もう一つの『ざまぁ劇場』~女の愁傷~
現代編ざまぁ、スタートですが短いです。
今回のクレリットの前世と関わりがありますが
『君クレ』の世界感と何の関わりもないので、読まなくても全然大丈夫ですw
三十代後半の女性が、手紙に書かれた店名とスマホの地図アプリを交互に眺めながら、目の前の店に入ろうかどうしようか迷っているようだった。
そこは大通りから一本入ったビルの谷間にある高級割烹の店で、とても真昼間から開いているような感じではなく、一般人には敷居が高すぎる。
だが手紙に書かれた待ち合わせ時間は今日の正午で、今は十一時五十分。
意を決して格子の引き戸を引くと、玄関は小さな坪庭になっていた。
いきなり異世界にでも迷い込んでしまったかのようで戸惑っていると、奥から着物を着た女性が現れる。
「いらっしゃいまし、ご予約ですか?」
「あのっ、右近って人が予約していると思うんですが」
「まぁ、右近様ならもうお着きですよ、どうぞこちらに」
と、玄関の上がり框で靴を脱ぎ、奥座敷へと案内された。
「失礼します、右近様お客様がおいでです」
「おぅ」
促され襖を開けると、畳部屋に掘りごたつの様なテーブルが用意され、そこで初老の男性が煙草をふかしながら座っている。
部屋の中でありながら色の薄いサングラスをかけて、顔に残る大きな傷跡と眼光の鋭さは、いかにもその筋の人間であろうと分かるもの。
「嬢ちゃん早かったな。 女将、弁当を二つ頼む」
「もぅ右近様、当店はランチはやっておりません、とあれほど申しておりますのに」
「まぁ、そう言うな。 このご時世、煙草が吸えて美味い飯が食える店なんて、限られてんだからなぁ」
「全く、仕方がございませんねぇ」
いつものやり取りなのだろう、女将は諦めの口調ながら憤慨した様子もなく襖を閉めて出て行った。
「……あの」
「まぁ嬢ちゃん座れや、ここの飯は美味いぞ、食いながら話そうや」
「はい」
そう言うと、女性は男の対面に腰を下ろす。
さほど時間を置かずして、二人の元に松花堂弁当が届けられた。
「女将、人払いを頼む」
「まぁ、こんなお嬢さんを相手に何をしようと言うのかしら」
「馬鹿なこと言うなや、娘の年の子だろうが」
「堅物の右近さんに、娘だなんて」
「……いたらそれ位の年だって言ってんだよ。 仕事の話だ」
「あら、お嬢さんも見かけによりませんねぇ。 では、ごゆっくりどうぞ」
明らかに揶揄うような口調で、女将は襖の向こうに下がっていく。
「えと」
「とりあえず食おうか、女将はアレだが、味は保証するぞ」
「はい」
漆塗りの弁当箱の蓋を開けてみると、流石は高級料亭の松花堂弁当と言わんばかりの豪華さだ。
滅多にお目にかかれない料理にホクホクと舌鼓を打っていると。
「くくくっ」
と、対面から忍び笑いが聞こえてきて。
「すっ、すみません」
「いや、美味そうに食ってくれて何よりだ」
そう言いながら、懐に手を忍ばせる。
極道映画で拳銃でも取り出しそうな動作だが、その手に持たれていたのは小さなスマホ。
「あ」
「ありがとうな、役に立ったよ。 コレ返すな」
目の前に差し出されたのは、初期頃タイプの今となっては珍しい型のスマホだ。
「私が貰っていいんですか? 今となってはこれが娘さんの唯一の形見なんじゃないんですか」
「娘が嬢ちゃんに預けたものだ、嬢ちゃんの手にある方が、あの子も嬉しいだろうさ。 それに唯一の形見じゃねーぞ、あのクソったれ婚家から、遺骨を含めて一切合切ぶんどってやったからな」
「そうですか」
「あぁ、母親の遺骨の場所も分かったから、一緒の墓に入れてやれる」
男は今までにない真剣な表情で、女の顔を見る。
「俺の娘に仕出かした奴等は、全て始末をつけた」
「はい」
「内容は聞くな、堅気が知らなくていい話だ」
「はい」
「俺の寄越した手紙を出しな」
男にそう言われ、切手も宛名もなく右下に『右近』とだけ書かれた封筒ごと、この店の名と日付だけを指定された手紙を渡す。
男はその手紙をクシャリと握り潰した。
「これでアンタと俺は何の関係もない。 俺はただのヤクザで、アンタは一般のお嬢ちゃんだ」
「はい……ありがとうございました」
女は深々と頭を下げる。
「よせや、礼を言うのは俺の方だ、アンタのお陰ですぐに動けた」
「でも、いつかは私に辿り着いたはずですよね」
「まぁな、最近じゃぁヤクザも情報だよりなんでな。 だがアンタがあの時、あんな無茶な事をしようとしなければ、俺は娘の足取りを辿るのにもっと苦労をしたはずだからな」
「それも含めて、あの時に私を止めてくれた事もです」
「嬢ちゃんの心情的には余計な事をしたかもな、とも思ってはいるがな……手を汚すのは俺の役目だ、それは誰にも譲らねぇよ」
「だからやっぱり、ありがとうございます……私はあの子の親友だったはずなのに、何も知らなくて、何もできなくて、何もしてあげられなくて、助けてあげられなくて……何も、何もっ!」
二十歳を少し過ぎるまで互いによく会い連絡も頻繁にしていたのに、あの子は幼稚園の先生として就職し希望職だったから一生懸命頑張って、私は立て続けに三人の子供を産んで子育てでてんやわんやで暇がなくなり、気が付いたら年賀状以外に五年以上まともに連絡を取ってなかった。
あの子から年賀状が来なくて、私の年賀状が宛先不明で戻ってきて、不安になった。
携帯は繋がらなくて、アパートに行ってみたら引っ越して住んでないし、幼稚園は退職して誰も行方を知らなくて呆然とした。
女は唇を噛み、手を握りしめ、息を詰まらせる。
男は頭をガシガシ掻くと、仕方ないといった雰囲気で息を吐く。
「あ゛ーあのな、あの子の遺品の中にクソったれ舅の介護ノートがあってな、時々書いてあったんだわ『マコは元気かな』『マコはどうしてるかな』『マコに会いたい、でも迷惑かけられない』ってな」
「っ!」
「『マコ』、嬢ちゃんの名前だろ?」
「真琴です」
「『ヤクザと堅気は交わったらダメだ、だから名前は聞かねぇ』なんて言っておきながら、知っちまってすまんな」
「いえ、教えてくれて、ありがとうございます……あの子、頭いい筈なのに、いつも変な男に引っかかってばっかりで」
「まぁ、父親からしてこれだからなぁ」
右近は苦い顔をしながらもカラカラ笑う。
きっと、色々な思いがあるのだろう、自分と同じものも、自分と違うものも色々と。
真琴は掘りごたつ風なテーブルから足を抜くと、畳で正座をして頭を下げた。
「右近さん、本当にありがとうございました」
「おぅ」
清々しく笑うその顔は、強面の様相も薄れただ一人の父親の物だった。
真琴は料亭から外に出ると暫く歩き、大きく空を仰ぐ。
この道はビルの谷合にあるが、大通りから一本入っているので人の通りがあまりない上に、夜ならともかく真昼間っから人が集うような雰囲気ではない。
本当に全てに蹴りがついたのかは確かめようがないが、彼とあの子の顔は全然似ていないのに、あの笑顔はどことなく似通っていて信じていいと無条件に思えるから血脈というのは不思議だ。
今までの鬱積した気持ちと一緒に、青い空を眺めながら大きく息を吐き出していると。
ピロン!
と、あの子のスマホから何かの音がした。
右近さんが色々と調べるためにスマホに充電していたのだろう、カレンダー機能の予約か何かかと思ってスマホを見てみると、何かが起動していて画面に絵が映し出されたいた。
三人の子持ちである真琴にはゲームをしているような余計な暇はないから、この絵が一体何なのか分からない……でも。
画面にいるのは、 柔らかな日差しが差し込むサロンで、長い足を優雅に組んで此方に微笑むナイスミドルの男性が一人。
その彼が、字幕と音声で言ったのだ。
「君は沢山頑張ったのだから、ここで好きに過ごすといい」
と。
訳が分からなかった、何が何だか分からなかった、でも涙が止まらず溢れ続ける。
人気が無いのをいいことに、嗚咽は止まらず、スマホを胸に抱きしめて唯々慟哭した。