第6話 魔女狩りの魔女
アーテムの三区を離れたアリー達が久しぶりに目にした建物は、それなりにしっかりとした山小屋だった。
強い吹雪も遮る事が出来る、あの人員からは考え難い完成度の拠点だ。
「二か月でよくここまで建てたもんだなぁ」
ドロノフがその銀髪を撫でつけながら山小屋を見上げる。
外見によると、この辺りの針葉樹を加工して作られたようだ。
煙突のある二階建てであり、相当手慣れた、かつ確かな建築のノウハウを持つ人員が、ここに住まうらしい。
長旅に疲れた六人は急ぎ足で扉まで向かい、先陣を切ったマーシャがノックをする。
しばらく雪風の音が過ぎ、すると中から変わった風貌の男が出て来、応対した。
「……アリー様?」
少しの間を空けて、その風変わりな男は相手が誰かを悟った。
その奇妙な間の原因は、彼が顔に巻いている黒い布のせいだ。その布は、完全に目を覆い隠している。
そう。彼は盲目だった。
「ああ、久しぶりだな。立派な城を作ったじゃないか。期待以上だよ」
アリーは賛美の声を、その盲いた青年に投げかける。
青年は光の無い瞳以外には、ブラウンの髪をぼさぼさにした、中肉中背で、実に一般的な風体の持ち主だ。
彼女に返した言葉も、その容姿から伺える歳とそれほどかい離していないものだった。
「ええ! 僕には見えませんが、この通りです。彼女の設計なんですよ」
青年は盲目のはずだが、アリーとの会話の中、奥の暖炉で火を焚いている少女をスッと指さした。
「ほう。ずいぶん飾りっ気のない堅実なデザインだね、ブランク」
ブランクと呼ばれた少女は、そこで初めてアリーの存在に気付いたらしく。ああっと声を上げ、慌てて玄関にすっ飛んできた。
そして有無を言わさぬ勢いのまま、アリーの懐に飛び込んだ。
「アリーさまぁーーっ!」
よしよし、と、妹の如く彼女のサラサラの髪を撫でる。
ブランクは褐色の肌とこげ茶の髪をした幼子であり、マルキア同様、現在の社会倫理においては汚らわしいと毛嫌いされる風貌の持ち主だった。
だがそんな世俗は意にも留めないのがこの王の在り方。
生まれも育ちも異なる魔女に対しても、アリーは紛れもなく家族であり続けた。
そして玄関口では何だと、青年が静かに六人を招き入れる。
「そうですか……とうとう足が。しかし、ぴったりのタイミングですよ。この家はつい最近出来上がったところで、昨日仮屋を崩したばかりなんです。アリー様の先見の明が冴えましたね」
暖炉で上着を乾かしながら、アリーはミルクをすすった。
「ああ。運がいいやら悪いやら……だが、フーゴとブランクに任せて正解だったよ。苦労したろう」
「誰かさんは、仲間を雪山へやるなんて自害を命じるのと同じだ~って反対してたけどねー?」
ちゃちゃを入れたマーシャがドロノフを小突く。
すると、フーゴが実はと経緯を打ち明けた。
「皆には言わなかったけど、志願したのは僕らなんだ。アリー様は指導者で、もちろん離れるわけにはいかない。カミラは資金繰りや調達、マーシャは家事、ドロノフは番と木こり、マルキアは狩り。盲と十歳の女の子は、単に荷物でしかなかった。恩返しの意味でも、この計画はチャンスだったんだ」
そう語るフーゴは、見えない目でブランクの方を見て、微笑んだ。
先ほどからこの誠実な青年は、話し声や気配によって誰がどの方向にいるかを察知しているようだ。
その敏感な四感が、八人を抱え得る小屋の建設に一役買ったという事だろう。
しばし、メンバーは建設に伴う苦労話や、日常のひと場面における出来事を笑い合い、久々の団らんを楽しんだ。
新顔のエルザの歓迎も終わり、旅路に残るはベッドへの数歩だけとなった。
「今日はアリー様と一緒に寝たいな~?」
とことことアリーの元へやってきたブランクは、荷ほどきを終えてようやく落着けた腰の、その隣に座った。
身長は頭一つ分程度しか変わらないが、アリーはわずかばかりのお姉さん気分を楽しんでいるようだ。
「いいとも。ちょうどベッドが冷たいと思っていたところだよ」
「私も入れてください」
気配もなくヌっと出て来たカミラに、ブランクはびっくりした。
「よし、少し狭いが入るがいい」
「カミラったら意外と甘えん坊さんだね!」
他愛もない冗談ではしゃいだ後、カミラは夜の見張りに戻っていく。
アリーはブランクと楽し気にベッドに潜った。
「今日はいい夢が見られそうな気がする」
アリーは、その人柄に似合わない感想を呟いた。
ブランクはにこにこしながら頷き、やがて二人の吐息は静かに収まっていった。
おおよそのメンバーは二階で眠り、当番であるカミラとドロノフが一階で番をする。
ここに来ても、少し気温が下がった事以外には以前と大きな変わりはなかった。
平穏無事で、少しばかりスリリングな日常が再びやってくると、そう皆が信じていた。
カミラはドロノフにコーヒーを淹れると、購入品の如く作りこまれたロッキングチェアに腰かけた。
深いため息のあと、友人の墓前で呟くが如く、ほっそりした声で語る。
「長旅ですね――」
ドロノフはコーヒーに口を付けながら、上目でカミラを顧みた。
無粋な事は言うまいと、この男はそういう思考の持ち主だった。
大柄でがっしりした体躯にそぐわず、こうして他人にかける言葉をよく選ぶ。
「アリー様にならついてくだろ。俺も、お前も。どこまででもよ」
「ええ」
疲れをその目に浮かばせてぼんやりした様子のカミラだが、その問いに関しては静かに即答した。
「カミラ・エルンストは――それ以外に存在する術を持たない」
夜の吹雪が窓をひたすら鳴らしていた。
手作り故にわずかに漏れる隙間風が、カミラに首元のマフラーを引っ張らせた。
「飯でも作るか。スープは何がいい。芋、キャベツ、ニンジン、あとはー……」
ドロノフは立ち上がって食料を覗きに向かう。
カミラは、ドロノフの故郷風の味付けを注文した。
限られた環境の中では、少々意地の悪いいたずらじみた言いつけだ。
はっはと笑い、ドロノフは調理にかかった。
「俺のおふくろはよぉ。そりゃもう美人だった。北の方は美人が多いって言うだろ? それだよまさに。姉貴も妹も」
「そうでしょうね。あなた美形だもの。北東の国って想像つかないけれど、一度くらい行ってみたいですね」
他愛ない昔話に花が咲く。
カミラや此処の多くの者たちには語る故郷はないが、彼ら、ドロノフとマーシャにだけはそれがあった。
十を超えた年齢になってから奴隷と囚われた彼らは、他とは境遇も、人種も違うというわけだ。
だがそれ故に、見たことも無い異郷の地への想像が膨らむというもの。
ハイラントフリートの誰もが、彼らの話を聞くのが好きだった。
オレグ・レオーノヴィチ・ドロノフ。マーシャ・ミハイロヴナ・チェルネンコ。
どちらも北東の広大な地域特有の名前だ。
彼らは移民として、或いは出稼ぎ労働者として、発展したこの国にやってきた経緯を持つ。
しかし東では魔女は差別されておらず、奴隷商売など夢にも想像せずにいた彼らはあっけなく捕縛。
数年間の理不尽に耐えてきた。
奴隷は若さによっても商品価値に差が出るために、大抵親は殺される。
それは二人にとっても他人事ではなく、ドロノフに至っては目の前で事をやってのけられた。
そして憎しみと悲しみの中に堕ちた彼を、翠眼の魔女が救ったというわけだ。
以来彼は、故郷を、親を忘れないために姓で呼ばせ、引き離された妹を探す日々を送っている。
「涙ぐましいですね。初めから人間でなかった私達よりも、はるかに――」
物心ついた時から奴隷であり、自らを人間と知らぬまま生きるのか。それとも人間としての尊厳をはく奪され屈辱の中で生きるのか。
どちらが不幸であるかなど比べようもなく、また比べるまでも無く許し難い。
そうした人の世界のカルマを互いに見出さずにはいられない。それも元奴隷の悲しき性なのだろう。
トマトで煮込んだスープが煮えた。
コンコン。
そのノックは不審なほど、家全体にこだました。
ドロノフがいつにもまして素早く怪訝そうな表情を持ち直し、上着を羽織ってゆっくりと扉に近付く。
カミラは二階へ上がり、棚でアリー達の部屋を隠した。
その手に握った長剣の鞘が、彼女たちの置かれている現状を再度知らせてくる。
準備を見届けたドロノフが、ノックの主に応対した。
「こんばんは。最近越してきた方ですかな?」
声の主はドロノフより二回りも小さくほっそりしており、吹雪にも余裕で耐えられそうな分厚いコートに身を包んでいた。
髪は白に近いシルバーブロンドで後ろに結ってあり、高い鼻が目につく、薄ら笑いの小男だ。
少年のように見えるが、吹雪の中を来た事、口調からしてそうではないらしい。
ドロノフは相手の態度を見極めると、いち早く態度を軟化させた。
「ええそうなんです。向こうの川の方にあった家がとうとう雪で潰れちまいまして、いや、新築の方が居心地がいいんですわこれが。ああそれで、どうしましたかこんな夜中に。迷っちまいましたか?」
彼の中の山暮らしの男のイメージが見て取れる。
ドロノフはまったくもって自然な態度だった。
「はい。実は人探しをしておりまして、いけどもいけどもそれらしき人は見当たらず、こんなところまで」
「おおそうでしたか。何かー、協力できることはありますかね」
小男はその台詞を聞き届けるや、ポケットからバッジのような光る金属を取り出し、見せた。
ドロノフはそれを見て、思わず動揺してしまった。
「知ってますよね、わたくしの事」
ドロノフは息をひと飲みし、姿勢を持ち直す。
「あらまっ……統治大臣様じゃないですか! ははぁっ! これは失礼を」
驚嘆しかしこまった風を装い、地に這いつくばる。
理由は単純だ。この男が統治大臣と呼ばれるべき格を持つからだ。
「心当たりを」
小男はドロノフを無視してつづけた。
「アウレリア・カーティス・ベヒトルスハイム」
まっすぐ前を見据えたまま、淡々と続ける。
「カミラ・エルンスト」
ドロノフは床に額をつけたまま目を見開いた。
ザリ・ブランク。
イオニアス・ベンソン。
マルキア・ドゥルダーナ・ラウク。
マーシャ・ミハイロヴナ・チェルネンコ。
エルスベト・マスケ。
仲間たちの名前が着々と読み上げられていく。
ドロノフの頬に、わずかに汗が伝った。
「そして君だ。オレグ・レオーノヴィチ・ドロノフ」
その瞬間に、ドロノフは跳ね上げられたように小男に向かって飛び出し、周囲のガラスが粉砕するほどの衝撃を巻き上げながら拳を放った。
それほどの威力を素手で受けておきながら、男の脚は積雪に喰らいつき、数メートル押し飛ばされるに留まった。
「ふう、痛い痛い」
相変わらずニマニマしながら、手をいたわる素振りをわざとらしく見せる。
「バルトブルク王国王下第一臣、統治大臣。ベンヤミン・ミュラー・ランペルツ。知ってるぜガキ。てめえは魔女狩りの魔女だ」
長ったらしい格名だが、重要な事はただひとつ。
この男が、敵であるということだけだった。