第七話:コペンハーゲンと小さな青い箱(その13)
「そう言えばあなた、兄さんとはウマが合ってたわよね?」と、新しい“クララ”をくぴくぴくぴっと飲みながら樫山詢子 (27)は訊いた。「食事とか、服とか、小物の選び方とか――」
とりとめのないことばかりしゃべっているのは自分でも分かっていたし、とりとめのないことぐらいしかしゃべれないのも十分よく分かっていた。
浮いたり沈んだり、“もしかして”と想っては“それはもうない”と想ったり、いくら“女性にも飲みやすく度数控えめ“な“クララ”だとしても、そんな気分や思考と、そんな飲み物の組み合わせには十分な用心が必要であることも十分よく分かっていた。
『でも、いちばん最初に現れる影響が“その用心を忘れること”なんだから、罪深いわよね』
と、彼女がバッカスだかカミクシオウだかに文句か感謝だかを投げ掛けようとしていると、そんな彼女の思考を知ってか知らずか、目の前の男性――彼女の元夫・楡尚紀 (28)が、
「ぼくが?樫山先生と?」
と、例のちょっとジョニー・ウィアーを想わせるようなつぶらな瞳で訊いて来た。
なので詢子は、
『さすがに真琴さんほどじゃないけど、この人もキレイな顔してるのよね』
と、今度は世界各地の美を司る女神さまたちに文句と感謝の入り混じった言葉を投げ掛けようとしたのだが、
『でも、変な呪いとか掛けられても困るから今はやめておこう』
と想い直してから、
「そうよ?“アレ”とウマが合うひとは珍しいんだから」
と、目の前の男性に――前みたいな関係には絶対に戻れないであろう男性に――応えた。
「そうかな?お兄さん、そんなに変なひとじゃないよ?」
「ううん。アレは絶対ちょっとオカシイって。あの家にずっとひとりっきりだしさ、そりゃ漱吾や私たちが時々行ったりするけど、なんか、食事も洗濯も掃除も、ネコの世話までそつなくこなすしさ」
「いいことじゃない」
「いや、そうだけどさ、なんて言うか、女ッ気のひとつもないって言うか――」
「でも前に……ほら、金髪の、関西弁の――」
「ああ、あの人とはなんか自然消滅しちゃった――って言うか、追いかけたり連絡取ったりもしていない感じだし、いまは他の、おっぱいのおっきな編集のひとのことが気になってるみたいだけど、それもなんか本気でどうこうする感じもないし――」
「ただ奥手なだけじゃないの?」
「いや、あれは……変なこと訊いていい?」
「――なに?」
「プロ……って言うと怒られるかも知れないけど、その、あなたの目から見てどう?」
「――なにが?」
「兄さん、ひょっとして男のひとが好きだったりしない?」
*
「ウソよ、ウソ。私、そんなこと絶対に言ってないわ」と、デザート用のスプーンをとなりに座る男性に向けながら中谷あきら (25)は言った。「富士子さんも鷹子さんもおキレイな方じゃない。――“鬼ババみたい”なんて言うはずがないわ」
とりとめのないことばかりをしゃべっているのは自分でも分かっていたし、とりとめのないことぐらいしか“しゃべってはいけない”のも十分よく分かっていた。
浮いたり沈んだり、“もしかして”と想っては“それはもうない”と想ったり。それでも“よかったら一緒にたべない?”と言われたときはうれしかったし、それがたとえ妊婦を気遣っただけの言葉だったとしても、その時の感激と、そんな気分や思考の組み合わせには十分な用心が必要であることも十分よく分かっていた。
お酒は飲んでいない。――自分ひとりの身体じゃないもんね。
『ホント、気を付けないと――』
と、そんな彼女の想いや希望を知ってか知らずか、目の前の男性――彼女の元恋人・山崎真琴 (28)が、
「いや、たしかに“鬼ババ”とは言ってないかも知れないけどさ――“とって喰われそう”みたいなことは言っただろう?」
と、自分の知る女性たちよりも数倍はするであろうキレイな顔と瞳で訊いて来た。
なのであきらは、
『ホント、神さまってのは残酷よね――』
と、トイレに立ったまま一向に戻る気配のない彼のデート相手にほんの少しの同情と謝罪をこころのなかで表しつつ、
「それはね、あんなキレイな――迫力のある人たちの写真を見せられたら、ほら、同じ女としてちょっと怖くなるじゃない?ただ、それぐらいの意味よ」
と、目の前の男性に――前みたいな関係には絶対に戻れないであろう男性に――応えた。
「でもやっぱり、マコトも含めて、あなた達姉弟ってよく似てるわよね」
――“この子”も、きっと、この人に似るのだろう。
*
ハハッ。
と、声に出したりはしないままに楡尚紀は、そう大きく笑うと、そんな彼の動きにちょっと驚いた様子の詢子に気付き、すぐにその小さな――少年のような口をキュッと閉めた。
そうしてそれから、
『やっぱり、分かっては貰えないんだろうな』
と、諦めにも似た笑顔――いつも彼女に見せていたあのはにかんだ笑顔を見せながら、
「ないない、お兄さんに限ってそれはないよ」
と、言った。
すると、そんな彼の態度と言葉に樫山詢子は、それでもすこしおどけた口調で、
「ホントに?――だって、あまりにも奥手よ?あのひと?女性に対して」
と、続けて訊いた。
「信用してよ、詢ちゃん」
「たしかに、尚さんが言うと説得力あるけどさあ」
「だろ?――やっぱり違うんだよ、こればっかりは。まったくの別ものだもの。女性が嫌いだから苦手だから男性を好きになるワケじゃないし、もちろん“男だったら誰でも良い”ってワケでもないよ」
と、ここまで言って尚紀は、また、ここまで聞いて詢子は、フッと、今日のこの会食に、なにがしかの意味を見出そうとし掛けたのだが、
『そんなことをしてはいけない』
と、互いが互いに想いながら、しかしそれでも、先ほどの尚紀のセリフに、双方ともに、どうしても引っかかる部分があったのだろうか、
「じゃあ、だったらさ――」
と、先ずは詢子が、飲みなれないお酒で掠れてしまった声で訊き、
「うん。それはもちろんそうだったよ」
と、次に尚紀が、せめてもの優しさなのか、男らしさなのかは当人にも結局は分からないのだろうが、
「女性が嫌いだから苦手だから男性を好きになったわけじゃないし、だからもちろん詢ちゃんのことも――」
と、答えた。
(続く)




