私の婚約者
第一王子目線~前編~
保険のR-15範囲ですが、ちょっとだけエロ表現があります。
私は、アーサー・エルドラドン、この国の第一王子だ。
当然ながら私には婚約者がいる、五歳の時に決められた大公令嬢クレリット・エルランスだ。
私の意見などなにも考慮されない、大公と下った叔父上の血を王家に戻すためだけの婚約で、今まで何でも思い通りになっていたのに、この婚約だけは覆らない。
不満だ、ものすごく癪に障る。
だから顔合わせの時、無視してやろうと決めた。
どちらが上の立場なのかを思い知らせてやろうと思ったのだ。
王宮のバラ園での初顔合わせ、そこに妖精と見まごう少女が現れた。
プラチナブロンドの縦ロール、アーモンド形の猫目のような瞳は紫色で、フワッと空気が明るくなるかのように柔らかく微笑んで。
「おはつにおめにかかります、アーサーでんか。 クレリット・エルランスともうします、よろしくおねがいいたしますわ」
同じ五歳なのに完璧な淑女の礼を見せつけられて、咄嗟に
「ふん!」
と、鼻であしらって走って逃げる事しかできなくて、だが結局は護衛の近衛騎士に捕まってバラ園のガゼボに連れ戻された。
ガゼボには彼女が一人で座って──少し離れた場所に侍女や近衛騎士がいるのだろうが──紅茶を嗜んでいて、気まずそうな私の顔を見ても眉を顰める事もなく優雅に立ち上がる。
「でんか、せっかくですから、おちゃになさいませんか? おうとで、ひょうばんのおかしを、おもちいたしましたの」
「かし?」
「えぇ、どくみはすんでおりますので、でんかにたべていただけないと、おかしがかわいそうですわ」
テーブルの上を見ると、色とりどりのバラの形のクッキーがあった。
「せんだいおうひさま、ごようたしかしてんの、いちばんにんきメニューです。 きっと、でんかのおくちにもあいますわ」
実母である先代王妃は、私を産んですぐに亡くなったと聞いた。
小さい頃は、母に就いていた侍女兼、乳母がこのクッキーをよく食べさせてくれたものだ。
だが乳母が宿下がりして居なくなると、教育係の一人が「菓子などは女の食べ物、ましてや平民が作っている物など、王子には相応しくありません」と言われ、そうなのかと食べなくなって久しい。
行儀も何もなく、立ったまま菓子を一つ摘むと口に入れ、噛む。
久々の甘さとホロホロと崩れていく食感に、何故か涙が溢れそうになった。
「いろいろなあじがございますわ、さっでんか、おすわりになって」
促され椅子に座り、ただ黙って菓子を食べた。
その間の彼女は私を見て微笑み、紅茶を口にするだけ。
女という者は小煩い者ではないのか? 権力に媚び諂う者ではないのか? ピーチクパーチク喋って利のない話ばかりするのではないのか?
教育係の言っていた事が、何一つとして当てはまらない。
ただ彼女の微笑みは、夢中でクッキーを頬張る私を乳母が微笑ましく見ていた眼差しと同じだった。
結局、初顔合わせはそれで終わり。
「つぎは、ほかのおかしもおもちいたしますわ」
と、彼女が微笑んで言うので
「かしがあるなら、あってやってもいい」
と、仏頂面で答えるのが精一杯だった。
その後も彼女は、様々な事を成した。
気が付けば教育係が一新され、「女どうこう」と言っていた者は一番に暇を出されたらしい。
教育の日程もかなり緩やかになり、以前のように何かに追われるという感覚はなくなった。
王妃教育で彼女が王城に上がる時に度々茶会を開くのだが、その席に一人、二人、三人と招かれる人物が増えていく。
騎士団長令息だったり、宰相の公爵令息だったり、魔術師団長令息だったりした。
誰も彼も将来有望な令息達で、彼等とは身分抜きでの友情というものが育めたかもしれない。
彼女は奉仕活動にも熱心で忙しい最中、王都中の修道院や孤児院、そして王国宗教ミクルベ教の神殿にも足しげく通い、その内いつもの茶会に一人の神官を伴い皆と交流を深めさせていた。
だが閨教育を受けるようになってから、僅かな違和感を覚えるようになる。
私と彼女は政略とはいえ、普通の婚約者同士の筈だ。
そりゃ他のあいつ等の様にケンカップルとか、ツンデレとか、オネショタなどではないが──彼女が呟いた言葉で、意味は分からないが仲良しだと言っていた──普通の筈だ、普通。
私がこんな性格なので「好きだ」とか、ましてや「愛してる」なんて口が裂けても言えない。
彼女からは「お慕いしております」と言われているし、此方からの贈り物には丁重な礼文が届き、此方へは一体どこで調べてくるのか、いつもその時に私が欲しい物ばかりが贈られてくる。
なのに何故か、彼女からは熱のようなものが一切感じられないのだ。
十五歳で学園に入って他の学生と比べて、さらに違和感は広がっていく。
縁も所縁もない一般の女学生でさえ、あれだけの熱を上げてくるというのに、だ。
しかも最近は私よりも、あいつ等の婚約者達との交流が多い気がする。
勿論、私が蔑ろにされている訳ではないが、気分的に落ち込んでいると、あいつ等が変に構ってきてうっとおしい。
うるさい、止めろ! 生温かい目をして肩を叩くなっ、お前等まとめて不敬罪にするぞっ!!
そして十七歳、彼女が未だかつてない熱量をもって、とある女学生の世話人に立候補した。
ローズ・リアン男爵令嬢、元平民ではあるが、希少な聖魔法が使えるのだという。
それが本当なら、王家や神殿で『保護』の話が持ち上がりそうなものだが、聖魔法と言ってもピンからキリまであって、使えるかはまた別問題だ。
彼女に預けて、様子を見ようというのだろう。
王侯貴族や上流貴族、貴族令嬢達との付き合い方、礼儀や礼法やマナーにモラルに立ち回り方、王妃教育を収めた彼女が教えるのだ間違いがあろうはずもない。
一通り礼儀を覚えたローズ嬢を彼女は生徒会に連れてきた、前例のない副会長の補助として。
副会長は彼女だ、補助など必要ないだろうに。
だが彼女のローズ嬢への世話焼きは学園内だけには留まらず、個人の茶会や夜会にも一緒に参加して、まるで大公家が後見人であるかのように振舞うのだ。
ローズ嬢も彼女を慕って懐いているものだから、彼女と仲のいいあいつ等の婚約者の令嬢達にも可愛がられている。
元平民の下位令嬢などと陰口を叩く者も、もう殆どいない。
彼女がこれだけ親身になっているのだ、当然ながらローズ嬢の価値は高まっていく。
彼女は、昔から弱い者や小さい者を気に掛ける。
だから立場の弱いローズ嬢に構うのは、ある意味当然の事なのだろうが、何だろう? 重い物を呑み込んだような気がするのは。
何故これほどまでにローズ嬢に構っているのか? 親身になっているのか? まるで嬉々として『聖女』を育てているかのようで……。
まだ私は立太子していないが、この国では聖女=皇太子妃だ。
彼女はローズ嬢を聖女にと望んでいる?
ザワリ、違和感が不安感へと代わっていく。
そんな不安感がある日、確実な言葉の刃として戻ってきた、外ならぬローズ嬢の口によって
「殿下、クレリット様の事でお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか」
「何だ」
「クレリット様は私とお話しする時、殿下の良い所を沢山話されるんです。 衆目美麗だとか、成績優秀で文武両道だとか、一見ぶっきら棒に見えるけれど優しいとか、言葉少なだけれど責任感が強いとか、きっといい皇太子様になられるだろうとか」
「そっ、そうか」
彼女が私をそんな風に想ってくれている、それだけで不安な気持ちが薄れていったのだが
「殿下は、クレリット様にお返しはなさっていらっしゃいますか?」
「贈り物ならば、きちんと……」
「違います、言葉や態度のお返しです!」
「それは」
「『ありがとう』とか『嬉しい』とか『可愛い』とか……あークレリット様なら『美しい』とか『麗しい』かな」
興奮してきたのだろう、ローズ嬢の口調が平民の頃のような気さくな感じに砕けていく。
「他にも『好き』とか『愛してる』とか、手を繋いだり、抱きしめたり、耳元で囁いたり」
「エスコートはしているぞ!」
「それは当然以下のマナーです!」
「ぐっ」
「クレリット様は、お母さんでも、お姉ーちゃんでも、ましてや乳母や侍女でもないんですよ」
乳母と言われて、ちょっとドキッとした。
どうしてもあのバラのクッキーの事が忘れられず、未だに引きずっている部分があるのは否定できない。
当時は思いもしなかったが、あの侍女が宿下がりして居なくなった事を、私が死ぬほど後悔していたのだと気が付いてしまったのだ。
そんな情けない私の心情を読んだかのように、ローズ嬢の言葉が突き刺さる。
「殿下ーぁ、このままだとクレリット様に逃げられちゃいますよ」
「なっ!」
それは、頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
「クレリットと私は王家に認められた政略婚だ、そのように個人の意見で破棄される事などありえん!」
「体は残っても、心が逃げちゃいます」
「な……に」
「気持ちがない結婚なんて、悲しくないですか?」
一体、誰の事を思ってそう言っているのだろうか、ローズ嬢の目に憐みの色が滲む。
確かに彼女の事は好きだ、五歳から一緒にいるのだそれは当然。
父より義母より弟より、身内の誰より身近な存在だったのだ、そう空気のようにそこにあって当り前の。
これから先もずっと一緒にいるのだと、当然のように私の側にいてくれるものだと。
この気持ちを一体何と呼ぶものかは分からないが、彼女が私の前からいなくなるのは嫌だ、許せない、我慢ならない。
「だが、そんな、気安く、あっああ、あいし……てる、など」
「じゃぁ、皆様に色々相談してみましょう」
「皆?」
「ジルベル様やジャヌワン様やライル様やアルラーズ先生ですよ。 皆様、クレリット様と昔馴染みなんでしょう、皆で寄ればきっといい案が浮かぶはずです!」
「あっ、あぁ」
庶民パワーと言うべきか、握り拳で力説するローズ嬢に思わず頷く事しかできなかった。
だが、女性であるローズ嬢は知らないのだろう。
どんなに高位の令息だろうと、気心知れた男が集まって男女の話をすれば、最終的には猥談にしかならないのだと。
学園の卒業パーティーの一月と数日前になると、王国の社交シーズンが始まる。
デビュタントを終えても学園を卒業するまでは成人と認められていないから、卒業を待って社交デビューするために時期を合わせてあるのだ。
また地方の親が、子を迎えに来やすいようにとの配慮もある。
社交シーズンは、国王主催の舞踏会から始まる。
本来ならば未だ学生である私と彼女は参加できないのだが、第一王子とその婚約者の立場として十四歳のデビュタントが終わった頃から、この初めの舞踏会だけは毎年参加している。
要は貴族達が、未成年であろうと生の王族を見たいのだから仕方ない。
婚約者の責務として、彼女にドレスと装身具一式を贈った。
いつもならその年の流行であるドレスを贈るのだが、今年はローズ嬢の猛プッシュの案件と、あいつ等の意見も取り入れた。
淡い金地の布に青糸で刺繍を施したドレスはハイウエストで絞りコルセットを必要とせず、その為でいつもよりも少しだけ胸元が露出する意匠になり、装身具は金の台座に青玉や藍玉をあしらった髪、首、耳飾りを選んだ。
婚約者ならば自分の色合いの物を相手に贈る、なんて知らなかったのだ。
下位貴族から入城し、上位貴族そして大公閣下が入城してから王族の登場となるが、弟はまだデビュタント前で舞踏会には参加していない。
陛下の始まりの言葉の後、陛下と王妃が踊り、その後に私と彼女が踊る。
私と彼女は未成年の立場であり、それでお役御免、退場だ。
いつもなら彼女を、城の馬車回りの大公家の馬車までエスコートするのだが、今夜は休憩室へと足を運ぶ。
彼女にとって王城は第二の我が家のようなもの、何処に向かっているか気づいたのだろう、小首を傾げて一言。
「休憩室に? 殿下、御気分が優れませんか?」
「いや、そなたと話がしたいと、と思ってな」
「そうですか、御気分が悪くないのであれば良かったですわ」
安心したかのように微笑む彼女に、以前とは違う感情が沸き上がる。
前は見守られているみたいで心が温かかった、だが今はそうじゃない!と言いたくなるのは何故なのだろうか。
休憩室に入り、後ろ手に鍵をかけた。
カチリと小さな筈の音が思いの外大きく聞こえて、心臓が飛び出しそうになる。
「殿下?」
「酒性の低い物を用意させた、飲むか」
「えぇ、頂きますわ」
色々誤魔化すために酒を用意させていたが、密室で男の差し出す物を飲んではいけないと、誰からも教わっていないのか!?
まっまぁ、私は何も怪しい物など混入させてなどいないが、いや、それほど私を信頼しているのか?
これから言わなくてはいけない事、しなくてはならない事や色々な感情がグルグル回り、彼女がグラス一杯を空ける間に、私は三杯、四杯と空にしていく。
「あ゛ー」とか「う゛ー」とか、意味のない音を発していると、彼女がクスリと笑った。
「何だ」
「大方、皆様に『わたくしと話すように』とでも言われたのではありませんか?」
「ぐっ」
「大丈夫ですわ、わたくしは分かっておりますから。 殿下は無理なさらず、そのままで」
ニコリと、いつもの彼女の笑みが浮かぶ。
『そのままで、いい訳ないじゃないですかっ!』
瞬間、ローズ嬢に叱り飛ばされた言葉が脳裏に蘇る。
『殿下だってクレリット様に褒められたら嬉しいでしょう? 私や他のお姉様方も嬉しいから、沢山、沢山、ありがとうを言いますよ! そしたらクレリット様はコロコロと声を上げて花が綻ぶ様に笑うんですよ、皆様見たことあるんですか!?』
正直ない、皆もない筈だ、彼女の微笑みは今のように慈愛に満ちたもので、声を上げてなど今まで一度たりとも聞いたことがない。
その事実に皆、私と同じように衝撃を受けているようだった。
私が押し黙っていると、彼女がヤレヤレといった感じで軽く息を吐く。
「殿下、遅くなる前に戻りましょうか」
そう言って、扉の方に向かったものだから
「っ、待て」
慌てて彼女を後ろから抱き留めた。
初めて触れた彼女の体は、小ささと華奢な抱き心地に驚いて、柔らかさと温かさに腕が固まって、髪からいい匂いがするものだから、思わず顔を寄せてしまっていた。
『どんなに鍛えている女の体でも、何か細っこいんだよな』と、脳筋が言っていた。
『柔らかいのでコルセットは無粋だと思いますが、脱がせるのは楽しいものですよ』と、冷血眼鏡が言っていた。
『抱きつくとイイ匂いがするよ、メッチャする!』と、魔法バカが言っていた。
そんな中、先生が一つ咳払いをして
『いいですか君達、婚約者であろうとも無理強いはいけません。 嫌がられたり、怖がっていたり、拒絶されたら素直に引くことです』
と、言うものだから
『では受け入れてくれたら、どこまでいいんだ?』
『王族ですから、純潔を散らす前まで、ですかねぇ』
抱き締めている彼女から、嫌悪の言葉はない。
肩に手を回し体を半回転させても、彼女の表情に恐怖の色もない。
ただ不思議そうに此方を見ているので、ちょっとイラっとした。
こんな状態でも私を男として意識などしていない、そんな風に言われた気がして……許可もとらず彼女に口づけた。
深く深く、口内を犯そうと舌を差し込んだら、彼女がそれに応えて舌を絡めてくれたことに歓喜する。
扉に彼女を押し付けるようにして、そのまま貪った。
左手はドレスの上から胸を揉みしだき、右手は体の線を辿るかのようにゆっくり下ってスカートをたくし上げようとした、瞬間、その手が掴まれる。
「……殿下、これ以上はダメです」
銀糸が繋がるほど濃厚に口づけていたというのに、彼女は息一つ乱すことなく、欲にとろけた顔もなく、そうきっぱりと拒絶したのだ。
がっついて盛っていたのは私だけで、一気に冷や水を浴びせかけられる。
「すっ、すまない!」
「いえ」
あまりに恥ずかしくなって慌てて体を離す、と彼女が視線を下げ伺うように問うてきた。
「お望みでしたら、お慰めいたしましょう」
「はっ!?」
彼女はそのままペタンと絨毯に膝をつく、その視線はちょうど私の股間の前だ。
言いたくないが、そこは外からでも分かるほど盛り上がった状態で。
「殿方の性については、わたくしも閨教育で教わっております。 口でも手でもご随意にどうぞ」
「なに、を」
彼女の口が私のモノを咥える、そう考えただけで余計に滾るのだが、彼女の目を見た途端、一瞬で萎えた。
私を下から窺うその瞳には、羞恥も嫌悪も驚愕も憤怒も一切の感情の光はなく、まるでガラス玉で出来た人形の目のようで。
本能が告げる、それを頼んだら私と彼女の間にあるナニカが確実に壊れると。
私はすさまじい恐怖を感じ、彼女の腕を取るとやや強引に立ち上がらせた。
「いや、必要ない」
「そう……ですか?」
「あぁ、遅くなる前に馬車まで送ろう」
横目で様子を窺っていると、軽く身支度を整えている彼女の瞳に光が戻っていて安堵する。
先程、あのような事を仕出かした男の手を取ってもらえるだろうかと、恐る恐るエスコートの手を出せば、彼女は柔らかく笑って手を乗せてくれたので、無意識に溜め込んでいた息を吐いた。
まぁその後、学園の生徒会室で皆にはコテンパンに言われる羽目になるのだが……。
まともな殿下とヒロインの掛け合いは、結構楽しいw
ゆかいな仲間達は、おバカな仲間達にバージョンアップ(いや、ダウンかw)