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第一話:BL作家と六月の花嫁(その9)

「美味しい!」


 と、山岸真琴は、自分でもおどろくような大きな声で叫ぶと、直後周囲の視線に気付いたのだろうか、スプーンを持ったままの右手で口をおさえると、


「でも、ほんと美味しいですよ」と、声の調子を落としつつ言った。「お店のカレーみたいで」


     *


 ということで。


 今夜の食事は我らが佐倉伊純シェフ特製『残りものドライカレー』である。


「ま、実際プロだしな」と、ソファから腰をあげながら漱吾。「お代わりもらっていい?」


「みんなの分も残しておきなさいよ?」と、こちらは我らが佐倉シェフ。「ほっとくと全部食べちゃうんだから」


「シェフなんですか?」と、ふたたび真琴。


 付け合わせの『そこら辺の野菜をとにかくブッ込んだサラダ』もソースが効いていて美味しい。


「雇われだし、いまは出番も少ないけどね」


 と、なぜか冷蔵庫の片すみに残っていたブロッコリーの欠けらをフォークで刺しながら伊純。


 お客さまには喜んでよろこんで頂けたようでなによりだが――なるほどこの子はいい子だ。


 ……けど、本当にお兄さんとは何にもないの?


     *


「え?じゃあ、今日だったの?」


 と、食事&小休憩&進捗確認ミーティング&井戸端会議を兼ねた卓上でカトリーヌ・ド・猪熊は訊いた。「それは悪いことをしたかしら?」


 すると、この問い掛けに対したグリコことスーパーアシスタント (仮)森永久美子は、


「あ、いえ、そんな」と、実に16時間ぶりの食事となる梅おかかおにぎりの酸味に大層なありがたみを感じながら「先輩ならきっと大丈夫ですから」と言った。


「あー、まあ、詢子ちゃんだからきっと立ち直るとは想うけど――」と、三個目の鮭マヨおにぎりを手に取りながら猪熊。「――終わったら行ってあげるの?」


 なるほど。


 どうやらこの女傑・猪熊を以ってしても締め切り直前の真の暗闇の中では周囲への気遣いさえもおざなりになってしまうようで、彼女はいま、それを少なからず後悔しているようである。


 が、まあ、それでも。


 詢子の性格とタフさ加減については猪熊の十倍は熟知しているグリコであるし、また彼女は彼女で自身の性癖についてはイヤと言うほど身にしみて分かっていたので、


「あー、まあ、いまはそっとしておいて上げたほうが良いんだと想います」と、モヤモヤッとした感じで言った。「あと……どうしても訊いてみたくなっちゃいますしね?」


「あー、やっぱり?」と、改めて猪熊が問い、


「男と男が手に手を取って逃げ出したんですもんね?」と、グリコも改めて応えた。


「出来れば旦那さんのほうにインタビューしたいぐらいですよ……」


     *


「おーい、漱吾、帰るわよーー」と、玄関先で伊純が言い、


「あー、もうちょっと待ってくれよーー」と、部屋の奥から漱吾が返した。


「いま真琴ちゃんに俺のスマホとラ●ンとツイ●ターとフェイス●ックとマンションの住所を伝えてるところなんだよ」


 ――マメだね、この男も。


「いつでも連絡してくれて構わないから」と、問題のイケメンボイスとイケメンフェイスで漱吾。


「って言うか、俺のマンションならいつ来てくれても良いから」


 すると、この言葉に真琴は、少し首をかしげてから、


「あのーー」と、なにごとかを話そうとしたのだが、それに被せるように、


「真琴さーん」


 と、玄関の伊純が言って来たので、このセリフはそこでストップされることになった。


 その代わり――、


「その男、本気で本物のダメ男だからーー、マンションなんか絶対に行っちゃダメよ」


 という彼女の忠告に対して真琴は、先ほど言いかけていた言葉を口の中で少し変換させると、


「分かりましたーー」とだけ応えた。「ぜんぜん大丈夫でーーす」


 ――実際問題、どうにもこうにもなりませんから。


「オイこら、伊純、変な邪魔すんなよ」と、自分のカバンを拾い上げながら漱吾は言うと、ふたたび真琴のほうを向きつつ、


「ほんと、いつでも良いからね?」そう言って玄関のほうへと向かって行った。


「まったく」と、そんな漱吾たちの様子を見ながら伊純はつぶやくと、その目線を横にいる詢子のほうへと振り、「――大丈夫そう?」と、彼女に問い掛けた。


 すると訊かれた詢子は、「想った以上にね」と、自分でもおどろくほどの軽いテンションで言った。「きょうはみんなもいたし、“逃げ出した花嫁”にも会えたし」


「そう?」と、伊純が訊き、


「そうね」と、詢子は答えた。「BL作家としてのアイデンティティーをどう保つかのほうが難しいかも知れない」


 そんな彼女の答えに伊純は、少しだけ微笑むと、詢子の肩に手をまわし、彼女をゆっくり引き寄せてから、小さなハグを贈った。


「ま、頑張り給えよ、我が親友」


 と、ここで詢子は、少しだけ泣き出しそうになっている自分に気付いてしまったのだが、そんな彼女をかばおうとしたのか鼓舞しようとしたのか、はたまたいつもの無思慮・無分別なのかは結局のところ分からないが、


「お、いいねえ、お二人さん」と、玄関に到着したばかりの漱吾が二人に言葉を贈った。「BLやめて百合でも描くか?」


 二人からは蹴りを二発とハンドバッグパンチ三発が彼には贈られた。



(続く)

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