第5幕 誘拐
誘拐犯のアジトにて。
冴沼は誘拐犯二人に引き立てられていた。
「離せ、離せよ!」
冴沼は縛られながらも、せめてもの抵抗を見せるが。
「口の聞き方に気をつけろ、お前は人質だ! そんなことも分からねえのか!?」
「そういうことだ、ゴミが!」
男二人はそう言いながら冴沼を乱暴に床に投げ出し、笑いながら部屋から出て行く。
「くそ、たった数秒で人質から、ゴミに格下げかよ!」
誰もいなくなった部屋で冴沼は、吐き捨てる。
「君たちなんて、金持ちの肩書きがなければそんなものってことさ。」
「!? この声は!」
どこからか聞こえてくるその声は、何やら聞き覚えが。
入って来たのは、昨日フリーライターと名乗っていた浮浪者風の男ーー名をば栗毛狂一郎となむ言いけるーーであった。
「やあ、昨晩夢でお会いして以来かな?」
栗毛はにやにやと、冴沼に絡むが。
「いや、普通に現実世界で会ったって!」
「冗談の通じないやつだな、君は。 そんなやつはモテないな。」
「ぐさ!」
冴沼のうまくない返しに、返した栗毛の言葉はそのまま冴沼の心に、刺さる。
「おっと〜? 痛いとこ突いちゃったかな〜?」
「べ、べべ別に!」
「まあ冗談はさておき……そろそろ本題に移ろうか?」
その言葉に冴沼は、あることに気づく。
「はっ! そうだ、坊っちゃまはどこに!」
「やっと気づいたか。君、本当そんな鈍くてよく嘉館の執事になれたよね〜!」
栗毛からは罵声が、返る。
「ほっ、放っとけ!これでもなれたんだよ! 坊っちゃまはどこだ!」
冴沼は啖呵を切るが。
「教えてやってもいいが、教えた所で俺には何の得もないしな〜」
栗毛はおちょくるような受け答えである。
「ふざけるな!」
「それはこっちの台詞だ! 粋がるなよポンコツ執事。
さっき口の聞き方に気をつけろと言われたの忘れたか?
自分の大事なもんも守れないで、執事だ何だほざくんじゃねえ!」
その言葉には冴沼も、口をつぐむ。
何にせよ、この男たちを前に自分が何もできなかったのは事実なのだから。
「……分かった、どうかこの通りだ、教えてほしい。」
おとなしくなった冴沼の様子に、栗毛も満足げに。
「……よし、ただし、こっちが望む情報くれたら教えてやる。」
要求を、突きつける。
「望む情報?」
「さあ、教えてくれよ。」
「我々の要求は一つ。嘉館清蔵が自らの過ちを認め、謝罪することだ。これを受理いただけるのであれば、一日後までにお返事願いたい。そうすれば、人質である坊っちゃまの命は保証しよう。但し、返事をいただけない場合、または要求を受理いただけない場合は人質の命はないものと思ってほしい……」
電話機から聞こえるのは、機械により変えられた甲高い声である。
会長室に火宮、上尾、そして清蔵と渚はいた。
清蔵、火宮は電話の声を聞き、上尾は渚にじゃれている。
「以上が、犯人グループからの通達です。」
電話機が録音した音声を流し終えると火宮は機械を止め、清蔵に言う。
火宮にはこの後、清蔵から質問が立て込む。
「電話が掛けられた場所は?」
「都内の広い公園内です。」
「使用された携帯電話の特定は?」
「身分を偽装して契約された機器だったため、未だ特定には……」
そこまで聞いた所で、立っていた清蔵は会長の椅子へ、座りため息をつく。
「まったく、質が悪いにも程がある悪戯だ。」
「会長……」
火宮は清蔵に声を上げかける。ここまで来れば悪戯などではーー
「無論、ここまで来れば相手の本気は認めざるを得んよ。」
火宮の心中を察したように、清蔵は声をかける。
「警察には……」
「言わん。何度も言わせるな。」
「……申し訳ありません。」
会長室には不穏な空気が流れる。
その時だった。
「これはどういうことですの? 嘉館会長、説明していただけるかしら?」
声と共にノックもなしに、おもむろにドアが開き。
師合園美、武の夫妻がズカズカと入り込む。
「!? ご夫妻!?」
火宮は驚く。なぜ師合夫妻がーー
「これはこれは師合ご夫妻、お揃いで」
ピリピリとした空気の只中にあっても清蔵は、恭しく夫妻を出迎えるが。
「そんな挨拶はいりませんわ! 説明していただけるかしらと申し上げたの!」
「成人君と冴沼君が誘拐されたとは、本当ですか!?」
怒り心頭に発した園美の傍らで、武が尋ねる。
「! 何故、それを……」
火宮はまたも驚く。その件は夫妻にも、内密にしてあったはずーー
「そもそも、アポなしで会長室まで来られるとはいかがなものかと」
凄まれても尚、のらりくらりと躱そうとする清蔵だが。
「話をすり替えるおつもり!?」
「僕たちは、話を聞きたいだけなのです!」
当然それであしらえる、夫妻ではない。
「一度落ち着いてください……」
火宮もせめて宥めようとするが。
「あなたには言ってません! 私たちは会長に聞いているの!」
「会長!」
夫妻はまるで聞く耳を持たない。
「会長……」
火宮も観念したとばかり、清蔵を見やる。
清蔵もため息をつき。
「……わかりました、申し上げます。 私の孫とその随行執事は何者かに誘拐されました。」
正直に情報を、話す。
「……それは、本当なのね。」
「何てこった……」
普段は能弁な夫妻もさすがに、これには言葉もない。
「これでよろしいですか?」
清蔵はいかにも、早く話を終わらせたげであるが。
「もう一つよ。……会長、ご自身の過ちとは何ですの?」
「そうだ、何をされたんです?」
そうは問屋、いや夫妻が卸さない。
「何もしておりません。……といえば嘘になりますな。私にも若い頃はございました。若ければ、未熟ゆえの間違いを侵すこともございます。失礼ですが、あなた方にもそういった頃はおありだったのでは?」
またも清蔵の答えは、追及を逃れんばかりのものであった。
「答えになっていないわ! 会長、はっきりと申し上げます。私たちは今、あなたに嫌悪感しか持てませんわ、不信感と言ってもいいかしら!」
「そうだ、そんな風にはぐらかさないでちゃんと答えてほしい!」
夫妻も当然、引かないが。
「……うるさい!」
「……!?」
啖呵を切ったのは、火宮だった。
「……すみません、ここからは感情が高ぶっております故、しばし言葉が乱れます。
……お前たちに何が分かる!会長は、昔からたった一人でこの嘉館グループを背負ってきた。たった一人で苦労を背負ってきたんだ! だからこそ、今この嘉館グループがある。
それを……何故過去の過ちなどでこんなにも責められる! こんなにも追い詰められなければならない!」
火宮は立場も忘れ、怒号を飛ばす。
その様には夫妻も、一瞬唖然となるが。
すぐにはっとして。
「……し、執事長の分際で、何という口の聞き方!
……あなた、行きましょう。役員会に働きかけて、会長には完全にお退きいただくの。水城の婚約も解消よ!」
「あ、ああ……」
夫妻はそのまま、出て行こうとする。
しかし、清蔵がその背中に、声をかける。
「……もし! 私に何か過去の過ちがあるとすれば、あなた方とのあの取引も、そういったことになるでしょうな。」
「!?……」
「まさか、忘れたわけではありませんな?」
「……」
清蔵の言葉に、返す言葉もなく。
夫妻はただ、逡巡するばかりだが。
その時である。
「お父様お母様やめて! 今やるべきことは、成人様や冴沼さんの無事を祈ることでしょう、こんな風に言い争うことじゃなくて!」
水城が、明日葉に寄りかかりながらドアを開けて入って来た。
「……君澤、引き止めておいてと言ったはずよ。」
水城ではなく、執事を責める園美である。
「恐れながら奥様。……これが、お嬢様のご意志です。何卒、ご理解を。」
明日葉はためらいつつも、毅然とした態度である。
園美はため息をつき。
「ふん、水城。親に諫言するなど、そんな子に育てた覚えはなくってよ。」
娘を、咎める。
「……すみません。」
水城も、涙を拭い。
差し出がましい思いである。
「まあ、いいわ。会長、さっきは私たちも言い過ぎたわ、ごめんなさい。……成人さんと冴沼さんを取り戻すため、私たちもできることをさせていただきます。」
「ああ、そうだ。僕たちも、協力させていただきます。」
しかし逆に落ち着きを取り戻した夫妻は、清蔵に頭を垂れる。
「いや、私こそすまない。……ご協力ありがとう。火宮、犯人に伝えてくれ。……要求を呑むと。」
「!?……会長……」
清蔵は夫妻に返し、火宮に命じる。
と、渚は上尾をあしらい、清蔵の下へ。
「ねえ、やっぱりこいつつまんない! ご主人様、遊ぼ〜。」
いつものように、じゃれる。
「おお。……では、これで。」
清蔵の言葉に、火宮も一礼すると。
そのまま上尾を引きずり、会長室を出て行く。
「おい、上尾……」
「ふははは〜」
前と同じく、秘書の毒に当たったご様子の上尾……だったが。
「秘書の毒にあたった演技はもう止めろ!」
「いて! ……何だ、分かってたんすか。」
火宮は上尾を叩く。
上尾が演技をしていることを見抜いていた。
そして、次には上尾の胸倉を掴み。
「よくもあんな真似を………」
「ななな、何すか!?」
上尾は凄まれ、かなり怯える。
「とぼけるな! 師合ご夫妻に知らせたのはお前だな!
あの秘書にじゃれていたのも、お二人をあいつが引き止めないよう妨害するためだろ!?」
火宮は怒鳴る。
「別に怒ることないでしょ! あのご夫妻にも、知る権利があるはずです!」
上尾も負けじと、怒鳴り返すが。
「バカ! 水城様はあんなに悲しんだんだぞ! そんな思いをさせたかったのか!?」
火宮のこの言葉には、返す言葉もなく。
「……すいません、俺余計なことを……」
身体から力を抜く。
「もういい、さっきご夫妻に暴言を吐いた私も、お前を咎める立場にはないしな。」
そっと上尾から手を放し、火宮も矛を収める。
「執事長……」
「さあ、早く犯人に伝えなければ。」
火宮は歩き出す。
上尾もそれについて行くが。
「ええ、だけど……もしかしたら今回、こっち側にも犯人の協力者がいるのかも……」
上尾のその言葉には、火宮も驚く。
「!? ……お前、何故それを考えた……」
「え? だって普通思いません? あんな厳重な警備突破されたら。」
「……お前にも、それぐらいの頭はあったんだな…」
火宮は笑いながら言う。
「あー、バカにしてる! せっかくさっきご夫妻に啖呵切った時かっこよかったって褒めてあげようと思ったのにな〜!」
「お前に褒められる立場ではないわ!」
調子にのる上尾を、いつも通りに咎める火宮だった。
場所は犯人のアジトへ、戻る。
「へえ、そうやって行けばいいんだ……」
冴沼から"その情報"を聞いた栗毛は、ご満悦である。
「さあ、僕は話したんだから、お前も僕に坊ちゃまの居場所を教えろ!」
「ください、だろ!」
強気に出た冴沼に、栗毛も言い返す。
「……教えてください。」
栗毛に渋々、下手に出る冴沼だが。
「うーん、そうだな……やーだよ!」
栗毛は舌をペロリと出して言う。
「何!? ふざけるな、約束が違う!」
冴沼は、怒り心頭に発する。
「まあまあ、そう熱くなりなさんな。 安心しろ、坊ちゃまの命は保証してやるよ。」
「信じられない! 今僕との約束を破っておいて!」
まったく悪びれず抜け抜けと言う栗毛に、冴沼の怒りは収まらないが。
「身の程を! 弁えてくれってさっきいったよなあ? こっちだってあんたらを始末したいわけじゃないんだよ、あんたさえ大人しくしてくれりゃあな……」
栗毛が制する。
「分かった、本当に坊ちゃまは無事なんだな? なら、それでいい。」
冴沼は、自分自身を納得させるために言う。
「よし、お前はここで解放だ! もう用済みだからな。」
栗毛はしれっと、冴沼に言う。
「何!? ぼ、僕を解放する前に、普通は坊っちゃまを解放するのが筋じゃないのか!」
「そう、それが筋……だけれど! 筋じゃないことするのが悪役、だろ!」
再び怒る冴沼に、栗毛は相変わらず不遜な態度を崩さない。
「ふざけるな!」
「そう熱くなりなさんな。さあ、(指パッチン)
さっさと連れてけ!」
怒る冴沼を、栗毛の合図と共に男2人が登場し連れて行く。
そこは、川だ。
「ああ残酷だ神様……って、川!? やめてそれだけは、それだけは!」
「お前がカナヅチなことなんて調査済みだ! 何もなしで帰すと思ったか、このハーゲ!」
怯える冴沼に、栗毛は追い討ちをかける。
「私はハゲてない! ……畜生、なぶり殺しってことかよ、何の恨みがあって……」
「お前に昨晩! いや、一昨日の晩だっけな? まあいずれにせよ、ボコられた恨み、忘れてねえぜ!」
栗毛は憎しみを込めて、冴沼に言う。
「いや、勘違いしてない? 勘違いしてない? 確か後から現れた、かっこいいお姉さんだった気が……」
冴沼は必死に、弁解する。
「あれ? 俺をボコったのはあのお嬢様だっけな?」
「そ、そうだよ、だから……」
「まあ、なんでもいいや!」
栗毛はまたも、合図を送る。
「ぎゃー!」
冴沼の断末魔が、響き渡った。