第71話 残されたもの
「復讐は遂げられる」
アリーの金色の一言がこだました。
広い、威厳を誇示せんがためのまったく無駄な広さが佇んでいる。
長い絨毯の先に、ようやく小さく見える王冠を控える王座には、たった独りこの国に残った勇敢な王が座る。
実兄をためらいも無く捨て石にした少女は、悪魔に堕した笑みを浮かべた。
「貴様も殺してやる」
武器を全て捨ててきたアリーは、手ぶらをひけらかして自信を示した。
わずかながらの高みから王は、足組みを解くこともなくソレを見下ろしていた。
ここに至るまで、ただそこでじっと身構えていたのだろうか。
だとするなら、驚嘆に値する決意。そしてそこには意地が見える。
守られる最後の駒は、決して飛び出してはならない。
いかに味方が無残に殺されようと、連れ添った強い駒が奪われようと、王だけは絶対に無謀になってはならない。
誇りや人道に突き動かされてはならない。
なぜなら、王の死は全ての敗北を意味するからだ。
どんな工夫も、努力も、死を以て成した抵抗も、王さえ消えれば無かったことと同じなのだ。
三人目のカルロス王は、しっかりとそれらをわきまえ、信念のもとに座していた。
「エッフェンベルクはどうした」
アリーは答えない。
反逆に堕ちた行き過ぎた忠誠心さえ最後に受け入れた、そうであろう王が問うも、ただ少女は、人間とは思えない表情で嬉しそうに歩いてくるだけ。
この期にまで及ぶと、彼女に見えているものは一寸先の達成された復讐の未来だけだろう。
言葉も、救済の心も金色の髪に弾き落とされてしまう。
若き王は近付く少女の震える息に、無念そうな無表情で立ちあった。
そして、瀬戸際に、最後に問わなければならない事を問う。
「お前には何が残った」
アリーは立ち止まることはない。
「全てを捨てて、全てを滅ぼし、そして何を手に入れた」
雷が迸り、風が紅い絨毯を裂く。
王は、諦めたように柔らかにまぶたを閉じた。
「……失ったか。言葉さえも」
硬い物の損じる音が走った。
玉座の、王の頬近くが、アリーの雷風に撃たれたのだ。
情緒深い静けさはもはや存在しない。
ああ、これまでだ。
再び、若き王はその翠眼を見開く。
音も無く腰を上げると、彼は宣言した。
「責任を取る。お前に僅かにでも希望を見たこの愚眼。臣民の墓に、仇敵の首と共に供えよう」
高言を高らかに笑い飛ばそうとした少女。その視界は、一瞬のうちに混濁した。
強く、激しく叩きつけられたアリーは、自身の頬をいたわり、次に目を疑った。
その目線の先には、拳を衝きだした王が構えていた。
少女が血と共に折れた歯を吐き捨てると、王はこちらへ向けて歩き出す。
風が立ち、稲妻が彼を襲おうと息巻くが、それらを一切突き破って青年は突っ込んでくる。
異様な速さだった。
どんな魔女も追い抜けないと思われた神速の少女を、あっけなく捉えて殴り飛ばすその様は正に韋駄天。
外見にはなんの細工も見られないが、間違いなくこれは魔法だ。人の、群生の魔女の成せる技でないことが明らかに表明されている。
王は、妹を裏切り魔女を滅ぼしたカーティス王の末裔であった。
「我が血脈の罪を洗う者が、ようやく現れたと思った」
青年が駆け出したかと思うと、次の瞬きのその先には打撃音が走っていた。
アリーのうめき声が唾と共に撥ねいでる。
「この国に自由と革命をもたらす者だと――!」
果てしない妙技をもって縦横無尽に移動し、空間を支配する。
アリーはわずかに体勢を立て直そうとする素振り以外には何もできないでいた。
しかし、その鋭利な視線は常に見開き、王を捉え続ける。
床に落とされた少女を、息を切らして睨む青年。
あまりに激しい攻勢は、これまで抑えられてきた心の宣告によってとどめられた。
「女王ゼルマの苗裔が……ついに根絶されたと聞いたあの日。私は何も感じなかった。十四の私にとってそれは他人事だった。だが……だが公爵家令嬢として現れたお前を見た時――」
しばらくなぶられたアリーは、よろよろと立ち上がり床に邪魔な血を捨てる。
「私は己の罪を確信した」
王は拳を握りしめている。
「お前のその、私と同じ瞳に……映っていたものを見たからだ」
彼の言葉を他所に、アリーは挑発するように笑って見せた。
血まみれの口元が、とうに張り裂けて膿んだ復讐心を語る。
「逆賊の穢れた血も、その王座に守られマシになったか。あぁ?」
零すように笑いながら、すっかりと不気味に歪んでしまった表情を向ける。
少女は、王の懺悔など聞いてすらいない。
無責任とも言える同情に怒ることも、贖罪のために生かしたなどという勝手をなじることもしない。する必要も、既にないのだ。
彼女にとって、もう事は解決している。
後は至福の喜びのままに、狂没した心のままに最後の敵を殺してしまえばそれでいい。
王は憐れみに目を細めながらも、無情に徹し攻撃に移った。
アリーはかわそうとも試みたが、間違いなく過去最大といえる王の力を捉えきることができない。
骨の砕けないのがあまりに不自然な、烈を極める攻撃が波となって襲った。
「何故そこまで堕ちた!!」
王の悲鳴にも似た嘆きが、拳に乗る。
「何故すべて裏切った!!」
ここまであえて外してきた青年にもいよいよ力が入り、アリーの顎を強烈に撃ってしまった。
いっそう鈍い音が響き、薙ぎ倒された少女に怯んだのか王は足を止める。
そして依然として立ち上がろうとするその様に、涙すら浮かべる。
「何故だ――」
問答にもなっていないことは知っていよう。
返る答えも知っていよう。
しかしそれでも、何故だと言うのが人間だ。
どうしてなんだと悔いるのがヒトだ。
相手の心に無意識に寄り添ってしまうのがこの男なのだ。
少女の閉じた心は、憎しみを超えたバケモノが渦巻き、掻き乱し、そんな青年の言葉には触れもしない。
自分以外の全てから、彼女は決別してしまった。
たったひとりぼっちの王様は、戦いに応じる以外に何もできない。
気が済むまで殴れば、命の危機に落ちればあるいはと、まだ可能性を捨てられないでいる。
愛すべき民を焼かれ、忠臣を斬られ、ここに来ても尚。
復讐は、すべてを巻き込んでから消える。
何もかもを道連れにして消える。
王もすでに、その一部であった。