ざまぁしない悪役令嬢(仮)のスローライフ
諸事情により「レリィ」から「ヤレリ」に名前変更しました。
「ヤレリ、ヤレリ、ヤーレーリーィー!」
年端もいかない幼子達が裏庭に駆け込んでくると、一目散に洗濯物を干している女性のスカートにまとわりついた。
「今はお手伝いの時間でしょう、どうしたの?」
「あのね、あのね、おやかたさまがきたよ」
「せんせいが、ヤレリにおやしきにかえりなさいって」
「えと、でも、よるにはきてくれる?」
最初は単なる伝言だが、最後の一言は可愛らしいお願いだ。
「えぇ、絵本の続きを読んであげる」
「うん!」
「じゃぁ、よるにねー」
言うだけ言うと、幼子達は元居た場所に駆け戻っていく。
ヤレリィと呼ばれた女性はその可愛らしい後姿を見送ると、肩口までの銀の髪を揺らしながら洗濯籠を持ち、同じように洗濯物を干している恰幅の良い女性の足元にその籠を置き
「すみません、後はよろしくお願いします」
と、頭を下げた。
本来なら仕事を押し付けられる形になった女性は、怒ることも憤ることもなくニッカと笑う。
「任せときな、ホラホラお館様がお待ちなんだから早くお帰り」
「ありがとうございます」
ヤレリはもう一度頭を下げ、村の奥にある屋敷へと小走りで帰っていく。
ここは、とある領地の端にある小さな村。
主要な産業もなく、森と海からの僅かな恵みと、少ない家畜と小さな田畑で細々と生活している、と思われている土地。
だがその実、背後は海へと続く断崖絶壁、村の入口は微弱な魔力を帯びた迷いの森、難攻不落の要塞として利用できそうな場所柄なのだ。
ただそんな物騒な目的に使われた事実はなく、昔はとある貴婦人の療養場所だったとか。
その頃からいる村人も多いらしく、よく話のネタになっている。
ヤレリが貴婦人の療養所だった屋敷に戻ると、すぐに執事に出迎えられた。
「お帰りなさいませ、旦那様はサロンでお待ちです」
「ただいまセバス。 サロンね、ありがとう」
執事に促されるままサロンのドアをノックする。
中から了の返答がありドアを開けると、久しぶりに会う人物が優雅に佇んでいた。
「やぁ、クレリット、元気そうで何よりだ」
「はい、お久しぶりでございます、お父様」
町娘のように少々日焼けした顔に短く切った髪、貴族令嬢にはありえない脛までの長さの簡易的な庶民服。
それでも、エルランス大公に向かってのクレリットの淑女の礼は美しかった。
大公が席に着くと、クレリット自ら紅茶を淹れサーブし、執事が運んできた三段スタンドには素朴な菓子が盛られている。
恐らくこれは報告書にあった、彼女が作った菓子なのだろう。
クレリットが席に着いたの横目に紅茶を嗜みながら、大公が口火を切った。
「どうかな、ヤレリとしてのここの暮らしは」
「恙なく、大変充実した日々ですわ」
その満面至極の笑顔に、言わずもがなである。
そう、クレリットが婚約解消され卒業パーティをすっぽかしてから、もう一年と半年ほど過ぎていた。
あの過剰防衛とも思える軽装馬車で大公領まで二日、さらに交代した護衛騎士に「あと数時間、御辛抱ください」と言われ、領主館に立ち寄ることなくこの村に連れてこられた。
ここにはクレリットが望む物以上が、すでに揃っていたのだ。
第一王子の婚約者や大公令嬢ではない、ヤレリという身上。
修道院ではなく、こじんまりとした屋敷には様々な手配をしてくれる執事付き。
牧歌的で長閑な村には乳児院があって、大公領で保護された乳児や幼児がここに一旦集められて、子の世話に慣れた者の手によって十歳頃まで育てているらしい。
そして十歳になったら村に残るか街に出るかを本人に決めさせ、残る子は本人の得意分野によって適材適所に振り分けられ、出る子は町の孤児院に送りさらに五年ほど町の雰囲気に慣らさせるとの事だった。
前世からの子供好きであるクレリットは、まさに天職と嬉々としてそこで働き始めたのは言うまでもない。
そんなこんなで一年と半年、王都での様々な問題を片づけ社交シーズンも終わり、ようやく大公は顔を出せたのだろう。
クレリットも紅茶を一口飲んで、問うてみた。
「お父様は、随分とお疲れのご様子で」
「あの子も諦めが悪くてね」
「あの子?」
「とりあえず、お前が帰ってからの話をしようか。 殿下は卒業パーティーの朝、我が屋敷に迎えに来られたよ」
「まぁ本当に律儀ですわね、もう婚約者ではありませんのに。 あの時に、はっきりお断りするべきでしたでしょうか」
「玉璽入りの婚姻誓約書を携えてね」
「一体何故、そのような事態になったのでしょうか? もしやあの後、ローズ様と何某らかの諍いがおありになったのでは!?」
あの子もヘタレではあったが、我が娘相手では勝算は低かったのだろうと大公は遠い目をする。
王族の婚約は言霊の魔法で成され、紙面に書いた婚約証はついでのようなもの。
婚約するも破棄するも、王族側の本気の宣言と相手の本気の了承の言葉があれば成立する魔法で、所謂これもエルの呪いの一つなのだ。
「殿下はお前との関係をなくす気はなかった。 婚約などという不確かな縁ではなく、婚姻という確かな絆にしたかった。 だから、その前半部分だけの婚約解消を言い渡したのだろう」
「まぁ」
「だがお前は慌てる事も悲しむ事もなく、微笑んで婚約解消を受け入れた。 お前に逃げられると、よほど殿下は焦ったのだろうな。 朝も早くから我が屋敷の門の前で『クレリット嬢、私と結婚してくれ!』と大声で叫んでおられたよ」
その時の事を思い出しているのだろう、大公の顔に苦笑が浮かぶ。
一方、クレリットもある事に納得がいっていた。
殿下から婚約解消を言われ了承したあの時の、他の人物達のざわめきは、皆、事情を知っていたということだろう。
(殿下、サプライズは相手を喜ばせてこそです──まぁ、私は喜びましたけれど──相手を試すような手法はいただけませんわ)
「だが、お前はすでにいない。 殿下もすぐに追跡をかけたようだが、あの軽装馬車に追い付く筈もない。 そしてお前は大公領には戻ったが、領主館にはいないし立ち寄った形跡もない。 だから殿下は私に尋ねられたよ『クレリット嬢は何処にいるのか』とね」
クレリットはあの矜持の高い第一王子が、自分に追い縋るだなんて考えもしなかった。
だから領主館に戻ってから今後の行く末をじっくり決めようと思っていたのに、そこまで見越しての父親の采配だったのかと思わず目を瞠る。
「で、何とお答えに?」
「『娘は領の他人が来れぬ場所で療養しております』とな」
「偽りではございませんが、誤解を招きそうですわね」
この村は領内にある──端ギリギリだが──、 他人が来られない──迷いの森を抜ける魔道具が必要で──、 療養……うんこれだけは嘘だ、元気に働いている。
「だろうな、殿下は領内の孤児院や修道院を虱潰しに調べられたそうだ」
調べるだけなら容易いだろう。
大公領の孤児院や修道院はクレリットが将来の布石として、たんまりと寄進をし寄付をし寄贈もしていたし、修道女や子供達とも交流もあり大公令嬢としての顔は知られている。
だからこそ、何処にもいないとすぐに分かったはずだ。
「そして、唯一調べられない修道院があった」
「孤島の修道院ですか」
厳密には大公領ではないのだが、港から岩山を要する小島が見える。
周囲を断崖絶壁の岩肌に囲まれ、渡り鳥しか立ち寄らない無人島であった。
しかしいつの頃からか修道女達が住み始め、時々冒険者組合を通して物々交換の依頼が出るようになる。
島には貴重な薬草が生えているらしく、中々利のある取引なのだとか。
なので欲をかいた者が島に上陸を果たそうとした事もあったが、周囲は断崖絶壁で内部に入れるような場所はなく、岩肌を登ろうものなら途中で力尽きるのは必至。
そのような事を繰り返していたものだから、修道女からの依頼が来なくなり、欲をかいた者達は冒険者組合から肉体言語で酷く叱責されたのだという。
そこの修道女達は、ことさら外部との接触を嫌う。
だから中に何人いるのか、どんな生活をしているのか、全く分からないが、過去に男爵夫人が夫の暴力に耐えかねて島に逃げ込んだ事態があった。
男爵は何とか夫人を呼び戻そうと様々な手を尽くしたのだが、どれも成果を得ることはできず、結局は恥と外聞を晒した結果となり引き下がった経緯だ。
面会も手紙のやり取りも許されない、修道院に入った者が還俗したという話も聞かない、大体一体どうやって内部に入るのかさえ分からない。
元々島は領地に属していない、だから国にも属していない、いわば『国外』なので、この国の権力でも如何ともし難く『孤島の修道院』と呼ばれている。
クレリットも冒険者組合を通して、修道院に寄進をしておいた。
いざ最終的に本当にどうにもならなくなったら、そこに逃げ込もうと。
「それで、殿下はどうされているのですか」
「冒険者組合を通して、何度も連絡を乞うているようだな」
「権力のゴリ押しなどせず、真っ当な手段で良うございました」
「どの道、殿下とお前の婚約は正式に解消されている。 殿下がどれだけ諦め悪くとも、皇太子妃は聖女に任命されたローズ嬢で決まりだ」
「えぇ、我が国に聖女様がおられるだなんて、とても喜ばしい事ですわ」
私が育てました!と何処かの産地直売所の生産者の様に、誇らしげに胸を張るクレリット。
『君クレ』にも、クリエーター配信の『聖女ルート』がある。
条件は、ヒロインが品行方正に過ごし、成績優秀で周囲から一目置かれ、当然、悪役令嬢とも軋轢がない事。
攻略者の好感度を上げすぎず、誰のルートにも入っていない事。
それで国から『聖女』として認定されるのだ。
聖女=皇太子妃なので相手はほとんどの場合、第一王子なのだが、極僅かの確率で第二王子がくる事もある。
だがこのルートの本来の真価は、そのまま『女王ルート』にもなりえるということだった。
ヒロインの成績がぶっちぎってたり、周囲との親密度がぶっちぎってたり、とにかく善性の何かが突出していると『女王ルート』となりやすく、その時の王配は親密度の一番高かった攻略者となるらしい。
で、この二つのルートでは悪役令嬢はどうなったのか全く分からない、その後ぱったりと物語上に出てこなくなるからだ。
ヒロインとの軋轢はないのだから、処刑や国外追放はない筈で、高位の傷物令嬢となってしまったのだから、国外に嫁ぐか、修道院あたりか、大公領でヒッキーしてるんじゃないか、と『君クレ』の交流板で言われていた。
まぁ前世のクレリットがプレイしたルートではないし、現実において女王はともかく王配が王族以外の攻略者というのは厳しい気がする。
第一、自分はヒロインにせっせと第一王子の良いところを吹き込んでいたのだ、好感度トップは彼だろうに。
「殿下も都合の良かった元婚約者など忘れて、ローズ様に目を向けるべきですのに」
「都合が良い?」
「えぇ、程よく叱咤激励し、一度は転んでも二度目には手を差し伸べる。 余計な口は挟まずに出すときはそれと分からないように、男の矜持を守り私生活には干渉しない。 男友達との関係を見守り、女友達との関係に口を出さない。 贈り物には心を込めて礼を尽くし、相応以上のお返しをし、泣かず怒らず決して感情的にならずいつも穏やかに微笑んで。 決して否定せず、全てを受け止め包み込む……殿下の見ていた、わたくしはそのような男にとって便利で都合のいい女なのです。 ぬるま湯は気持ちようございますものね」
淀みなく一気呵成な我が娘とも思えぬ言葉に、流石の百戦錬磨の大公も口を閉ざす。
村での生活ぶりは、娘の手紙や執事の報告書で理解しているが、あれが本性だというのなら五歳から十七歳まで十二年間も仮面を被っていたという事なのだろう、誰一人として気付かれることなく……そう父親にさえも。
大公は全てを許すかのような笑みをクレリットに向ける。
「十二年も頑張ったのだ、お前はここで好きなように好きなだけ過ごせばいい」
柔らかな日差しが差し込むサロンで、長い足を優雅に組んで此方に微笑む大公閣下。
その風景を見てクレリットの脳裏に天啓のようにあるルートが蘇る。
(……これ、スチルだ)
クリエーター配信中で難易度MAXの攻略者、エルランス大公閣下。
激ムズの訳は、彼自身を攻略することができないからだ。
発生条件は、ヒロインが成績優秀者である事。
全攻略者との好感度を七十~八十パーセント内に収めておく事。
悪役令嬢クレリットとの親密度を九十パーセント以上にしておく事。
条件を満たせばヒロインは、卒業パーティーに参加できない公式エンドの『帰郷エンド』になる。
帰郷の理由は様々だが、領地が災害に見舞われたとか、借金のかたに結婚が決まったとか、父親が大病をして治療費がいるとか、とにかく金銭的な理由が大多数を占めた。
これは本来なら誰とも関係ができず、成績不振だった事によるバッドエンドで、プレイヤーの間では『ぼっちエンド』とも呼ばれている。
ヒロインは卒業パーティの音楽を背に一人寂しく学園を去り、その後ろ姿でゲームのエンドロールが流れるのだ。
だが『大公ルート』に入っていた場合、ヒロインの横に大公家の家紋付の馬車が横付けされ、護衛騎士達に促されるまま馬車に乗り込んでみると、何とそこに大公閣下が座っているではないか。
驚くヒロインに大公は苦笑交じりに一言。
「君の事を何とかしないと、娘に『一生、口をきいてあげませんわ!』と言われてね」
とそのまま一緒にリアン男爵領に戻り、災害だろうが、借金だろうが、治療費だろうが、大公家の権力と財力であっという間に解決してしまうのだ。
だが、その後のヒロインの状況は芳しくない。
元平民の男爵令嬢、おまけに希少な聖魔法を持ちながら学園を卒業できなかったと、傷物令嬢扱い。
事実上、学園は卒業できているものの、卒業パーティーに参加していないしデビュタントもしていないので、社交界に入れていないのが原因なのだが。
それを憂いた皇太子妃が、再び伝家の宝刀を抜く。
(それでヒロインは、大公領内の村の一つを与えられて、そこで聖魔法で癒したり治療をしたりして、やがて大公領の聖女と呼ばれるようになって、その時に大公にこう言われるのよね「君は沢山頑張ったのだから、ここで好きに過ごすといい」と。 そのスチルだわ、コレ)
勿論、前世のクレリットはこの『大公ルート』もプレイした事はなく、『君クレ』交流板で
「悪役令嬢、救済ルート キタ━(゜∀゜)━!」
「その内『お義母様と呼んで差し上げてもよくってよ』って、クレたん言うに違いない!」
「でもオマイラ、誰かルートに入れたか?」
「「「「「「 (´・ω・`)ショボーン 」」」」」」
と、自称『悪役令嬢を救い隊』なる投稿者たちの間で、祭り状態になっていたのを読んだだけ。
だからまさか今世、自分が激ムズルートに入っているとは夢にも思わなかった。
元々この村は、クレリットの母親の為に作られた箱庭だ。
当時、第二王子であったレイモンドは学園で出会った伯爵令嬢と結婚したいがため、半ば強引に王位継承権を放棄し大公として臣下に下った。
だが元々病弱であった彼女は、エルランス大公夫人としての重責に耐えかねたのか、クレリットを生んで以降、次第に体調を崩すようになる。
それを憂いた大公は、色々と騒がしい領都からこの箱庭に妻を移し、彼女が心安らかになるように周囲を設えた。
村人の大部分と執事も、その頃からの護衛なのだ。
全ては、一人の男の手の上の大きな鳥籠、そこに囲われた小鳥が一羽。
だが入口が開け放たれようとも、小鳥は飛び立つ気配もなく。
クレリットは紅茶を飲み干して優雅に微笑む。
「えぇ、念願のスローライフを満喫させていただきますわ、エルランス大公閣下」
本編完了です。
後は他目線と、他世界目線で何話かを予定。
孤島の修道院は「自力でガンバ」のあの島ですw
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