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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

P O T A L A K A -ポータラカ-

作者: 高松五葉

 

 

 柔らかな波の音が、微睡むぼくの意識をくすぐった。


 白い砂浜をしゃわしゃわと掻き回す潮騒(しおさい)の合間に、サンコウチョウの(さえず)りが交差する。体を起こすと、頭上の枝から、長い尾を引いて小さな影が飛び立った。とっくに日は高くなっていたけれど、密集した葉や(つた)の下はひんやりと心地好い。からからと喉を転がすような鳴き声や、枝草を(はじ)く音が次々と生まれるこの緑の天蓋(てんがい)は、涼を求めた動物たちの避暑地として盛況しているのだろう。ドームのような木の陰は、夏の熱気から充分ぼくを守ってくれていた。


 腕や顔にまとわりつく砂を払っていると、不意に喉が渇きを思い出した。つばを飲むと、砂がじゃりじゃりと歯を撫でて、思わずぺっと吐き出す。あいにくと、ぼくの水筒は空っぽになってだいぶ経つ。飲み水までとはいかないけれども、せめて口だけはゆすごうと、海のほうへと這いだした。


 青い硝子瓶に閉じ込めたような鮮やかな海は、近付くにつれて澄んだ水底を覗かせて、時折きらりと白い飛沫をあげていた。焼けつくような浜を越えていくと、しっとりと冷えた砂がぼくの裸足(はだし)を包み込む。つられて巻き上げられたのは、小さな貝の欠片だろうか。星のような粒を数えながら海水を口に含むと、乾燥した周りの皮膚に滲みて、うっと呻き声が漏れて出た。久しぶりに舌に乗った塩気で、空っぽのお腹がぐう、と苦情を告げてくる。

 

 口をぬぐって空を見上げると、白い海鳥が二羽、鋭い羽を(ひるがえ)して飛び交っていた。じゃれつくように弧を描いた二羽が太陽の光に隠れると、とても見ていることは出来ずに、ぼくは目を落として瞬きを繰り返す。視界の中心に焼き付いた緑色の影は中々消えてはくれず、強い日差しの下にいながら、暗いトンネルに入っているような感覚だ。キュイキュイという海鳥の声と足に届く冷たい感触を頼りに、波と砂の合間を進んでいく。二匹、三匹、それ以上。いつの間にかぼくは、海鳥の声がさっきよりも増えていることに気が付いた。


 伏せていた目を上げると、突き出た岩場の上にアジサシが群れを成して留まっていた。黒い帽子を目深にかぶったような頭を上下させて、懸命に何かをついばんでいる。白いもの、そして赤いもの。挟み込むくちばしを押し返そうと宙を掻く八本の細い足と、ぎこちなく動く小さな(はさみ)が見えた。小蟹だ。抗議をするように嘴から逃れては、再びつまみ上げられる小蟹を眺めていると、地面をさっと黒い影が駆け抜けていく。ついさっき光りの中で見失った二羽の鳥が、仲間たちの食事に興味を示したのか空から降りて加わっていた。仲間の波を縫って岩場を歩き始めると、ぼくにはもう、その二羽がどこにいるのか分からなくなってしまった。

 

 静かに近付くと、湿った岩の上には白い産毛が張り付いているのがよく見えた。その隣には、捕食者にもぎ取られたのか、とがった蟹の足のようなものが転がっている。よっぽど腹の虫の居どころが悪かったのだろう、無心で岩の窪みを突いていたうちの一羽が、食事横取りした仲間を威嚇(いかく)して、食卓の外へとはじき出していた。

 

 仲間の指弾に驚いたように、一羽あぶれたアジサシが不満げに羽をばたつかせながらぼくの目の前へ降り立った。片足を口元に上げて、嘴に付いた甲羅のかすを一心に払っている。続いて首を掻くように足をもたげた彼は、そこでようやく、ぼんやりと眺めるぼくの姿に気が付いたらしい。体を跳ね上げると、下ろした足が落ち着く前に、甲高い声を一つ残して宛もなげに飛び去っていった。


 と、仲間の警告が届いたのか、岩場で各々羽を休めていた鳥たちが、ぱっと蜘蛛の子を散らしたように飛び立った。いち早く本能的に飛ぶもの、こちらを見ずに仲間に釣られるものや、ぼくを見てなお「なんだ、ただの人間じゃないか」と再び休もうとして、自分の周りが寂しくなったからか、渋るように続いたものもいる。ぼくは君たちを、その蟹のように食べやしないのに。驚かせるつもりがこれっぽっちも無かったぼくは、抜けた産毛が降る中で、今度は手を目の前に(ひるがえ)しながら、鳥たちの影が空に吸い込まれるのを見送った。


 鳥たちが消えた岩場は、色々なものが散乱していた。水と泥で汚れた産毛や木の枝、赤黒い甲羅の欠片がまばらに挟まり、白くてミミズの切れたようなものが伸びて張り付いている。その中にぽっかりと空いた、潮が満ちれば浸ってしまうだろう磯の水溜まりに、白く大きなものがいくつも横たわっていた。頭があり、四肢がある。その形はぼくによく似ていて、なにとなく見覚えがあった。


 近づいていくと、潮の乾いた臭いに混じって、それの臭気がむっと押し寄せてきた。よく見ると、近くに投げ出された五指の先はしわしわと乾いて黒ずみ、まるで水風船のように、指の付け根にたぷたぷとした膨らみを持たせて脂っぽく光を反射している。溜まった海水に浸された短い髪の毛は、藻のように絡まっていて、ヨーグルトのような白いあぶくがあちこちに付着していた。平たい、節のある虫たちが、ちらちらとその下を往復している。そんな彼らを急かすように、唸るような羽音を撒いて、蝿が忙しそうに跳ね回っていた。


 たくさんの生き物の塊となったそれを、ぼくは夏の暑さを忘れて見つめていた。太陽を向いたお腹は牛のようにまだらで真ん丸だ。ここには、何かに追い立てられるような不安も、少しの空腹も無いような、凪いだ時間が流れている。どれほど前のことだろう、ぼくが最後に見た彼らと比べて、これらに穏やかな印象を受けたのは間違いじゃあないはずだ。


 ざぶりと、波が磯を舐めた。足元で水溜まりに沈みかけた水筒が揺れ、見つけたぼくはそれを引き上げる。水筒には、表面に大きな穴が開いていた。海の水が全て出ていくのを見終わって、ぼくは同じ場所にちゃぼりと落とす。すると、水筒の穴の中から、なにやら赤茶けたものが這い出してきた。蟹だ。アジサシたちの食事が終わるまで、水筒の中に隠れていたのかもしれない。赤い蟹は、沈もうとする水筒の上を、水を避けながらよたよたと左右に動いて、横たわる友人の腕にじょうずに乗り継いだ。海面がいつの間にか高くなっている。もうじき、目の前の彼らはもっと深く水に浸かり、いずれは海に返るのだろう。


 いつの時だったか、祖父から、海の向こうにある山の話を聞いたことがある。昔はその浄土に向けて、いくばくかの食べ物とただ一人を乗せて船を出したというらしい。漠然とした思い出のなかで、皆がそこに行けるよう、先見に船を出したのだ、と祖父が語っていたように思う。補陀落(ふだらく)、というらしいそこでは、折り重なる友人たちのように、忙しなさから離れて暮らすことができるのかもしれない。


 ぼくは、ふるふると友人の手の上で震えている赤蟹の甲をそっと手に取り、何やらこびりついているはさみを振り上げるそれを、ぽとりと自分の水筒に入れて蓋をした。狭いものだけれど、浄土に行けるというのなら、彼も、彼の中の友人たちも、大目に見てくれるかもしれない。足元を打ち据える波に負けないように、ぼくは力いっぱいそれを投げた。今度は沈むことはなく、水筒の船は波間を揺蕩(たゆた)っていく。ぼくは、彼らの渡海を見送りながら、いつまでも波の音に耳を傾けていた。



END

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