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第七話:コペンハーゲンと小さな青い箱(その11)

「だからさ、実感としては、分からないこともないんだ――2枚交換」そう手持ちのカードを捨てながら樫山泰仁 (31)は言い、


「うーん?実感もなにも、俺はその話自体が未だに飲み込めていない」と、同じく手持ちのカードを場に置きながら三尾漱吾は応えた。「――4枚交換」


 するとここで、


「4枚?」と、ディーラー役の森永久美子 (25)は彼に疑問を呈したのだが、


「いんだよ、大穴狙いだから」と言う漱吾の言葉に、そのまま新たなカードを4枚配ることにした。


「うん。――ま、上々かな?ベット」と、カードを一瞥しただけの漱吾は言ったが、


「あー」と、彼よりも先にカード交換をした樫山はまだ決めかねているようである。


「はやく決めろよ、ためらってばかりなのがお前の悪いクセだぞ?」と、漱吾。


「分かったよ、コール。――あ、そうか」


「なんだ?」


「いや、さっきの話の続きなんだけどさ」


「ああ、“タセカイなんとか”な」


「例えば、『蒼穹のアリシア』の最後のレースでは、結果的にМGRの“千年王国”が勝利しただろ?」


「うん?――ああ、そうだったかな (注1)」


「でも、可能性としては、アリシアの“バーナ・フリオンサ”が勝つ可能性も“同時に”存在していたんだ」


 と、ここで一瞬、テーブルに座る残りのふたりの――三尾漱吾と森永久美子の――思考回路は停止しかけたのだが、


「は?そんなの当たり前じゃないか?」と、止まりかけた自身の脳みそをどうにかこうにか動かそうと漱吾が言った。「そりゃレースだもんな?誰が勝つかの可能性は最後まで残ってるさ」


 すると、そういう漱吾の言葉に樫山は、


「あ、いや、ちょっと言い方が足らなかったかな」と、テーブル右手側に置いていたアイスコーヒーの入ったコップを持ち上げると、


「大事なのは“同時に”って部分なんだ。“千年王国”が勝つレース展開も、“フリオンサ”が勝つレース展開も、それにひょっとしたら、“スティーリー”が勝つレース展開も、実は“同時に”存在してたんだ」


 と、言った。


 そうして、そう言っておいてから樫山は、手にしたコーヒーをひと口すすると、反対の手にあったカードをテーブルの上に乗せ、


「例えば“あの時”、最後の直線に入った“フリオンサ”は地面に落ちてた小枝を踏んだ。馬身が若干左によれ、となりを走っていた“コクーン”にぶつかり掛けた。

 でもそれは、その描写を書いた僕が、その数十分前の僕が書いた“その時、西からの強い風が、トキコの黒い髪を襲った”という一文を想い出したから書けたことで、その強い風で動いた小枝の映像をフッと“想い出した”からなんだよ。

 つまりそこで、その事象を観察した僕によって、“フリオンサ”が“コクーン”にぶつかり掛ける未来が確定した。

 なんだけど、もちろん、風が吹かなかったり、吹いても小枝を動かさなかったり、動いても“フリオンサ”が踏まなかった世界も“同時に”存在していたし――多分、“他の世界”では、“他の僕”が、その展開を当為のものとして書いていて、しかも、それを書いた“その世界”はまだずっと存在している」


 と、なんだかよく意味の分からないことを語った。


 すると当然、こんな話には何の興味もないであろう三尾漱吾は、『伊純は結局なにを買いに行ったのだろう?』みたいなことを考えながら、


「うん?あ、うん。――まあ、そうだよな」


 とだけ応えた。


 応えたのだが、彼のこの言葉を“話を続けろ”の意に解した樫山泰仁は更にコーヒーをひと口すすると、


「それでも多分、僕が同時に見られる“世界”ってのは2つか3つ位でさ、本当にスゴイ人たち――例えば猪熊先生とかは――多分7つとか8つとか、ひょっとすると10以上の“世界”を同時に見つつ、話を紡いでいるんだと想うんだよね」


 と、続けた。


「――どう想う?“グリコちゃん”?」


 すると、この彼のセリフに驚いたのは、突然話を振られた、と云うか、今まで樫山からは呼ばれたことのない呼び名で呼ばれた森永久美子である。


「どうって――?」


 と彼女は、こちらを向く泰仁の異常に真剣な眼差しにほんのコンマ数秒ほどためらったのだが――、そのコンマ数秒ですべてを合点したのだろう、


 プッ。


 と笑うと、


「いまのはワザとですね?!」


 と、両手で泰仁を指差しながら言った。


「ちょっとビックリした?」と樫山が訊き、


「こんな話の流れで“グリコちゃん”って言うんですもん」と、グリコは応えた。


「そう。でも、ひょっとすると、僕が森永くんをそう呼んでる世界だってあるかも知れないだろ?」


「一瞬、平行世界に迷い込んでたらどうしようか?って想いましたよ」


「と、まあ、だからさあ、さっき漱吾が言った“ためらってばかり”ってのは本当にそうなんだよ。――僕ら的には。

 いくつもある世界から――多分、その日の体調とか、前日に見た映画とか、冷蔵庫に残ってる食材とか贖罪とかに影響されながら――自分が描く・描ける世界を選び取って行く。…………ためらうのが普通じゃないかな?」


 ――ほんと、『誰と誰をくっ付けるのか?』とかね。


     *


 さて。


 “スペイン・バル”の“バル”とは、要は“bar”の文字通り、酒を飲ませるところを意味している。


 なのでもちろん。


 酒を飲ませるところであるところの“バル”で、そこで一杯ひっかけるというのは、まことに大変結構なことである。


 が、もちろん。


 それも時と場合とタイミングと、そのお酒を飲む人の体質なんかを考慮しての話であることも、また一面の真実であったりもする。


 そう。


 例えば、今夜のこの食事会であれば、時は8月の暑い盛りでビールはノドをゴクゴクゴクと流れて行く“時”だし、“場合”のほうも、つい数ヶ月前まで夫婦だった若い男女の再会の席であるワケだし、“タイミング”のほうだって、どちらも最近色々あって――男の方は男と別れたばかりだし、女の方は気になっている女みたいな顔をした男の人が昔の恋人 (こちらは女)に心を引かれているのがなんとなく分かって来たところであったりして――と、要はお互いに“誰でもよいから話したい”という“タイミング”でもあった。


 なので、まあ、


 その“時と場合とタイミング”だけを見れば、樫山詢子 (27)と楡尚紀 (28)が、“かーなりリーズナブルなスペインバル”でビールを酌み交わしていたとしても、それはそれで、“まことに大変結構なこと”と言っていてもよろしかったであろう。


 が、しかし。


 それは、“由緒正しき下戸の一族”である詢子の体質を考慮に入れなかった場合のお話であり――うん。かなり盛り上がって来たふたりの会話を少し覗いてみよう。


     *


「ハチ?――ハチがどうかしたの?」


 と、イワシのマリネとシシトウのオリーブオイル揚げを同時に皿に取りながら尚紀が訊き、


「ハチが消えたんだって」


 と、“度数が低いらしいから”との理由で頼んだレモンビール (注2)をクピクピッとひと口ふた口飲みながら詢子。


「もちろんずっと前から減ってるのは指摘されてるじゃん?――『沈黙の春』とかさ。

 でも、だけどね、そのサイトのひとが専門にしている“大蔦なんとか燕バチ”ってハチは、ある日突然、一斉に、まるで事前に申し合わせていたかのように、世界のありとあらゆるところから、パッと消えちゃったんだって」


「集団の……家出?疎開?みたいな感じ?」


「そうそう。その人の屋上にある巣箱も前日まではブンブンブンブンうるさかったのに、その日起きたらシーンッとなってたんだって」


「でもそれだけだと“世界のありとあらゆるところ”とは言い切れないんじゃない?」


 と、チョリソー入りマッシュルームを小さく口に入れながらの尚紀。


 すると詢子は、そんな尚紀の所作を見ながら、『確かにこの人、動きがゲイっぽくはあったのよね――服も普通にお洒落だし』とかそんなことを想いつつ、


「それが、その何とかってハチはそもそもかなり珍しい種類だったらしくて」


 と、続けた。


「だから、愛好家とか研究者とかのネットワークが世界中にあってさ、そこのSNSだかなんだかに、同じような報告がドンドンドンドン世界中から押し寄せて来たんだって」


「それも同じ日に?」


「そう!それも同じ日に」


     *


 うん。まあ、普通に素面のひとが聞いたら『なにをトンデモなことを……』と眉をひそめるような話題だけれど――うん。バカみたいに盛り上がっているのは確かのようですね。



(続く)


(注1)

 三尾漱吾宅には樫山が彼に献本したという樫山泰仁直筆サイン本がいくつも置かれている。――が、もちろん。どの本も読まれるどころか開かれたりしたこともない (涙)


(注2)

 ビールにレモンジュースを混ぜたもので、スペインでは“クララ”と呼ばれている飲み物らしい。

 軽めに飲みたい時やビールの苦みが不得手な人には向いているのかもしれないが、それでも度数は3%前後あったので……詢子さん大丈夫かな?


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