勇者と○○
勇者って知ってる?
人間とは思えないほどの魔力を有し、その力は魔族と同等のもの。
人々を守る、守護者のようなもの。
慈悲深く、女神のような人だと彼女を知らない人類はそんな風に思っている。
実際は女神なんかじゃない。
あの子はただの子供だった。
人より何倍も強いだけの、ただの子供だった。
『いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ……っ!』
あの子は誰よりも自分の運命を憎んでいた。
『どうして……? どうして私が勇者なの?勇者ってなに?どうして私がこんなことしないといけないの……?魔族ってなに?人間てなに?私は……』
『死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない………』
死を恐れる普通の女の子だった。
『死にたくないよぉ……』
助けを求めても誰も助けようとしない。
だって彼女は世界最強と呼ばれる勇者なのだから。
誰も助けてくれないことを彼女も知っていたからいつも笑顔の仮面を被っていた。
だから、人々は彼女のことを女神だとか、そんな薄っぺらい言葉で表現してしまう。
それがどうしようもなく腹立たしかった。
「ねぇ、なんで泣いてるの?」
ダメだとわかっていても。
話しかけてはいけないことだとわかっていても。
私は彼女に近付いた。
彼女が不憫で、かわいそうで、泣けてきて。
彼女が泣いているのを見るたび、胸の辺りがチクリと痛むから。
泣かないで。
あなたの本当の笑顔を見せて。
彼女は私の顔を見ると目を丸くした。
驚かすつもりはなかったのだけど、どうしてもこういう登場のしかたしか思い付かなかった。
誰かと会話をするのも最近ではあまりなかったから。
彼女は呆然としているだけで私の質問に答えてくれない。
なら、私から世間話でも言えばいいのだろうか。
よくわからないけど、やってみる。
「……勇者ってめんどくさいね」
パッと思い付いたのがこれだった。
もっと気のきいた話題があったかもしれない。
でも、私はそれしか思い付かなかった。
『勇者様、町をお救いください!』
『勇者様!どうか娘を!娘をぉ……!』
『立ち上がってください、勇者様!あなたはこんなところでつまずいていてはいけない!』
『大丈夫です!あなたは勇者なのだから』
何が勇者だ。
反吐が出る。
無駄に大きな期待なんて鬱陶しいだけだ。
みんなみんな、この子自身を見ようともしない。
わかろうとしない。
そんな奴等のことをこの子は守らないといけない。
勇者だから。
「あなたはすごいね」
何気なく言ったその言葉に彼女はまた泣き出してしまった。
泣かせるつもりはなかったのだけど、今は目一杯泣いた方が良いと、なぜだかそう思った。
◇
「あなた、誰なの?」
彼女はひとしきり泣いた後、私にそう尋ねてきた。
「私はセツ」
「……それだけ?」
頷く。
怪訝そうに彼女は首をかしげた後、何が面白いのか笑い出した。
今度は私が首をかしげる番だった。
何がそんなに面白いのかわからなかったけど、お腹を抱えて笑っている姿を見れたことでそんなことどうでもよくなった。
「あー、久しぶりに笑った!あなた、おかしな人ね」
「そう?」
「うん。おかしな人」
「……君はおかしな人好き?」
「え? んー……」
好きか嫌いか。
どっちなのだろうか。
好きならば嬉しい。
嫌いならば少し悲しい。
彼女の返事がきになった。
「好き、かな」
「ほんと?」
「うん。ちょっとおかしいくらいの人がいると毎日が楽しくなる気がする」
「そっか」
うれしいうれしい。
頬が緩んだ。
心地よい気分だ。
「あ、そういえばまだ名前名乗ってなかったね。まー、聞かなくてもわかるだろうけど」
「うん。知ってる」
「やっぱりそっか……」
「でも、君の口から聞きたい」
「……ほんとにおかしな人ね」
そう言って彼女は目頭を押さえた。
また泣いてしまうのだろうか。
少し不安になったのも束の間。
彼女は自分のことを話し始めた。
「……私はリツ。勇者なんて呼ばれてるけど、影でこそこそ泣いてるようなただの泣き虫よ」
「知ってる」
「はは、そうね。見られちゃったものね」
「うん」
「そうよねぇ……」
奇妙な感覚だ。
彼女、リツはすぐそばにいるのに手の届かないところにいるような変な感覚だ。
彼女があまりにも遠くを見据えていたからそんな風に感じたんだろう。
そんな目を自然としてしまうのは良くない。
あまりにも良くない。
だってこの子はまだ十代だ。
こんな悟ったような顔をしていいわけがない。
「……どうしてやめないの?」
「……なにを?」
「勇者。面倒だって思ってるならやめれば良いと思う」
そう口にした私をまた変な顔をして見つめてくる。
「……無理よ、そんなこと」
「どうして?」
「……だってみんなが許してくれないわ」
「みんな?」
「世界中の人たち」
「そんなのほっとけばいい」
リツは困った顔をした。
何も間違っていることを言ってないはずだ。
嫌なものはいやだと言ってはいけないルールなんてこの世に存在しない。
結局最後に決めるのは自分なのだから。
自分しか信じられるものなんてないのだから。
わざわざ人に合わせる必要はない。
その人が自分の人生に何か関わっているとしてもそれはほんの一瞬のことでしかない。
そんな人たちの言うことを聞くより自分の気持ちに正直である方がずっといい。
私はそう思う。
「リツが逃げたいと思ってるなら逃げればいい。でも、もし逃げたくないって思ってるならその思いを曲げないでほしい」
「……どうして?」
「リツは私の憧れだから」
「憧れ……?私が?」
「うん」
「憧れ、か……」
他人のために頑張って。
自分を殺して。
泣きたいのを必死に我慢して。
戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って。
戦い続けて。
ほんと、バカみたいだ。
バカみたいだけど、すごいことだ。
並みの忍耐じゃ耐えられない。
リツは子供だ。
それも勇気のある、かっこいい子供だ。
「……私、もう少し頑張ってみることにする」
「……」
「あなたのあこがれでいられるように、ね」
誰かのために必死になれる。
今だって私の憧れでいられるようにと、前へ進もうとしている。
そういうところが堪らなくかっこよく見えた。
◇
勇者は数多の魔族を倒していった。
体をボロボロにしながら、前を向いて進み続けた。
途中つまずきそうになったこともあったが、それをも耐えた。
耐えて耐えて耐えて耐えて。
勇者は魔王と対面することとなった。
魔王はフードを被っていた。
魔王は世間に恐れられているよな風格ではなかった。
勇者より少し背が低くて、小柄で、男か女かは判別できなかったけれど、魔王の周りはとても柔なかな空気が流れていた。
それこそ、たちまち勇者の戦意がなくなるほどに。
「……あなた、いったい何者なの……?」
勇者は質問する。
勢いに任せて攻撃してはいけない気がしたから。
後で後悔してしまう気がしたから。
勇者の勘とでも言うべきか。
魔王はなにも言わない。
ただ、じっと勇者のことを見つめている。
その口許はわずかに笑っているように見えた。
一歩、一歩と魔王は勇者に近づいていく。
勇者は構えをとったけれどやはり恐怖は感じられない。
「……ここまでよく頑張った」
優しく、鈴が鳴るような綺麗な声。
その声を勇者は聞いたことがある。
聞いたことがあったから、涙を流した。
この時勇者は自分の運命を呪った。
自分の運命を憎んだことはあった。
だが、呪ったことはなかった。
勇者はどうして、と心のなかで自問自答を繰り返す。
そんなこと無意味だとわかっていても。
「リツ」
魔王は勇者と距離を一気に近づけた。
勇者はとっさに剣を放り投げる。
あのままでは魔王の胴体を突き抜けていたから。
魔王と勇者の唇が触れる。
一秒にも満たない触れるだけの、もどかしい口づけ。
「どうして……」
「……ダメだよ、リツ。殺さないと。私は魔王なんだよ?」
慈悲に満ちた声。
優しく論する声。
すがりたくなってしまう声。
そんな声を聞かされて勇者は殺すことなんてできなかった。
戦意ごと抜き取られてしまった気分だ。
「……無理、よ」
「……」
「……私、頑張ったんだよ。あなたの憧れでいられるように頑張った。でも、さすがにこれは……」
無理。
「……あなたを殺してまであなたの憧れでいたくないよ……」
初めて勇者が他人にわがままを言った瞬間だった。
他人のためばかりに頑張ってしまう勇者がーーーリツが初めて本音を言った瞬間だった。
「……逃げよう、セツ」
勇者は魔王に手をさしのべる。
世界中の人の目なんて気にしない。
今、ここであなたが死んでしまうほうが何千倍も嫌だった。
「……いいの?」
勇者は頷く。
魔王はためらいながらも手をとった。
魔王は初めて涙を流した。
勇者もそうであったように魔王も自分というものを殺しながら生きてきた。
だからずっと一人ぼっちだったのだ。
そんなときに見つけたのが勇者であった。
自分と同じような立場に立たされている彼女の気持ちがいたいほどわかったから。
だから前を向いてほしかった。
自分ができなかったことを勇者にしてもらうことにしたのだ。
「絶対に離さないから」
勇者は魔王の手を強く握りしめ、暗闇へと溶けていった。
その後、勇者は魔王との戦闘の際死んだと世界中にしれわたった。
魔王と相討ちになったと。
でも実際はどうなのだろうか。
勇者と魔王がどうなったのかは誰もハッキリとは知らない。
神のみぞ知ることである。