第七話:コペンハーゲンと小さな青い箱(その8と1/2)
と。
まあ、そんなことがあってのその週末。
「おい、伊純よ?」と、三尾漱吾 (31)が訊き、
「訊きたいことは分かるけど、そこはあんまり訊かないで」と、佐倉伊純 (29)は答えた。「女がメイクに気合い入れる理由は複雑怪奇奇々怪々精妙多岐だから」
こちらはいつもの詢子さんのいつものマンションであるが、そんないつものマンションでいつもとちょっと大きく違っているのは、“近況報告会”のためのメイクに――いつもなら一分もかからないメイクに――問題の詢子詢子 (27)が三十分以上も洗面所にこもっているところにあった。
「しかし、その気合いを見せる相手があの (*検閲ガ入リマシタ)野郎なんだぜ?」
と、漱吾は言うのだが――ごめん、漱吾くん。気持ちは分かるけど、そろそろ検閲入れなくても良い言葉を使ってくれない?
「そうよ、漱吾。さすがに“(*検閲ガ入リマシタ)”は言い過ぎだわ」
と、こちらはそんな作者の意というか立場を汲んでくれた伊純。
「せめて“(*検閲ガ入リマシタ)”とか“(*自主規制)”とか“(*自主規制)”あたりでやめときなさいよ」
――ごめん、伊純さん。その辺もちょっと微妙で。
「え?そうなんですか?」
――ほら、最近は言葉狩りというか“白以外はすべて黒”的風潮が強くてさあ。
「はあ」
――なんで、そうだなあ……例えば、どんな意味にも取られないような言葉を“あの (*検閲ガ入リマシタ)野郎”の代わりに使いますか?
「へ?――どういうことですか?」
――いやだから、例えば“ワンバナッタ”とか“ンヘヒョロ”とか、ググっても何にも出て来そうにない言葉を侮蔑語の代わりとして使うんですよ。
「ああ、なるほど」
――そうそう。だからさっきのやり取りもさ……、
*
「しかし、その気合いを見せる相手があのワンバナッタ野郎なんだぜ?」
と、漱吾が言い、
「ちょっと、漱吾。さすがに“ワンバナッタ”は言い過ぎだわ」
と、伊純は返した。
「せめて“ガヴュロベタ”とか“ストィスバレー”とか“ンヘヒョロ”あたりでやめときなさいよ」
*
――みたいにすれば検閲も入らないし自主規制も要らない。(注1)
「なるほど、そりゃいいな!」
と、ここで漱吾は快哉を叫び、どうも、この作者のアホみたいな提案に大変共感してくれた様子である。
であるからして、早速彼は――、
「だいたい俺は、あのンヘヒョロ野郎と詢子ちゃんが一緒に暮らし始めたときからあのストィスバレー野郎のことがいけ好かなかったんだよ。
だってそうだろ?あの野郎ガヴュロベタの時のワンバナッタみたいな感じでいっつもへらず口叩いてはヮドゥドンみてえに笑ってよお。
ほんと、俺は最初っからあの野郎のことが
“ワヴェギャバでヴュョバヨァを釣る”
“ンンノレトに短しソソノレトに長し”
“一寸のワンバナッタにも五分のヮドゥドン”
みてえな感じがしていつかぶん殴ってやろうと想ってたんだ――」
と早口でまくし立てたのだが、
――あ、ごめん、漱吾くん。“ぶん殴って”みたいな暴力表現も出来るだけ避けたいんだよね。
と言う、作者の心ないと言うか小心な心しかない心に勢いを殺がれ、
「え?これもダメなのかよ?――それじゃあマジで (*検閲ガ入リマシタ)じゃねえか」
と、またふたたび検閲が必要な言葉を使ってしまうことになったのであった。
――閑話休題。
*
と云ったところで、
ガチャ。
と、洗面所の扉が開き、問題の樫山詢子が出て来たのだが、
「おお?!」
と、先ず驚いたのは三尾漱吾であった。
「スゴイな詢子ちゃん、見違えたぜ」
まあ彼が驚くのも無理はないが、考えてみればそれもそのハズで、この数ヶ月と言うもの、山岸真琴 (28)の化粧を間近で見たり、彼がプロ顔負け――って言うか彼もある意味プロだけど――なメイクを施しているところを目の当たりにさせられたり、それで時には我と我が身を振り返ったり特訓したりして来たのである。
「“ストィスバレーにもヒドラドシルフシ”ってのはこのことだな」(注2)
と、漱吾が感心を持って言っても特におかしなことはないのであった。
(続く)
(注1)
懸命なる読者諸姉諸兄には既にお分かりのことかとは想うが、もちろんこーゆーのを“詭弁”と言います。
(注2)
懸命なる読者諸姉諸兄には既にお分かりのことかとは想うが、もちろんこの慣用句もどきに特に意味はない。




