第2幕 ハルジオン
「女はもうこりごり。」
コップを片手に、冴沼は体を傾けながら言う。
あの控え室での一件の後、冴沼は行きつけのゲイバー・ハルジオンにいた。
「あんたも好きね〜。」
こう言うのはハルジオンのマスター……いや、ママである JUN春咲。
「だから男を。なのに、なのに……」
冴沼は悔しそうに顔を歪ませる。
「よりにもよって好きになったのが、リア充のイケメン坊っちゃまとはね〜、あまつさえさっき婚約で止めか〜!」
春咲はコップを洗いつつ、そっと冴沼を見やりながら言う。
「結局、またか……でも、この結婚怪しいですよ。坊っちゃまのフィアンセの実家は、嘉館グループとかねてから親密な取引で知られてます!」
バッと飛び起きたかと思えば冴沼は、師合家に言及する。
「政略結婚、とでもいいたいわけ?」
「と、いうより乗っ取るつもりじゃないですか? そのために坊っちゃまを抱き込んだとか……」
深い所まで言及しようとする冴沼だが。
「止めよう、こんな話。根拠のない臆測を、そんな声高に話すもんじゃないよ。」
春咲が遮る。
「それは分かってますよ、でも!」
「それが事実なら、この結婚を破談にできるかもしれない。……そんなとこ?」
「はい。」
春咲は深くため息をつき、今度は冴沼をまっすぐに見る。
「あんたが同じこと繰り返す理由が分かった。それはもうジンクスじゃないよ、あんた自身の問題だ。」
「え……?」
訝る冴沼に、春咲は尚も続ける。
「そうやってライバルの揚げ足取って、追い落そうってんだろうけど、あんた自身は何かした訳? 自分を磨いて振り向かす努力するとかさ。」
「それは……」
冴沼は言葉に詰まる。
「だろうね。まあ、もう婚約した後だからそれを破談させたいって気持ちも分かるけど、はっきり言うわよ。……そんなんなら、坊っちゃまは諦めな!」
「……」
冴沼は、返す言葉もない。
「まず、相手が今のあんたじゃ全然釣り合わない。それに、婚約者の両親も海千山千ときてる。何よりあんたの姿勢がそれじゃね……どう考えても諦めるのが得策だよ。」
「……」
きつい言葉ではあるが、ごもっともではある。
「何なら、何人か紹介しようか?」
「……諦められません。」
春咲は気遣うが、冴沼は低く声を出す。
「何?」
春咲が聞き返すと。
「諦められないんです! そりゃ分かってますよ、僕には何も取り柄がない、何もできないって!」
「よく分かってんじゃん。」
「でも、それでも諦められないんです! うまく言えないけれど、僕には坊っちゃましかいないんです!」
今度は冴沼は、力強く答える。
返事に困ったのは、今度は春咲の方だった。
「はあ、モテる奴は男も女も辛いねえ……まあ、本当に坊っちゃましかいないなら、マジになれば?」
何とか言葉を、紡ぐ。
冴沼も幾分かは元気になり。
「ありがとうございます! ……あ、今日の分はツケで……」
「はあ、また給料日前に来ちまったの? ……次は頼むね。」
「ありがとうございます!」
冴沼は言い残し、店を出る。
春咲は冴沼の使っていたカウンターの一角を片付けながら、呟く。
「悪い奴じゃないんだけどね……」
冴沼は帰路につきながら、独り言を言う。
「はあ、でもどうしたらいいんだ……もう婚約したのに、振り向かせるってーー! ……えええ⁉︎」
叫び声は途中から、疑問符に変わる。
背後から、シャッター音が聞こえたためである。
振り返ると、そこでは浮浪者風の男が、カメラの写真をチェックしていた。
「え、いやいやまさか……?」
冴沼はスルーしようとするも。
男は、もう一度カメラを構え。
シャッター音が響く。
男は、そのまま立ち去ろうとする。
「……て、おい!」
冴沼は、男を追いかけ、押し倒す。
男の持っていた写真が落ち、散らばる。
「おいおい、一体なんだい……」
「それはこっちのセリフだ!何パパラッチじみたことを……」
と、冴沼は散らばった写真のうち一枚を拾い上げる。
そこには、成人の映った写真が。
「これは……坊っちゃま?」
「いいだろ。」
男は冴沼から写真を奪い返し、立ち上がると。
散らばった写真を片付ける。
そのまま冴沼も立ち上がり、睨み合う構図となる。
「あんた、本物のパパラッチか……」
冴沼は問いかけるが。
「俺はフリーライターだ。」
「浮浪者ライター?」
「フリーライター! ……あんた、嘉館の御曹司を坊っちゃまって言ったな。もしかして、執事〜?」
「羊じゃない、執事だ!」
「いや言い間違えてねえよ!……まあ、知ってるけどね〜!」
と、男は冴沼と成人が映る写真を見せる。
「それは!? ……お前、僕に近づいて何しようってんだ?」
「しがないライターが、這い上がろうとして何が悪い?」
男のその言葉には、やや躊躇いを見せる冴沼だが。
「だけど……坊っちゃまに手を出すなら容赦しない。」
冴沼は握り拳に力を込める。
「ほう、……やるってか?」
「僕はお前なんか趣味じゃない!」
「そっちのやるじゃねえよ!」
冴沼は栗毛に向かうが、あっさり敗北する。
「ぐはあ!」
「何だ?言うわりにへっぴり腰だなあ?それで天下の嘉館グループ執事とは笑わせるぜ!」
「き、貴様…」
地に伏した状態から上半身のみを起こす冴沼だが、尚も男に踏みつけられ。
「ぐっ!」
「さあてそれじゃ……坊っちゃまについて洗いざらい話してもらおうかあ?」
そこへ突如、人影が踊り出る。
「ふん!」
「ぐはあ!」
人影は男に回し蹴りをお見舞いし。
男は倒される。
「て、てめえ……」
人影を睨む男だが。
「何、やるの?」
「……ち、覚えてろよ!」
さすがに敵わないと見、男は逃げ去る。
「ありがとうございます。」
冴沼は人影に礼を言うが。
「何、やるの?」
「……ええ〜!?」
人影のこの言葉には、身構えてしまう。
「嘘。怪我はない?」
「は、はい! ……あれ? 」
月明かりに照らされ、人影の顔が見える。
「あなたは師合の……」
冴沼は気づく。人影は師合家執事、明日葉であった。
明日葉も気づくが。
「あなたは嘉館の……」
「メイド!」
明日葉、冴沼に一撃を加える。
冴沼はまたも倒される。
「……執事よ。男ばかりが執事じゃないの。」
「す、すみません……」
冴沼は言いつつ、起き上がる。
明日葉は尚も続ける。
「別にメイドを軽視している訳じゃないんだけど、だめなの。看護婦さんに間違われる女医さんと同じ気分になる。」
「え? 何の話です?」
冴沼は訳が分からず、突っ込むが。
「何、本当にやるの?」
「す、すみません! もう帰ります!」
これ以上怒らせては敵わんと、冴沼は立ち去ろうとするが。
「待って!」
「……はっ、はい!」
後ろから明日葉に呼び止められ、立ち止まる。
今度は何を言われるのかと、恐る恐る振り返るが。
「……夜道は気をつけてね。」
「は、はい!」
予想に反し、優しい言葉であった。
一安心し、冴沼は立ち去ろうとするが。
明日葉に対しある疑問が頭をよぎり、呟く。
「……ツンデレなのかな?」