烈摩訶不思議な街が好きでも嫌いでもなかった。


 そりゃあもちろん、生まれ育った街ではあるし、お洒落なエリアはお洒落だし、お洒落じゃないエリアもお洒落じゃないなりに味わいがある。


 自然だって豊かだとは言い難いけれど、大きな公園に出向けば大きな公園なりの自然を満喫しつつ大きな公園レベルの自然派を気取ることが出来るし、なによりかにより、すぐに都会に戻れる位置にある自然は魅力的だ。


 食べものも、まあ美味しくないところはビックリするぐらい美味しくないけれど、美味しいところは毎晩通い詰めたくなるぐらいには美味しい。


 ファッション、本、蕎麦。イタリア料理に中華料理。――そうそう。この前教えてもらったスーパーの揚げたてコロッケ (68円)もビックリするほど美味しかったわよね。


 が、それでも。


 それでも彼女は街を出た。


「世界の何処かに、私を待ってるひとがいる」


 と、夢見がちな女性たちに向けた恋愛啓発本には――往年の名シンガーの歌からパクった――具体性の欠けらもない理由を書いておいたが、要は、


「姉と母に我慢が出来なかった」


 と言うのが、彼女の本当のところの本音であった。


 特に姉の富士子とは犬猿と言うか水と油と言うか不倶戴天と言うか排他的経済水域的にウマが合わず相容れない関係であった。


 だから東京を離れ、京都や大阪やソウルや上海やロスやボゴタやミラノやロンドンやローマやパリなんかを、行ったり来たり、来たり行ったりすることになっていた。


「にゃん? (訳:ニューヨークは粉雪の中らしいですよ?)」


「え?男はそれほど重要じゃないわよ」


「にゃんにゃん (訳:けっして行けない場所でもないですからね、ニューヨークぐらい)」


「安心して、あなたのご主人を盗ったりはしないから」


 そう。だから今回も“ちょっと気になった”程度ですぐに離れるつもりだったのだけれど、話を聞けば聞くほど弟は重症だったし、もう一人の男も…………“アレ”は一体、何を隠してるんだろうね?


「にゃふう。 (訳:種明かしをいつまでもしないからこその種なのです)」


「ああ、あなたから見てもやっぱりそう?」


「にゃにゃにゃん。 (訳:人はみな望む答えだけを、聞けるまで尋ね続けてしまうもののようです)」


「そっかー、あーあ、まあいっかー、どうせいつか分かるでしょ?」


 そう。


 ひとはだれしも、生涯に一度か二度、すばらしいチャンスに出くわすことがあるし、そのどうしても逃したくないチャンスを逃してしまったら、あとには決して埋められない小さな穴を心にポッカリ開けることになる。


 いや。


 だから。


 多分。


 そんな心にポッカリ穴を開けた男の本音を聞きたいのなら、その“どうせいつか”が来るのを待つしかないのであろう。


 と、百戦錬磨の我らが鷹子・カスティリオーヌは想ったし、実際のところ、彼女の立ち位置的には、それこそがベストではないにしろベターな解答でもあった。


「うにゃうにゃ、ふにゃん。 (訳:それでもやはり、“出会わなければよかった人などいない”と言って、我々は笑うべきなのです)」


     *


「よお、泰仁くん。相変わらずしけたツラしてんなあ」


 と、三尾直克 (58)は樫山泰仁 (31)に向けて言うが早いか、彼の返事を待つことなしに、その隣にいた樫山詢子 (27)に目をやると、


「あれ?詢子ちゃんかい?どうしたんだい?キレイになっちゃって」と、続けた。「――どうだい?漱吾のお嫁さんになってやってくれないか?」


 と、言うことで。


 ここはいつもの喫茶店。いつもの『シグナレス』のいつものソファである。


「え?いやですよ、そんなの。このアホのアホさ加減はおじさんが一番よく知ってるでしょ?」


「あー、それはもちろんこのアホはアホなアホだけどさ、こーゆーアホにこそ詢子ちゃんみたいな――」


 と、まあ、前項の伊純とのようなやり取りを詢子とも繰り返す直克であったが、突然の直克登場&お喋りに付いて行けていないのが、泰仁たち兄妹の前に座っていた森永久美子 (25)である。


 彼女は、飲んでいたジンジャーレモンティーをテーブルの上にソッと置くと、


「すみません」


 と、樫山の方に小さく身を乗り出しながら訊いた。


「こちらの“怖くない時の蟹江敬三さん”のような方は――?」


 すると、この彼女の質問に樫山も、飲んでいたアイスアップルグリーンティーをテーブルの上に小さく置くと、


「――漱吾の親父さんだよ」と、小声で答えた。「そっか、森永くんは初めてだったね」


「あー、声質が似てるんでそうかな?とは想いましたけど――顔はあんまり似てないんですね?」


「あー、そうだね。漱吾はどっちかって言うと……“若いころの”お母さん似だから」


 すると、こんな二人のやり取りも聞き逃さないのが直克である。


「だから伊純ちゃんにはまたフラれちゃってさあ、だからこのアホをかわいそうだって想うんなら――おっ、なんだい?ウチのラブなワイフに興味あるかい?」


 と、詢子との会話をいきなりやめると、今度はグリコと樫山の会話にササッと割り込んで来る。


「写真見るかい?――ガキを5人も……あれ?6人だっけ?…………あ、いや、5人で合ってるな……ガキを5人も産んだから、ちょおっと大きくなり過ぎてはいるがよ、いい女なんだ、これが」


 と、自身のスマートフォンを彼らに渡しながら直克。


 なるほど、確かに。


 グリコが受け取った彼のスマートフォンの待ち受けには、キレイな――というか、たくましいというか、並みのプロレスラーなら3人ぐらいは素手で組み伏せそうな感じの直克の妻・千枝が、これまた並みのヤクザなら4~5人は噛み殺せそうな感じのシベリアンハスキーとともに写っている。


「どうだい?いい女だろ?」


 と、相手が答えに困るような質問を直克はグリコに投げると、ふといま気付いたかのように、


「って言うか、そちらのかわいらしいお嬢ちゃんとは初めてだよね?」と、樫山に訊いた。「――泰仁くん、紹介してくれよ」


「あ、そっか、そうですね」と、立ち上がりながら樫山が言うと、


「あ、どうもはじめまして」と、こちらも少し腰を上げながらグリコが応える、「森永久美子と言います。詢子先輩の大学の後輩でして――もちろん私も、さすがに漱吾さんだけはご遠慮させて頂きます」



(続く)

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