第7話 魔女たちのワルツ
「アリー様――!」
カミラは、眠っている者たちをゆすり起こした。
少し不機嫌そうに用件を尋ねるアリーだが、息を殺した様子のカミラを見て事を把握するとすぐさま飛び起きた。
「んー……アリーさま……?」
ブランクが寝ぼけ眼をこする。アリーはそれを優しく起こした。
「敵襲だ。起きておきなさい」
それを聞いたとたん、幼い少女は不安の色に変わる。
「アリー様、お逃げを」
カミラがそのように勧めたが、アリーはそれを遮った。
下手に雪の中へ跳び出せば、最悪の場合遭難死するだろう。
そうでなくとも、どれだけ敵がいるのかも知れぬうちに動くのは得策ではない。
この場所を要塞として戦うのが、最もらしい選択肢だった。
アリーは、現場に出向く。
扉を隠す棚を掻い潜り、そっと階段上から下を伺う。
あけ放たれた扉だけが見え、ドロノフの姿は無い。
アリーは駆け降り、外へ飛び出した。
山を打ちのめす轟吠と共に、上空からドロノフが降下する。
その下に構えるのは、長い棍のような杖を備えた敵の姿だった。
「奴は――」
アリーは、その目つきを歪み見開いたものに変化させる。
高速で落下したドロノフは、そのひと打ちで地面を割り、半径数十メートルにも及ぶ範囲の雪を叩き上げた。
地鳴りがし、彼の実力が露わになる。
しかし、攻撃後には一瞬、隙が生じるものだ。
敵の小男は、昆の先端に煌めく閃光を纏わせながら、ドロノフの命を取らんと一撃を放つ。
「ランタンと太陽の魔女!!」
耳が縮まるほどの声だった。
山にこだまし、雪崩が起きさえするような声量で二人の注意を引いたのは、アリーの一声。両者の動きはぴたりと止まった。
「アリー様……!」
二人はしばらく唖然としていた。
狂気じみているとすら思えるあの劈き声には、どんな魔女でもあっけにとられるしかないらしい。
「……これはこれは、アウレリア卿。久しぶりですね」
アリーはその言葉が癇に障ったのか、柄にもなくすぐさま言い返した。
「貴様に卿呼ばわりされるとはな」
「それはそうでしょう。習わしに従い、どのような形にせよ爵位を得ているのですから、そう呼ばなくてはね」
引っかかる言い方だが、彼の戯言は恐らく解を射ていたのだろう。
アリーはその言葉に付けてこう続けた。
「では貴族の習わしに従い、紳士的な勝負は一対一の決闘、としようじゃないか」
一瞬、キョトンとした表情を見せ、すぐに吹きだしそうな笑顔に戻るランペルツ。
アリーの交渉術は、彼にとってよほど面白い代物らしい。
「貴き身代の誇りがあるならば応じるはずだが」
「いいでしょう。ルールをどうぞ」
アリーは表情を崩さなかったが、その口元は一瞬緩んだように見えた。
「一騎打ちだ。どちらかが倒れることによって勝敗がつく。私が勝てば丸一日の停戦。貴様が勝てば、後はどうにでもするがいい」
「ずいぶんと軽い要求ですねぇ。別に低く見積もらなくても乗りますよ。かのアウレリア卿の申し出とあらばね」
ランペルツは相変わらずの薄ら笑いのまま、地面に突いた杖を構えなおす。
アリーもその手を背中の柄にやり、得物をひと払いした。
「無駄口はいい。飲むなら始めよう」
両者ともに、異なる薄気味悪さを帯びている。
一定の実力者ともなれば、それなりに異様な風采を伴うということか。
二人はゆっくりと雪に足を踏み出し、寄っていく。
だんだんと早足に。駆け足に。
刹那、火花と共に二人は競り合っていた。
マーシャとエルザが様子を見に降りて来た。
カミラ達には身を隠させ、自分たちは外のただならぬ気配を確かめにきたのだ。
「オレグ! 大丈夫!?」
マーシャがかすり傷を負ったドロノフに駆け寄りいたわる。
「問題ねえ。それより見ろ」
ドロノフは、人が死ぬ間際のような剣幕のマーシャをおさめ、前方を見るように指でさす。
雪の中では、風をも切らんばかりのスピードで二対の魔女がやりあっていた。
上空を奇行し地上を這う、つむじ風と嵐の魔女。
光弾と光線によって空間を支配し、それを寄せ付けないランタンと太陽の魔女。
その戦いはめまぐるしく様相を変える、一進一退の拮抗したものであった。
「天下の一、二を争う大魔女の戦いだぜ。滅多に見られたもんじゃない」
エルザは初々しく白熱した戦いに見入ったが、マーシャはその顔を良いようにも悪いようにも変えなかった。
主人の戦う姿を、ただじっと見つめたのだ。
「……楽しそうね。アリー様」
ドロノフは、その感傷に浸った呟きに頷いた。
彼らが主君の表情は、雪塵巻き起こる闘争の中にあって、かつてないほどに輝いていた。
敵の魔術を数発喰らい流血に身を焦がしながらも、彼女は笑っていたのだ。
目撃者には、何が彼女を恍惚に浸すのかは分からない。
何が彼女に大剣を握らせるのかを知ることができない。
何が彼女に力を与えるのか、恐らく当の本人ですら理解できないことだろう。
ただ、心を産み落とした神であれば、或いは理解するかもしれない。
アリーが、憎しみを超えた何かに頭蓋を駆りたてられているということを。
劣勢は、ランタンと太陽の魔女に舌打ちをさせた。
アリーの威勢もまた一つの要因だが、最初のきっかけは彼の傲りだった。
それを察したのか、アリーは敵を侮る。
「少々見積もりが甘かったようだな、ランペルツ殿」
ランペルツは、舌なめずりをするアリーを睨みながら、けたけたと笑った。
「確かに、ここまでお強いとはねぇ……仕方ありませんね。一日二日くらい、休戦としてあげましょう」
それは一騎打ちに対する敗北の宣言だった。
しかし、アリーの引きつった口は低い声で言い放った。
「一騎打ちで殺さんとは言っていない。貴様は死体となって倒れ、勝負は決する」
しかし、その脅迫に彼は屈しなかった。
それどころか、何か勝機をつかんでいるかのように、笑みすら浮かべている。
「一騎打ち、ね」
しばらくの沈黙ののち、アリーがランペルツに飛びかかり、その首が落ちることで幕が引くかと思われた。
しかし、ランペルツは忽然と姿を消した。
「何――!?」
少女は一瞬戸惑ったが、すぐに後方に現れた気配を悟る。
彼女が振り返った時には、既に敵の企みが露呈していた。
杖を振りかざしたランペルツは、山小屋めがけて巨大な光弾を撃ち放ったのだ。
不意の出来事に、ドロノフらは回避の動作が遅れる。小屋の中の者達には尚避ける術が無い。
アリーは背中を風で突き飛ばし、攻撃と家族との間に割り入った。
巨大な爆発と共に雪は巻き上げられ、雪崩のように落下した。
雪煙が晴れると、山小屋が多少の損害を受けるにとどまっていることが分かる。
一帯に覆いかぶさった雪をかき分けて、ドロノフとマーシャ、エルザも這い出、無事のようだ。
だが主役の姿は、しばらく現れていない。
「アリー様……? アリー様!!!」
かすかな魔法の気配を読んで、マーシャが駆け出す。
エルザは彼女に続いて、雪を掘るのを手伝った。
柔らかな雪をひっくり返し、その下でボロボロになっていた主を見つけ出す。
涙ぐんで彼女を抱き起すマーシャは、キッと敵を睨みつけた。
「汚いぞ!!!」
ランペルツは光の盾を作り、雪を凌いでいた。
薄ら笑いをより強めると、彼は言伝を残す。
「アウレリア卿が生き残ったなら伝えてください。約束通り、明日の午前三時までは追わないと」
そのぬけぬけとした物言いに、エルザは初めて激しい感情を露わにした。
相手の方に向かっていこうとしたのである。
しかし、ドロノフに腕ずくで止められる。
彼女もその顔を見て、言いたいことを察したらしい。
では、と言い残してランペルツは消えた。
三人はアリーを介抱しながら家に入れ、救命に尽くすのだった。